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太古の響き2



 八月某日。旬は先輩と北先生とともに古丹別川の上流にいた。

 古生物部の活動では夏になるといつもここで化石採集をすることになっているのだ。 


 川の水は浅く、長靴越しでも冷たさを感じて心地よかった。ジリジリと照りつける真夏の太陽を避けるため午前中の活動だが、それでも汗が額を流れおちる。時折、首にかけたタオルで汗を拭った。


 問題は蚊だった。化石を採ろうと立ち止まると無数に寄ってきて、大変なことになる。

 虫除けスプレーも効きが悪い。


「北先生、この蚊どうにかなりませんかね?」


「いやあ、こればっかりはしょうがないね。我慢するしかないよ」

 

 すると茅原先輩がリュックから虫除けスプレーを取り出して、付け加えた。


「ただ吹きかけるだけじゃ効果ないんだよ。こうやって、吹き付けた後に、体に擦り付ける感じで使わないと」


 先輩は首筋にスプレーをかけ、実演してみる。旬も試しに同じことをしてみると、不思議と蚊が寄って来なくなった。これで化石採集に集中できる。


 カラカラと音が何処かから響いてくる。

 その響きを頼りに旬は川に落ちている石を物色していった。これはすでにわかっている事だが、カラカラという音はアンモナイトに固有のものらしい。


 この間、町の博物館に行き恐竜の化石の響きを確かめてきたところだ。どうやら、ルールールーというのが大型脊椎動物の化石の固有の響きらしい。その音を頼りに探していくのがいいだろう。


 しかしアンモナイトも気になる。

 旬はその音の響きがどこからきているのか耳を澄ませてノジュールを見つけた。

 

 しかし、彼はこれからどうすればいいかよく分からない。

 彼は古生物部に入ってまだ半年、実は化石の採集はこれが初めてなのだ。


「立派なノジュールだね。やり方分かる?」


 茅原先輩が尋ねてくる。


「普通にハンマーで割ればいいだけでしょ? できますよ」


 旬はハンマーで割ろうとした。

 しかしなかなか割れない。


「貸してみて」


 茅原先輩は持っていたハンマーでノジュールをコツコツと叩き、狙いを定めて一気に振り下ろした。ノジュールはパカっと割れた。


「うまいですね」


「慣れてるからね」


 中から出てきたのは殻の一部が見えているが、これはアンモナイトだろう。


「ゴードリセラスっぽいね」


 北先生が二人の背後から化石を一瞥して言った。

 旬は初めて取った化石をしげしげと眺めた。土産物で買う化石もいいが、自分で大自然の中見つける化石もいいものである。

 


 三人がある露頭の前に来た時だった。

 旬はどこからともなくルールールーと、口笛のような音がしているのに気づいた。この音はまさしく、彼が博物館であらかじめ聞いておいた恐竜の化石の放つ響きそのものだった。


 響きは目の前の露頭からしている。

 

「先輩、ここです。ここから音がします」


 茅原先輩はその言葉を聞くと、ハッとして表情を引き締めた。


「どこからするか分かる?」


「まだそこまでは分かりませんが、ここに恐竜の化石はあると思います」


 茅原先輩は先頭を行く北先生に呼びかけた。


「ここが怪しいと思うので、ちょっと集中的に探していていいですか?」


 北先生が振り返り言う。


「勘ってやつだね? 構わないよ、私もちょっと歩き疲れた頃だし、しばらく休憩しようかな」


 北先生は河原の石の上に化石で重くなったリュックを置き、腰を下ろした。

 旬は目を皿のようにして露頭からノジュールが突き出ていないか探した。先輩も近いところで同じように露頭を観察している。


 音は露頭の一箇所からしていた。

 大まかな場所は近づくと音が大きくなるから分かったが、そこからが分からなかった。露頭に突き出しているノジュールが見当たらない。


「どこか分かった?」


 先輩が小声で尋ねる。


「ノジュールが見当たりません。確かにこのあたりにあるはずなんですが・・」


 二人で集中的に探したが、10分以上経ってもどこにあるのかが分からなかった。

 やがて、休憩を終えた北先生がやってきて、


「どうだい? 勘は当たったかい?」


「だいたいここら辺にありそうなんですけど・・」


 旬が指差すところを見て北先生の目の色が変わった。


「ちょっと失礼」


 露頭に手をつき、ハンマーの尖った部分で地層を削り始めた。北先生が取り出そうとしているのは何の変哲もない石だった。見たところ、平べったく、直径15cmくらいの丸い面を露頭から覗かせていた。


 しかし、その石が姿を現していくにつれてルールールーという響きがだんだんと大きくなっていっていることに旬は気づいた。


 その石が形をあらわにし始めた。

 ちょうど潰れた円柱のようだ。やがて旬もこれが何か気づいた。


 旬の心臓がドクンと高鳴った。


「これ、もしかして椎骨ですか?」


「かもしれない」


 ノジュールばかり探していて気づかなかった。旬は自分の経験のなさを痛感した。北先生が気づかなかったら見落としていたところだ。


「ここが先生の言っていた恐竜の化石を見つけた場所ですか?」と、茅原先輩。


 北先生はしばし手を休めて、周りを見廻した。


「かもしれないな。確証は持てないけど・・」


 先輩が北先生の肩越しにグッジョブと合図を送ってくれた。旬の顔が思わず綻んだ。


「先輩、俺、ついにやったんですね!」


 先輩もニヤリと笑い、


「当たり前じゃん。静石の耳が導いてくれたんだから」


 北先生は再び地層に向き直り、ハンマーを掲げた。


「さあ、残りの部分も掘り出すとしようじゃないか」




 結果として、北先生が見つけた何かの椎骨の化石は博物館に寄贈することになった。

 古丹別川から戻り、その足で博物館に向かい、専門家の意見を聞いて、旬は落胆した。


 学芸員の人が言うには、これは恐竜ではなく首長竜の化石ではないかとのことだった。しかも、化石が断片的すぎるため、新種かどうかはおろか、既存のどの種なのかも分からないと言う。


「でもよかったじゃないか。初めての化石採集で首長竜の化石を見つけるなんて、大したものだよ」


 そう北先生は励ましてくれた。実際に、あの響きは化石採集に役に立ったのである。この調子で化石採集の腕を磨いて、経験を積めば物凄い化石ハンターになれるかもしれない。


 博物館を後にする時、旬はトイレにより、そんなことを考えながら出口に向かっていた。

 北先生と先輩を外で待たせている。少し小走りになって、出口に向かう角を曲がろうとさしかかった。


 その時、角の死角から突然男の人が現れた。

 全くの不意に現れたので、旬は男の人とぶつかり、頭を打った。


「イタタタタ・・」


「すいません。怪我はないですか?」


 男の人も頭をぶつけたらしく、額に手を置いている。


「ああ、大丈夫だ。こんなところで走るもんじゃない。気をつけてくれないと・・」


 その男の人の顔が不意に、驚愕の表情になった。

 周りを見廻し、そして旬の顔を見た。


「君はもしかして・・」


 男の人は言いかけ、言葉を飲み込む。


「いや、何でもない。気をつけてくれたまえ」


 そそくさと男の人はその場から立ち去った。

 何だったのか。旬がその意味を知るのは夏休みが終わり、再び古生物部に顔を出した時だった。



「化石の声が聞こえなくなった?」


 茅原先輩が驚くのも無理はない。あの日まで確かに聞こえていた化石の音が今は全くしないのだ。旬が部室にいる今も、何の音も聞こえてこない。


 あの日採ってきたアンモナイトのクリーニング作業を先輩がしているが、聞こえるのは岩を除ける音だけである。


 男の人と博物館でぶつかったこと、その人が妙な言動をしていたことを先輩に伝えると、


「もしかしてその男の人、音が聞こえるきっかけになった日にぶつかったのと同じ人じゃないの?」


「ああ、そうかもしれません。あの時は気づかなかったけど、だんだんそんな気がしてきた」


 先輩は頬杖をついて思案する表情になった。


「元々その男の人が持っていた特異体質を頭をぶつけた拍子に何かの間違いで手に入れちゃったんじゃないかな?」


「そんな・・。せっかくの能力が・・」


「でももしもぶつかった人がそんな能力を持っていたら、やっぱり気づくよね」


 その通りだ。人生で一度も化石を目にしないで生きていけることはないだろう。どこかで学校の授業や博物館に行った時なんかに自分の能力に気づいてしまうはずだ。

 

 では、そうなったらどう対応するのか。誰にも言わずに腐らせてしまうのか、それとも自分の能力を生かして化石の発掘をしていくのか。


 旬は不意に思い出した。

 あの男の人が誰なのかを。


「ゴッドハンドだ」


「ゴッドハンド? それって確か有名なアマチュアの化石ハンターじゃない」


 今までに3種類もの恐竜の発見に関わり、いつからか周りからゴッドハンドと呼ばれるようになった男の人。昔テレビに出ていたから顔は覚えている。それがぶつかった相手だった。


「何のことはない。ふさわしい人のもとに太古の響きは帰っていったんだ」


 自分のような化石の区別もつかないような駆け出しには重すぎる能力だったのだ。そう考えて、彼は気を取り直した。


「先輩、来年の夏、また古丹別川行きましょう。次は俺の目で化石を見つけてやるんです」


茅原先輩は目を輝かせ、


「お、静石くん、なかなか言うね!」


と笑った。


 部室の外では、夕暮れの風がカラカラと窓を揺らしていた。まるで、化石たちがまだどこかで囁いているかのようだった。




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