引きこもり宇宙旅行6
「調子はどうだい?」
翠のいる部屋に入ってきたのは月面基地在住の精神科医だった。
「可もなく不可も無く。家に篭っていた時よりはマシって具合ですかね」
「体調も大丈夫そうでよかったよ。救難信号が来たときは心配だったけど、これなら安心して家に送り返せる」
救難信号を出した翠はあの後、すぐにやってきた月面ビークルに乗せられて、月面基地まで連れてこられた。
体調面と精神面の検査を受けて、これから地球へ向かう宇宙船に乗り込むところだ。
翠は持っていた小石をポケットに入れて、立ち上がった。
「その石は月で拾ったものかい?」
「はい。どうせ月に来たんだからお土産にSOSを出した後、クレーターから拾ってきたんです」
「阿久津くんにとってのジェネシス・ロックというわけだね」
「ジェネシス・ロック?」
「昔アポロ計画の時に地球に持ち帰られた石のことだよ」
二人は歩いて宇宙船の乗り込みゲートに向かった。
「ひとつ聞いておきたいことがあるんだけれど、良いかな?」
「なんですか?」
精神科医が語る話は翠にとって青天の霹靂だった。
「実は宇宙船の回収に向かった人たちが言うには、確かに何かにぶつかったあとがあるのは確認できたんだけど、それ以外は何も問題なくて、宇宙船は故障なんかしてなかったと言うんだ」
「故障してなかった?」
「そうなんだ。多分宇宙空間に漂っていたデブリなんかとぶつかったのは事実だと思われるんだけれど、それ以外はなんの問題もなし。空気が漏れていることもないし、通信も問題なく行われた。さらに言えば宇宙服もたっぷり12時間分の酸素を供給できるはずだったんだ。宇宙船のことを教えてくれたのは搭載されていたAIなんだってね?」
「はい、全部AIがそう言ってたので、俺は急いで月面基地に向かったんです」
「つまり、AIは嘘をついていたわけか」
「なんでそんな嘘を・・。本当に死ぬかと思ったのに・・」
「もしかしたらAIは治療の一環として暴露療法を行なったのかもしれない。阿久津くんを外に連れ出し、外の世界に慣れさせるために。かなりの荒療治だったけどね」
「俺のために・・」
騙されたわけだが、それは翠のことを思ってのことだった。
翠はAIに複雑な心境を抱いた。
「あのAIと宇宙船は調査員の管理下にある。AIが嘘をつくことは時々ある話だ。だが、今回は事情が事情だけに、引きこもり支援のNPOの代表にもことの経緯を聞いておかなければならない」
二人は宇宙船に通じる乗り込み口の前にたどり着いた。
「何かあったら宇宙船のクルーに遠慮なく尋ねてほしい。他の客もいるわけだけど、そこは大丈夫なのかな?」
「多分大丈夫ですよ。もう宇宙は懲り懲り、帰ったらしばらく引き篭もりたいと思います」
「せっかく外に出れるようになったんだから、たまには外に出た方がいいと思うんだけどね」
「引きこもるのは家じゃないです」
翠は少し笑って、付け加えた。
「地球に引きこもるんですよ」
翠を乗せた宇宙船は月面基地を後に、地球へのフライトを開始したのだった。




