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一輝と和影  作者: 在江
第一章 
7/23

3 雪玉投げ

 緊張する儀式を経て守護人になった和影の生活は、しかしそれまでと大して変わらなかった。

 学校から帰ってくると、文武両面で伯父の影久にしごかれる。守護人に任命されたら、もうしごかれることはないだろう、と思っていた和影は、ある時おそるおそる伯父に聞いてみた。


 「御当代様に引退を猶予していただいたのを覚えておらぬのか。お前はどうも呑み込みが悪そうだから、もう少し教える必要がある」


 伯父は真面目な顔で答えた。和影は頭がくらくらした。

 伯父のしごきとは別に、学校の宿題は自分でこなさなければならない。伯父から教わったことをきちんと覚えていれば宿題など片手間でできる、と伯父は言っていたが、裁縫や観察記録、図画工作のように片手間ではできない種類の宿題もあり、和影は眠い目をこすりながら仕上げて学校へ行った。


 変わったことと言えば、学校の登下校が一輝と一緒になったことである。もともと近所であるから、行き会えば一緒に通っていたのだが、朝は藤野家まで迎えに行き、帰りも一輝の都合に合わせて帰るようになった。

 一輝が他の友達と帰る時には、和影は杏次郎を待たせて、一輝とつかず離れずの距離を保ちながら、杏次郎と一緒に帰るようにした。


 実は和影が守護人に任命される前も、一輝は藤野家で働いている人間に送ってもらっていたのである。途中で和影達に会えば、送りに来た人は家へ戻っていたのであった。

 そうして家へ帰ると真っ先に伯父の元へ行き、一輝が無事に帰ったことを報告するのが大事な日課であった。


 正月休みが明けてから、急に一輝と一緒に帰るようになった和影を、同級生は奇異な目で見た。

 代々住んでいる家では、藤野家と青柳家の関係についておぼろげに聞き知っており、子どもから話題にすれば説明もしていたが、聞かれもしないのにわざわざ話す親などおらず、また戦時中つてを頼って疎開し、戦後そのまま居着いた家などでは、田舎の旧弊な伝統を知るよしもなかった。


 それに和影が女で一輝よりも二つ年上であることも好奇の目を集める理由であった。

 和影が杏次郎と連れ立って校門の前で一輝を待っていると、よく同級生にからかわれた。


 「藤野の息子とできてやがら」

 「藤野の女房、姉さん女房」


 杏次郎も一緒にからかわれた。杏次郎の同級生がからかうと、和影は怒って年下の悪餓鬼どもを追い払うことができたが、和影の同級生にからかわれた時は、横を向いて黙殺していた。杏次郎も一輝のように大人しい性質のせいか、誰にからかわれようとじっと黙って姉の横で耐えていた。和影は時々そんな弟をはがゆく感じた。


 「あんた、からかわれて悔しくないの」


 ある時、下級生を追い払った後で和影は杏次郎に聞いてみた。弟は、怒った様子もなく淡々として興奮している姉を見上げた。


 「だって本当の事を教えていないんだもの、仕方ないよ。いちいち教えるのも面倒臭いし、ずうっとしつこくからかわないもの。子どものことだから、そんなに気にすることないでしょう」


 自分も同じ子どもであることを棚に上げ、落ち着き払って杏次郎は答えた。自分の方が子どものように思われて和影は気分を害したが、そこへ一輝が来たので話は沙汰止みになった。


 一輝も教室でからかわれているに違いないのだが、和影に愚痴をこぼしたことはなかった。

 もし一輝に相談されれば、和影は何とかしてやらねばならないが、簡単に出来ることではない。気を遣ってもらっているのだろうか、と思うと、余計に和影の気分は暗くなった。


 大分春らしい暖かさになったとはいえ、まだ根雪がところどころ残る田舎道を、一輝は杏次郎と愉しげに話しながら、和影に先んじて歩いていく。こうして見ると、二人共ただの小学生である。自分は来年中学生になるのに、小学生に気を遣ってもらうほど頼りないのだろうか。和影の気分はますます落ち込んだ。


 ふと、先を行く一輝と杏次郎の足が止まった。物思いに沈んでいた和影は、慌てて二人に追いついた。

 休耕地になっている空き地で、子ども達が入り乱れて雪合戦をしていた。先ほど和影達をからかった下級生も混じっている。


 もうほとんど雪など残っていないので、日陰の雪を掻き集めたのに泥も混ぜて投げ合っているようである。ぬかるんだ地面で足を滑らせたのか、泥まみれになっている子もいる。道端の草の上に、揃って鞄が投げ出されていた。

 早く通り過ぎた方がいい、和影はぼうっと立っている二人を急かした。しかし、一輝が歩き出すより先に、空き地の子ども達が和影達に気付いてしまった。


 「おりゃ、あそこに弱虫がいるぞ」


 同時に雪玉が一輝に当った。比較的雪が多かったと見えて、泥だらけにはならなかった。和影はまさにむしゃくしゃしている時だったので、頭に血が上ってしまった。


 「和影、僕平気だから行こう」

 「姉様、帰ろうよ」


 一輝と杏次郎が口々に止めるのも更に和影を攻撃に駆り立てた。和影は鞄を足元に滑り落すと、手近な地面を掬って泥団子を作り、子ども達の中へ走り込んだ。


 「私が相手してやる! 覚悟おし!」


 日頃、伯父の影久にしごかれているだけのことはあって、和影の運動神経は抜群に発達していた。泥団子は狙い違わず一輝に雪玉を当てた子どもに命中し、胸が泥だらけになった。


 他の子ども達は標的を和影に変えたが、身軽に避けられてほとんど当らず、和影は次々と泥団子を作っては子ども達へ順番にぶつけた。

 子ども達は雪を探す手間を省いて泥団子を作って投げ始めた。こうなると多勢に無勢で、やがて一人の投げた特大の泥団子が和影の額に命中し、和影はよろけて尻餅をついた。


 「そこまで!」


 大音声が辺りに響き渡った。子ども達はびくりと身を震わせて、辺りを見回した。

 道端に一輝が立っているだけである。しかし、道の向こうから、杏次郎に連れられて誰か大人がやってくるようであった。

 わーっ! と喚声を上げて、子ども達は和影の脇を走り抜け、素早く鞄を拾い上げて蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。和影は泥団子が当った衝撃と、興奮が一気に冷めたのとで、茫然と尻餅をついたままになっていた。


 「和影、大丈夫か」


 目の前に手が差し伸べられた。一輝が和影の鞄を持って側に立っていた。さっき聞こえた大声が一輝のものであることに和影は気付いていた。


 これではどちらが守護人かわからない。和影は惨めな気持ちで、それでも自力で立ち上がり、一輝から鞄を受け取った。物を言う気力が出なかった。


 「うわあ、泥だらけじゃねえか。おや、お前血が出ているぞ。大丈夫か」


 杏次郎が連れてきたのは、その辺を通りかかった近所の年寄りだった。和影は頷いて、手で顔を擦ろうとした。年寄りはその手をがっしと掴まえた。


 「擦っちゃならねえ。ばい菌が入るぞ。家まで我慢しろ」


 結局、藤野の家の門まで、和影達は年寄りに送られて帰ってきた。門のところで一輝を引き取った下働きの娘は、和影の顔を見てぎょっとして声も出なかったが、付いてきた年寄りが聞かれもしないのに事情を説明したので納得したようだった。


 和影は適当に会釈をし、引き留められている年寄りを残し、杏次郎と家まで戻った。泥が乾燥してきているせいだろう、段々顔が強張ってきた。

 家へ帰った途端、間の悪いことに父母に出くわした。


 「まあ、どうしたの、その顔。あら、血が出ているじゃないの」

 「あのね、母様。姉様がね……」


 杏次郎が喋り始めたので、和影が止めようとした時、更に間の悪いことに奥から伯父が現れた。和影の顔を一瞥して、既に話し始めている杏次郎に聞く。


 「どうした」


 杏次郎の説明を聞いた後、和影に顔を洗って着替えたら部屋で待つようにと言い、伯父はそのまま外へ出て行った。

 客観的に見ても、弟は姉が不利にならないようによく考えて説明した、と和影は思う。それでも一輝が動じなかったのに、わざわざ挑発に乗って大暴れした挙句、杏次郎が連れてきた大人のお蔭で助かるというのは、守護人としては失態に違いなかった。


 和影は裏手へ回って外のポンプで顔の泥を流し、手足も洗った。勝手口から中へ入ると、下働きのお甲が用意した手拭で濡れた顔と手を拭き、足は雑巾で拭いて自分の部屋へ戻った。


 鏡を見ると、額から血がにじみ出ているが、大した怪我ではないように思えた。とりあえず泥になった着物を脱いで着替えてから、母に傷口に貼るものをもらおうと玄関の方へ行くと、聞きなれない甲高い声がした。

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