2 一輝当主就任
一輝もまた緊張した面持ちであった。身の丈に合わせて仕立てられた紋付袴を着ているせいか、年齢よりも大人びて見える。目の前に座っているのが和影だと気付くのに数瞬かかったらしく、目を見張ってまじまじと和影を見詰めたので、和影は気恥ずかしくなって俯いてしまった。
「それでは、まず、当藤野家の現当主であった輝重は皆様ご存知の通り戦死致しましたので、私、妻の福が名代として本日初めに当主の役を務めますことをご承知おきください」
お館様はこう言って、藤野家の由来を説き起こした。和影は俯いて聞いていた。藤野家は平家に仕えた西国の武将を祖とし、壇ノ浦の合戦に終わる平家滅亡により落武者となり、残党狩りの迫害を逃れて関東平野まで落ちてきたところを、青柳家の祖に匿われたのが今日まで続く伝統の由来なのだそうである。続いて青柳家の由来を、母が説き起こした。青柳家は、もともと関東に領地を有する豪族であったが、雅を愛し、都に憧れる風があったところ、病を得て床から離れられなくなったのを藤野家の祖に救われ、またその優雅な振舞いに感じ、これを師として、のちには主として崇めるに至ったのだそうである。
「われら、その昔よりかの者を守りてここに至る
われらはかの者の為にあり
われらかの者を光と為し、自らを影と為す
光なくして影のあることなし
われらはかの者の為にあり」
母は青柳家に伝わる詞を唱えて由来を語り終えた。和影は俯いていたこともあり、緊張が過ぎて眠くなってきていた。これら藤野家だか青柳家だかの由来は、伯父と母から耳にたこができるほど聴かされ続けた話であり、「われら……」の詞は暗誦するように教え込まれていた。
それよりも、今日この場で和影がしなければならないことを思い出さなければならなかった。大して難しいことではないが、する時を間違えてはお終いである。
和影が眠気を堪えて内心で自分の役目を復習している間にも儀式は進んでいた。何時の間にか一輝が話しているのが聞こえてきて、和影ははっと顔を上げた。
「……我が守護人として、青柳和影にその任を命ずる。杏次郎は、青柳家の継主として同家を盛り立てよ。なお、先の守護人たる影久には、和影の就任を以って引退を命ずる。異議があれば申し立てよ」
一輝は十歳にしては堂々たる様子で命令を下した。和影は感心する間もなく、今だ、と「有り難き幸せ」といいながら頭を下げようとした。確か、自分の出番はここであった。
ところが、後ろから伯父の声がしたので、和影は両手を畳についたまま、頭を下げようにも下げられない状態になった。
「恐れながら、私の引退については次代の守護人が定まるまでご猶予いただきたくお願い申し上げます」
伯父の発言が予定外であることは、周囲の動揺から察せられた。和影は目立たぬようにそろそろと姿勢を戻し、一輝がどう答えるかと見守った。
一輝は、突然の異議申立てに戸惑っている風であった。それでも周囲に助けを求めようとはせず、和影の後ろにいる伯父と睨み合っているようであった。
お館様が大お館様につつかれて、席を立とうとしたが、一輝は僅かな手の動きで押し止めた。うっかり和影は聞き漏らしていたが、もう一輝が藤野家の当主なのであった。
それでも一輝は、まだ子どもらしく小首を傾げて口を開いた。
「よかろう。引退については更に次代の守護人を定めるまでの間、猶予する。ただし、我が守護には及ばぬ。よいか」
「有り難き幸せにてござります」
和影と杏次郎も慌てて頭を下げた。和影は、これから一輝にご主人様としてお仕えしなくてはならないのだ、と実感した。一輝は年下だが、伯父と対等に渡り合っているのを目の当たりにしては、正直「負けた」と白旗を揚げざるを得なかった。
ひととおり両家の掛け合いが終わったところで、向坂玄梅が立ち上がった。彼は藤野と青柳の主従の契約を見届ける立会人の役目を負っていたのだが、もうひとつ役割があった。
「……なお、当家の次玄及び梅子を守護人殿の付け人として遣わす」
「よろしくお願い申し上げます」
次玄と梅子が両手をついた。電光のように和影の脳裡を記憶が駆け抜けた。今まで忘れていたが、確かに聞いた覚えがあった。
向坂家の嫡子以外の子どもは、青柳家の守護人に仕えることになっていた。昔は守護人の仕事の目付役だったらしいのが、時代が下るにつれて守護人の補佐役に変わってきたものである。
従って、主従と言っても藤野と青柳の関係よりは緩く、守護人が必要と判断した時には協力を依頼できる、という程度の間柄であった。
和影としては、次玄も梅子も年上であるし、彼らを使う気は全くなかったので、今日の出番のことも左耳から右耳へ抜けたまま忘れていたのである。
しかも、予定外の問答まで入ったため、思い出す余裕すら失っていた。それでも何とか要領を思い出して、和影は挨拶を返すことが出来、無事儀式は終了した。
大お館様が挨拶をしている間に、お館様がさりげなく席を外し、やがて襖が開いて次々と膳が運ばれてきた。色とりどりの豪華なおせち料理がぎっしりと並んでいる。青柳の家では見たことのない料理もいくつかあった。和影たち青柳家の面々は、新たに出てきた座布団の方へ席を移し、一同が四角になって食事した。
「いやあ、さすが藤野さんのところのお坊ちゃんは、ご当主を名乗られるだけのことはありますなあ」
最もくだけているのは玄梅である。玄梅のお蔭で、堅苦しい座がほぐれていく。大人達は酒も入ったせいか、割合打ち解けて話に興じながら食事を進めていくが、子ども達は静かに箸を動かしている。
次玄と梅子が時折ひそひそと言葉を交わしたり、杏次郎が和影に小声で話しかけるくらいである。
一輝は、他の子ども達と離れた席にいるので、周りの話に耳を傾けながら自分は黙って食べている。
伯父だけは話の輪に加わらず、黙々と食べ物を口に運んでいる。酒にはほとんど手をつけていない。
大人も伯父が怖いのだろうか、和影は考える。
すると、先刻の一輝の態度が思い出されて、一輝の存在が頼もしく思えてくるのであった。