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一輝と和影  作者: 在江
第一章 
5/23

1 藤野家の儀

 新学期には小学校六年生になる年の正月、和影は新しい着物を新調してもらった。髪の毛も大人のように結い上げられ、化粧まで施されて、鏡を見た和影は子ども心に満足だった。


 母や義父だけでなく、自らも身奇麗にしていた下働きのお(こう)にまで、「あらまあ、べっぴんさんになりましたこと」と言われたのも素直に嬉しかった。

 四つ年下になる弟の杏次郎(きょうじろう)などは、着飾って見違えるように美しくなった姉の姿にただただ見惚れているだけで、声も出ない様子であるのも好もしかった。

 唯一の不満は伯父の影久の態度で、和影は密かに称賛の言葉を期待していたのに、一瞥しただけで何も言わずに去ってしまった。


 そもそも和影は伯父を快く思っていなかった。まず顔が怖い。ただでさえ眼光が鋭い上に右頬に大きな傷跡が残っていて、右腕が不自由なせいか、歩き方が普通の人と違う。

 それに、ある日戦争から帰ってきて、当然のように家の主らしく振る舞い、幼い和影に厳しい教育を施してきたからである。


 和影の本当の父利也は戦争で死んでしまって、和影にはほとんど記憶が残っていない。杏次郎の父寛介(かんすけ)は義理の父親に当たり、和影に特に冷たいあしらいをすることはなかったものの、伯父には頭が上がらないようで、和影が伯父に叱られて泣いていても、慰めこそすれ伯父に意見するようなことは決してなかった。それは母も同じである。


 「そろそろ出掛けますよ」


 母、蓮の声に、和影は玄関まで急いだ。華やかな刺繍が分厚い帯でぎゅうぎゅう締められていて、裾捌きが難しかった。今年の正月が特別な日であることは、煩い伯父ばかりでなく、母からも聞かされていた。


 学校で習うこと以外に、毎日沢山のことを覚えさせられるので、大体のことしか理解できないが、青柳家の長子は、これから訪問する藤野家の長子を守らなければならないのだそうだ。

 藤野家の長子と言えば、一輝である。一輝は和影より二つ年下で、近所に住んでいるから同じ小学校に通っていることでもあり、大人達に言われなくても和影としては杏次郎と一緒に面倒をみているつもりだった。


  一輝は大人しい性質で、外で遊ぶよりも教室で本を読んでいる方が好きなようであったが、誘われれば他の子ども達と一緒に、蜻蛉(とんぼ)採りや魚釣りもした。あんまり下手なので、みかねた和影が手ほどきをしてやることもしばしばであった。和影がしなくても、誰かしら手助けしたくなるような子どもであった。


 正月の空は、澄んで青く晴れわたっており、数日前に降った新雪が白く太陽の光を反射して眩しかった。

 踏み固められた雪道を、母と和影と杏次郎、それに伯父とで一列になって、慣れない着物で滑らないように気を付けながら歩いて行くと、藤野の家の大きな門についた。

 大きな門松が両脇に飾ってある、その青々とした松の上にも雪が積もっていた。門をくぐると、出入りしていた下働きの一人が、和影達に気付いて内へ走りこんだ。


 母が玄関の引き戸をがらりと開けると、上がり口に青柳家ではお館様と呼ばれている一輝の母親がきちんと正座して訪問者を迎えた。普段の気さくな様子は見えず、緊張した面持ちで母の口上を待ち構えている。母は土間を渡って上がり口まで近付き、丁寧に頭を下げる。和影達も母に倣った。


 「新年明けましておめでとうございます。この度は、藤野家の一輝様が無事に年を迎えられまして、誠におめでたい限りでございます。本日は、若様に当青柳家から継主のご指名をいただきたく、ご挨拶方々お伺いいたしました」

 「新年明けましておめでとうございます。わざわざの足のお運び、またご丁寧なご挨拶をいただきまして、いたみいります。こちらでは狭うございます故、どうぞ中までお通りくださいませ。向坂(こうさか)様もお見えになっておられます」


 芝居を見ているみたいだ、と和影は思ったが、大人達は皆真面目である。一通り挨拶が交わされると、和影達は履物を脱いだ。

 お館様の案内で、薄暗くて長い廊下を歩く。足袋を通じて冷えた廊下の温度が足に染み込む。幾度となく方向を変え、他の部屋を通り抜けもした後で、襖が開かれると、急に明るいところへ出た。


 畳敷きの大広間である。藤野の家にこんな大きな部屋があるとは思わなかった。床の間もあり、掛け軸のほか綺麗な花も生けてあった。

 その大きな部屋にいるのは僅かな人数で、和影も顔を見知っている向坂家の主とその子ども達であった。

 向坂家は代々医師を生業とする家柄で、現在の主である玄梅(げんばい)も戦時中は軍医として召集されたが、無事戻ってきて家業を続けているのであった。

 大して患者も出ない田舎で開業し続けているのはやはり、藤野家と青柳家との付き合いがあるからで、理由はともかく地元の人間にとっては有り難い存在であった。


 玄梅には三人の子があり、長兄の玄一(げんいち)は秀才の誉れ高く、家を出て全寮制の高等学校に通っている。周囲からは順当に後継ぎとみなされていた。次兄は次玄(じげん)、末に梅子(うめこ)がいて、皆和影よりも年上であった。ここ数年、和影は彼らと遊んだ記憶がない。

 皆和影と同様にきちんとした恰好で、澄まして座布団の上に収まっている。母が向坂医師と正月の挨拶を交わし始めた。


 「新年明けましておめでとうございます。しばらく見ないうちに、玄一さんもご立派になられまして。玄梅さんも、ご安心でしょう」

 「いやいや。もう目の届かないところにいるものだから、きちんと生活しておるか心配ですな。お蓮さんの方こそ、寛介さんの具合は如何かな」


 母と向坂医師は普通の会話をしている。和影は澄ましている向坂兄弟に何と挨拶したものか判じかねて、彼らの方を向いて丁寧にお辞儀をした。すると、三人それぞれが大人にするように丁寧にお辞儀を返してきたので面食らって次の言葉が出てこなくなった。

 間を持て余して杏次郎はどうしているかと辺りを見回すと、母の後ろで伯父と一緒にしゃちほこばって座っている。和影も慌てて側へ行って座った。そのうち、向坂医師が時計を見て母に席に着くよう勧めた。


 「さて、そろそろお福さんもこちらへこられるだろうから、お席の方へどうぞ。影久さんも畳に座っていたら、足が冷えるでしょう」


 見れば、向坂兄弟が座っているのと直角に座布団が人数分並べてある。母に促されて座布団の上に座ると、床の間の正面だった。床の間の前には、また別に何枚かの座布団が並べてあった。恐らく、藤野家の面々がそこへ座るに違いない。


 和影はこれから叱られるような気分になった。藤野家の面々と言っても、一輝とその母と、亡くなった一輝の父の母、すなわち一輝の祖母であるが、その三人しかいない。和影は一輝の祖母も苦手であった。ほとんど会ったことはないが、会うと見下されているような、あるいは蛇に睨まれた蛙になったような気がしたからである。

 一輝からも、厳しい祖母だと聞かされていた所為もあるかもしれない。厳しいという点では、和影の伯父と似たところがあった。


 和影達が入ってきた襖が開いて、お館様が姿を現した。


 「皆様、改めまして新年明けましておめでとうございます。本日は、当家の儀式のために雪の中をお集まりいただきましてありがとうございます。儀式が滞りなく進みますようよろしくお願い申し上げます」


 手をついて挨拶すると、つと向きを変えて後ろで待っていた人を通した。紋付袴を身につけた一輝であった。やはり手をついて一礼してから座敷へ通る。後ろから祖母の大お館様がしずしずと入ってきた。最後にお館様が通って襖を閉め、座布団が全部埋まった。和影は一輝と正対する形になった。

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