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一輝と和影  作者: 在江
序 章 輝重と影久
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4 福の婚姻

 私はまず妊娠していることを母に打ち明けることに致しました。

 出産と言えば何かと物入りでございますし、身重の身体で外へ働きに出ることなど、当時の私には考えられなかったのでございます。


 母には身篭っているということだけを話したのでございますが、驚いたことに母は藤野様のお子かえ、と言って私の返事も聞かずに部屋の奥から文箱を出してまいりました。

 中には文やら金子やらが雑然と入っておりました。母はお金の管理には厳しく、それで私も自由になるお金がなく母に頼らざるを得なかったのでございますが、普段は金子を文箱の中に投げ入れておくような人ではございませんでした。


 私が文箱の中を遠くから覗き込んでおりますと、母は中から一枚の紙を取り出して、膝に広げました。そして、藤野様が私に結婚を申し込む許しを得るために、母を訪ねた話をしてくれました。


 藤野様は、私には一切話をしていないので、どのような返事をもらえるのかわからないけれども、私が了解した時のために、婚姻を正式に届け出る書類を預けたい、また、凱旋の暁には正式な披露を催したいけれども、ご時世柄先行きも見えないことから、仕度金としてまとまった金子をお渡ししたい、何かお困りの際には実家の方を訪ねてもらっても構わない、と書付まで渡してくださっておりましたのでございます。


 藤野様と私が結婚することについて、母には異議はなかったそうでございます。まして、届まで用意されているので、話をしていないというのは建前で、てっきり私も了解しているものと考えたそうでございます。


 ところがその後私から何の報告もないので訝しく思って様子を窺っていると、どうも私が身篭っているらしいと気付きまして、未婚の娘が子どもを産んだのでは家の恥になるので、よほど勝手に届を出そうかと思ったそうでございますが、肝心の藤野様の印鑑がございませんでしたので、時期を見て私に事情を聞き出そうと考えていた矢先だという話でございました。


 女所帯で相談する姑などもなく、母も独りで悶々と悩んでいたのでございました。

 もしやお前、藤野様の判子を持っていやしないかえ、と母に聞かれて、私は文に入っていた印鑑を思い出したのでございます。


 母はお腹の子が藤野様の子であることを片時も疑っていない様子でございました。私は、生まれる子のためを思い、藤野様の心遣いに胸が詰まるような思いでございました。

 子ができるかどうかわからないうちから、これほど尽くしてくださるのであれば、この子の父親に藤野様がなってくださるのは幸せなことに違いない、と思いました。まして本当に父親なのでございますから。


 私は部屋へ戻りまして、改めて藤野様からの文を最後まで読み、藤野様の真心を感じたのでございます。そうして役所へ届も出し、生まれた子には藤野様のご希望通り一輝と名付けたのでございます。しかしながら、役所が空襲で焼けてしまいましたので、戸籍がなくなってしまっているのではないかと心配しております。


 家も焼かれましたので、藤野様の所縁のものは、この文だけになってしまいました。目の前の生活にも追われて、女が幼子を抱えて生きていくのは苦労が多うございます。

 お蓮さんもご主人が戦争へ取られてしまわれたのでございますか。それはそれは大変でございましたね。でももう私、影久様のことはお恨み申しておりませんのよ、ご安心くださいませ。



 「利也(としや)殿は、もう戻られないのだな」


 蓮の物思いを、影久が破った。整った顔が蓮を見据える。考えを見破られたような気がして、蓮はどぎまぎしながら頷いた。


 「継主(つぎぬし)を産まねばならぬ。わかっているな」


 やはり冷徹だ、と蓮は思う。夫の利也は、蓮と同じ小学校の上級生で、地味な性格だが頭もよく、蓮の立場に温かい理解を持っていた。小学校の時から好意を抱いていた利也が両親に反対を説き伏せ養子になることを承諾してくれ、短い間だったが蓮は利也との結婚生活に思い入れがあった。

 そう簡単に他の男を受け入れる気にはなれない。しかし兄に自分の気持ちを訴えるつもりはなかった。


 「はい。あの、兄様、帳簿の方は」


 「うむ。戦時にあって、お国にも奉仕しながら、青柳家もよく守った。東京の方で噂に聞いたのだが、GHQが地主から土地を取り上げようとしているらしい。今後の対策を考えておかねばならぬ」

 「はい」


 兄はお館様になったお福さんの気持ちなど考えていなかったのだ、蓮は考える。いや、お福さんの気持ちを考えた上で、用意周到に計画したに違いない。全ては藤野家のため、否、藤野輝重様のために、守護人としての義務を遂行したのだ。兄には守護人としての生き方がすべてなのだ。


 蓮には兄の生き方自体を批判することはできなかった。それは、青柳家に生まれた以上、藤野家に仕えなければならないという宿命にどっぷり漬かっている自分を批判することになるからであった。

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