7 一輝の婚姻
すぐさま向坂家へ運ばれた一輝は、玄梅の見立てで町の大きな病院へ救急車で入院させられた。その病院には、向坂玄一が勤めていた。
「ただの貧血だと思いますが、一応検査してみます。結果が出るまで十日ばかりかかりますが、その間ご予定はどのようになっていますか」
玄一の問いに、既に意識を取り戻していた一輝は、点滴を打たれながら答えた。
「東京に戻っているよ」
「だめです。せめて結果がわかるまでは、家にいなさい」
一緒に救急車でついてきたお館様が一輝を遮った。和影も同意見だった。
これまで一輝は貧血を起こしたことなどなかった。和影との結婚で悩み過ぎたのだろうか。原因がはっきりするまでは、下手に動かしたくなかった。
「長距離の移動は控えた方が良いと思いますよ。結果が出るまでは、入院しなくとも安静にしてください。今日のところは、点滴が終わったら帰ってもいいですよ」
玄一が去ると、病室に沈黙が訪れた。個室に入れられたので、他に患者はいない。世間話をする雰囲気でもなかった。
やがて点滴のせいか、一輝がうとうとし始めた。一輝が寝入ったのを見届けて、お館様が口火を切った。
「和影さんは、一輝のことが本当に好きなの?」
「はい、好きです」
反射的に答え、和影は頬に血が上るのを感じた。大お館様の言葉が蘇る『そこを何とかするのが守護人』。
「申し訳ございません」
頭を下げた。病院のベッドの白い掛け布団が視界一杯に広がる。
「頭を上げて」
優しい声だった。顔を上げると、お館様は寝息を立てる一輝の頭を撫でていた。
「あのね、和影さん。お義母さまはああおっしゃっていたけどね、私はあなたたちが本当に好き合っているのなら、一緒になってもいいと思うの」
「……」
「この子は小さい頃から手のかからない子でね。お義母さまや私の期待を裏切らないよう、気を遣って生きてきた。自分の気持ちを出したのは、これが初めてだと思う。だから、親として願いを叶えてあげたい。それに、私の子が青柳家と結ばれるのは、運命かもしれないから」
「運命、ですか?」
思わず聞き返したが、お館様は微笑みを浮かべるだけだった。
検査結果が出るまでの間、和影は実家で不安な日々を過ごした。
一輝との結婚問題については、検査結果が出るまで棚上げの形になっていた。大お館様が青柳家に怒鳴り込むこともなかった。
御当代様が倒れて入院したことは青柳家にも知らされていたから、和影の滞在が延びることに不審を覚える者もいなかった。
滞在が延びて嫌なのは、和影だった。一輝の病さえなければ、一日も早く帰京したかった。
一輝は病院から戻り家で静養していたが、和影に会いにくることはなかった。
和影は一輝に触れられないことが寂しかった。東京へ戻れば誰に気兼ねなく、触れることができる。
伯父と同じ屋根の下にいることも嫌だった。
相変わらず伯父は自分の部屋へ篭って食事も家族と別にしていたが、いつ一輝との話が伝わるか、と思うと気が気でなかった。和影を避けるのが伯父の意思なのか、周囲の意見を容れただけなのか知らないが、守護人と当主の結婚話を聞けば、流石に姿を現し、大お館様のように、怒りも露わに乗り込んでくるのではないか、と恐れていた。
そうでなくとも食事の時など、杏次郎と初子の夫婦が仲睦まじいのを見るのが何となしに気まずかった。
初子は花嫁姿からの印象通り大人しい性質で、和影にもよく気を遣ってくれていることは感じていた。ただ和影の方で、他人という意識が抜けきれないようであった。
検査結果が出た日、和影は藤野家に呼び出された。
玄関には一輝が座っていた。十日ぶりの対面である。青白い顔をしていたが、和影の姿を見ると笑みを浮かべた。その笑みが却って会わない間の衰弱ぶりを際立たせ、和影の胸を突いた。
この間、主は一人で大お館様やお館様の責めに耐えていたのだ。辛いのは自分だけではなかった。
「暫く会えなくてごめんね。おばあさまが、僕達に話があるそうだ」
「検査の結果は如何でしたか」
「そう。それが問題なんだ」
一輝は、和影の両手を握り締めた。記憶にあるより細く、体温も低かった。
「和影、よくお聞き。これからどんなことになっても、自分に嘘をついてはいけないよ。嫌だと思ったら、無理をしないこと。いいかい」
「はい」
よくわからないまま、和影は返事をした。一輝の温かみのある声も、手の感触も懐かしく、嬉しかった。
一輝について大お館様の部屋に入ると、お館様もその場に座っていた。
和影は一輝と並んで大お館様の前に座らされた。
木彫りの人形のような痩せ枯れた大お館様は、やはり十日の間に更に老けて見えた。
「一輝の結婚について、お前の意思を聞いておらなかった」
儀礼的な挨拶を済ませると、大お館様は切り出した。和影は次の言葉を待った。
「検査の結果、一輝の余命は半年と診断された」
耳を疑った。横にいる一輝は微動だにしない。お館様が俯いてさりげなく目尻に布を当てた。続けて大お館様が病名や診断の根拠などまで説明してくれたのだが、動揺のあまり、和影の耳を素通りした。理解したくもなかった。
目の前で話し続ける大お館様の顔は、まるで能面のようだった。
「それでも、青柳和影。お前は一輝と結婚したいと言えるか?」
咄嗟に和影は答えられなかった。頭の中で、一輝が半年しか生きられないという言葉がぐるぐる回っていた。
一輝が死んだら、その先自分はどうなるのか。とても生きていられないと思った。結婚してもしなくても同じこと、一輝は死んでしまう。何も後には残らない。と、そこまで考えて、和影ははっとした。
「私、一輝様の子を産みとうございます」
思ったことがそのまま口から出た。大お館様は目に見えてほっとした。木彫りの能面の皺が崩れて、人間らしくなった。お館様がまた目尻を布で押さえた。
「無理をしていないか」
聞いたのは、一輝である。和影は晴れやかな気持ちで、愛する人の顔を見た。
「いいえ。喜んでお受け致します」
こうして和影と一輝の結婚が決まった。
大お館様はその足で和影と一輝を連れ、青柳家へ出向いて当主の杏次郎や母達、伯父に二人の結婚を告げた。無論、一輝の病気と余命の話も含めてである。青柳家の面々は蒼白になりながらも、謹んで承った。
たとえ慣例に反することであっても、一度主家の決めたことに口出しできる筈はなかった。伯父は話を聞く間、じっと手をついたまま頭を上げようとしなかった。
「申し訳ございません」
大お館様の話が終わって、頭を垂れたまま、一言口を開いた。守護人が御当代様の妻になることについての謝罪に違いなかった。
「いいえ。影久のせいではない。むしろ、こうなったからには却って良かったと言える」
一人息子が余命半年と宣告された親の気持ちと、余命半年の人間に嫁がせる親の気持ち。
大お館様は、元々一輝と和影が互いに思い合っており、結婚を考えていたことも明かしたが、この状況で青柳家の面々が信じたかどうか心許なかった。
和影は一様に暗い表情の面々を眺めながら、自分が一輝の妻になることの重みを改めて噛み締めた。




