6、記念式典と騎士
式典の当日、王の間で立っている貴族たちでできた群衆は、一ヶ所だけぽっかりと空いていた。
そこの中心に、一人で立っていたのはウィリアムだ。
「あの方、服がひどく汚れています。それに、においが……すごく臭いですね」
ある貴族の令嬢が鼻をつまみながら言った。近くには同じような年ごろの令嬢三人で話をしていた。
「聞くところによると、動物の飼育係だとか」
「まあ、あの汚いことで有名な飼育小屋の。そこで掃除でもして、汚れたまま来たのでしょうか」
「召使いが一人もいないと聞きます。恐らくそうなのでしょう。しかし、汚れた格好のまま、この神聖な王の間にいらっしゃるとは、なんとご無礼な方なのでしょう」
「まあ、ずいぶん控えめな言い方ですね。もっとふさわしい言い方がありますよ。恥知らずとか」
「おぞましいとか」
「ぴったりですわね」
そういって三人は頷き合ったのだった。
「きっとあの方は、この式典が終わったらこの王宮から立ち去られるのでしょう」
「そうですね。仕方がないことです。王宮には品格というものがありますから。あの方はふさわしくありません」
「でも式典が終わってからと言わず、誰か忠告差し上げてはどうでしょう。今すぐここから出ていった方がいいと」
「しかし、あのように汚くて臭いもひどくては誰も近づけません」
そのとき三人の令嬢のところに、一人の青年がやってきた。
「やあ、お嬢さん方、ごきげんいかが」
「こんにちは、グレー侯爵。私ども、とてもいいとはいえませんわ」
令嬢たちはウィリアムの方をちらちら見て言った。
「それはそうですね」と言ってグレー侯爵は苦笑した。「では私と一緒にあちらに行きませんか。何しろここは臭いがひどい」
グレー侯爵はウィリアムの方をみて、眉をひそめてそう言った。
「それがいいですわね。行きましょう」
「まったく、同じ貴族の身分だと思いたくないものだ。お嬢さんたちのいう通り、おぞましい恥知らず。せめて弁えて、この場を今すぐ立ち去る分別でもあれば」
グレー侯爵はウィリアムにわざと聞こえるようにそう言って、離れていった。
「本当に」と令嬢たちが言いながらその後ろをついていく。
針のむしろというのはこういうことか、とウィリアムは思いながら立っていた。
覚悟してきたとは言っても、こう否定的な視線や態度を絶えず向けられると相当心に来る。何度ここを立ち去りたくなったか。
しかしその度に、リズとの約束を思い出して踏みとどまったのだった。
やがて式典が始まった。
王族が入場しはじめると、ウィリアムへの敵意は和らいだ。それは王族立ちが皆の目線を集めたからだった。
王族の華麗な衣装、品のある振る舞い。それにみなうっとりとしているのだ。次々登場する王族たち、その終わりに、王と妃が入場すると、緊張感のある空気が王の間を覆った。
第三王女はその中にはいなかった。初お目見えということで、特別に、一人だけで登場する段取りになっていのだ。
式が進んで、第三王女の登場する段になった。
ウィリアムも待ちに待った瞬間だった。リズが話していた王女様はどんな人なのだろう、と期待と不安が混じってどきどきした。
「エリザベス王女、ご入場」
ラッパ隊が最も格式の高いファンファーレを演奏する中、第三王女エリザベスが姿を現したのだった。
赤を基調として、至る所に金色の刺繍が施された美しいドレス、そしてその豪華なドレスが霞むほどの王女自身の美しさ、それに一同は息を飲み、感嘆するため息が聞こえた。
ウィリアムも息を飲んだのだが、別の意味でだった。
あれ、リズだ。
え、でも、王女様だって。
どういうことだ?
第三王女エリザベスとして登場したのはリズだった。
精巧に整えられた御髪、彼女に合うように選び抜かれた装飾品の数々、式典に向けて施された入念な化粧などによって、彼女は普段見ているリズとはまったく違って見えた。
だが、それは同時にやっぱりリズのように見えた。訳がわからなくなって、もしくは彼女の姉妹とか? なんてウィリアムは考えたりもした。
一方のエリザベス王女は王の間全体を見回すと、ウィリアムの姿を見つけて、ほっとした表情をしたのだった。
それからウィリアムに笑顔を向けてみせた。心配ないから安心して。というように。
その笑顔をみて、やっぱりリズだ、とウィリアムは思った。
冷静に考えてみれば、リズがエリザベス王女だと考えれば辻褄があうことも多い。でも、動物飼育係の、それに貴族の中でも最下級の自分が王女様と知り合いになるわけがないと、その可能性を考えようとしなかったのだ。
薄れたとはいえ、まだちらちらと自分に向けれられる貴族たちの敵意と対照的に、王族からのウィリアムに対する視線は、否定的なものではなかった。むしろ親しみを感じた。
きっとリズのおかげだ。
リズがウィリアムのことを話して、誤解がないようにしてくれたにちがいない。
ウィリアムは急に元気がでて、これならこの場にも胸を張って立っていられる、と思った。
しかし物事はそれだけではなかった。
式典が順調に進み、予定されていた段取りがすべて終わったと思われた時だった。
「それではこれで式典を」
そう終わりを告げようとする進行の声を遮って、王が、
「少し待て、急きょの追加で叙勲の儀がある」と言ったのだった。
王の側近たちは、寝耳に水という顔をしていたが、王の言葉に口を挟めるものはいない。
「ウィリアム・レッドベリー、前へ出よ」
ウィリアムは急に自分に声をかけられ驚いたが、言われるままに前に出てひざまずいた。
「そなたを、第三王女エリザベスの将来の騎士として、準騎士に任ずる」
「はっ」
汚れて異臭を放つウィリアムが、王から栄誉を頂いた、それが信じられない貴族たちの間からどよめきがおきた。その一瞬の喧騒も、王がさっと片手をあげると、水を打ったようにしんと静まった。
「この者はエリザベスの厚い信頼を得ている。この決定に異論はないな」
と王は臣下立立ちを見回した。
しかし王に異論を挟めるものなどいない。
「ではエリザベス」
そう言われると、エリザベス王女がゆっくりと段を降りて、ウィリアムの目前にやってきた。
どこからか短剣とコートが運ばれてきた。彼女はまず準騎士の証である短剣をウィリアムに授けた。それから王家の色とされる赤地に金色の取り合わせの、背中に大きく王家の紋章の入ったコートを、ひざまずくウィリアムの肩の上からかけたのだった。
ウィリアムの汚れた臭い服の上に、王家のコートが掛けられると、貴族たちから悲鳴が上がった。
エリザベスはウィリアムに、他の人には聞こえないような小さな声で話しかけた。
「今日はつらい思いをさせてごめんね」
「とんでもございません」とウィリアムは深く頭を下げた。
「でも、みんなの驚いた顔を見ると、傑作よ。少しは気が晴れるじゃない? ねえ、ウィリアム」
そういうと、二人は王の間に居合わせた人々の顔を見回した。皆、驚きのあまり間抜けな顔をしている。
二人は、ふふと笑った。抑えられず、心の底から出てくる笑いだった。
「ええ、本当にそうですね」
王宮に来てから、飼育小屋の以外で、こんなにほっとした気持ちになるのは初めてだ。ウィリアムは今までのつらい日々で凍りついていた心の奥が、少し解けるのを感じた。
こうしてウィリアムはエリザベス王女の準騎士という身分を得た。
準騎士とは、将来騎士になる者がその前に与えられる身分。騎士見習いのようなものらしい。準騎士として一定の功績をあげれば、そのまま正式な騎士になるのだという。
すべてが急で、ウィリアムはしばらくは夢でも見ているような気分だった。リズが王女様だったり、自分が準騎士に任じられたり、昨日まで状況が変わりすぎて、なかなか認識がついていかなかったのだ。
これでさらに嫌がらせはひどくなるのでは、と恐れていたが、意外にもそんなことはなかった。
むしろ、王女の側近としてちやほやされ、媚を売られるようになった。
昨日まで嫌がらせをしてきていた顔が、みな丁寧な言葉遣いになり、ウィリアムのゴマをするのだった。しかも過去の行いについて謝罪の言葉は一つもない。
まるで、ウィリアムが田舎の貧乏貴族であることを忘れてしまったみたいだった。
要するに、ウィリアムという人を見ているわけではないのだ。その立場を見ているのである。立場が変われば、態度も変わる。それが貴族という生き物らしかった。
ウィリアムはしかしその変化についていけず、怖いと感じてしまった。だから、あまり貴族たちと深く交流せずに、今までと変わらず飼育小屋で一人で過ごすのだった。
あれからも飼育小屋にリズは来てくれる。エリザベス王女として接しようとしたら、「私はリズよ」と言い張られて、今まで通り接するように言われた。
今日もリズが飼育小屋にやってきた。
「やあリズ」
「こんにちは」
しかし、今日のリズはなんだか言い出しにくいことがあるような顔をしていた。
「どうかしたの?」
「あの、実は父と母が来てるんだけど、いいかしら。どうしても来たいって言って」
ウィリアムは驚いた。
「君のお父さんとお母さん? それって」
「やあ、ウィリアム」
「お邪魔します」
飼育小屋に現れたのは、リズの父親と母親、つまりこの国の王と妃だった。普段着で雰囲気が違うが、紛れもない王の間で見たあの王様とお妃さまだ。