5、記念式典前日
記念式典前日、ウィリアムは、図書館で与えられた課題のための調べものをして、自分の部屋に戻ってきていた。
いつもなら、そのあと飼育小屋に行くのが日課だったが、少し時間があったので、翌日の式典のための服装を確認しておこうと思った。
ウィリアムは珍しく鼻歌をうたっていた。
待ちに待った式典の前日で、少々浮かれていたのだ。王宮の一間で行われる式典の光景、まだ見ぬ王女様の姿などを想像しながら、ウィリアムは部屋の衣装箪笥を開いた。
しかしそこにあったのは、酷い光景だった。
衣装箪笥のなかには、一面、汚物がぶちまけられていた。ひどい汚れと臭いだった。そして片隅に、新品の掃除用のモップが置いてあった。汚物は何かの動物の糞尿のようだ。
衣装箪笥の中の衣服は全滅だった。ウィリアムの持っている礼服はそこにあるものがすべてだ。
今すぐ洗濯しても翌日には間に合わないし、服を貸してもらえるような貴族の友人はいない。
ウィリアムは呆然とした。
これじゃあ明日の式典に出席できない。
ウィリアムの中で、ずっと楽しみにしていた気持ちが一気にしぼんでいった。
貴族の子弟たちに、お前は記念式典に出席するなと言われているのだと思った。
ウィリアムは深いため息を一度ついた。
楽しみしていたのが馬鹿だったのだ。
汚れた衣服を貴族用の洗濯場に持ち込む訳にもいかず、ウィリアムはそれらを飼育小屋に持っていって洗った。しかし、ひどい汚れで簡単には落ちそうにない。
飼育小屋のなかでウィリアムが落ち込んでいると、動物たちが心配そうに寄り添ってきた。
「ハク。ニョロ。茶々。お前たちはいつも味方でいてくれるな」
そうしてウィリアムはあったことを、三匹に話した。
三匹の動物たちは話を聞くと、怒ったように吠えた。そして小屋から飛び出して行こうとする勢いだった。
「待て待て。気持ちは嬉しいけど、お前たちじゃどうしようもないよ。まあ今回は無理でも、いつかまた王女様に会える機会はある。今回は我慢するよ」
しかし動物たちは納得していない様子だ。
「一体どうしたの?」
その時、リズが飼育小屋にやってきたのだった。いつもと違うウィリアムの様子を不審に思っているようだった。
紐にかけてある干してある汚れた数枚の礼服を目にすると、リズは、
「これは?」と言った。
「明日の式典で着るはずだった服だよ」と、ウィリアムは落ち込んだ様子で言った。
「どういうこと?」
目の前にそれがあっては黙っているわけにもいかず、リズにも事情を話したのだった。
「それはひどい……いえ、ひどいってものじゃない」
リズはとても怒っていた。手はわなわなと震え、唇を血が出そうなくらい強く噛んでいた。
ウィリアムは自分以上に怒っているリズや三匹を見ていると、それだけで悲しかった気持ちが少し落ち着いた。
「まあ残念だけど。いずれ、また機会があるからさ。きっと……」
ウィリアムは下を向き、自分に言い聞かせるように言った。
しかしリズは、ぶんぶんと首は振った。そして、
「だめよ」と大きな声で言った。
三匹の動物たちも「そうだ、だめだ」と言った。最近、ウィリアムは動物の言葉がはっきりわかるようになってきていた。
「でも着ていける服なんてないし」
「それでいいじゃない。明日までには乾くわ」とリズは、干してある服を指さして言った。
「だめだよ。汚れも全然落ちていないし、臭いだって多分ひどい」
「構わないわ」
ウィリアムは首を振る。
「王女様の晴れの舞台を、僕のわがままで汚すことはできない。そんなことをしたら僕は王宮から追い出される」
「なんでよ。ウィリアムは悪くないじゃない。王女様は楽しみにしていたのよ。私の友達のウィリアムと会えるのを」
そこで、リズはぽろぽろ涙を流しはじめてしまった。
「嫌だ、嫌だ。ウィリアムが出ないんだったら、王女様だって明日出ないんだから」
そう言ってからリズは、抑えきれなくなったように激しく泣きだした。
「うう。ウィリアム出てよお。お願い。ぐす」
リズのそんな姿にウィリアムの気持ちは揺さぶられた。泣きやみそうにないリズをしばらく見ていたら、だんだんウィリアムの気持ちは変わっていった。結局、仕方がないなあ、と心の中でつぶやくと、ウィリアムは言った。
「わかったよ。明日はその服で出席する」
「本当?」
ウィリアムは頷いて、
「うん。リズが泣きやんでくれるのなら」となだめるように、笑顔で言った。
リズはそれを聞くと、どうにか泣きやんだ。泣きやんだというか、目のまわりの涙を手や服で拭って、「泣いてないから」と必死でアピールした。
「わかった、わかった。きっと明日は出席する」
「約束よ」
「うん」
「ウィリアムは何も心配しなくていいからね。悪いのはこんなことをしたやつらなんだから」と汚れた服を指さしてリズが言った。
三匹の動物も「そうだ、そうだ」と一緒になって言う。
ウィリアムはわかったと言うように頷く。
リズはしばらくすると、「そうだ」とつぶやいて、
「用事ができた。私帰る」
と急いで帰っていった。
ウィリアムは覚悟を決めていた。
汚れた服で式典に出席するというのは、王家に大変な無礼を働くということだ。
あとで、軽くない罰が与えられるだろう。きっと王宮からも追い出されるだろう。自分が不名誉にも王宮を追放されて、実家に戻ったときの親の顔を想像すると心が痛んだ。
しかし、大事な友達が泣きながら頼んできたことを断ることができるだろうか?
今までこの王宮で苦しい日々を過ごしてこれたのは、リズのおかげだ。その彼女があんなに悲しんでいて、それでも何もしないでいることができるだろうか。
「ハク、ニョロ、茶々。僕がこの王宮を追い出されたあとも会えるかな? いや、無理だよねきっと」
三匹は、「そんなことはない。どこでも、我々はウィリアムのところまで飛んで行く」と言うのだった。
「ははは。飛んで行くっていっても翼なんかないじゃないか」
ハクが首を振って言う。
「何を。ウィリアムのためだったら翼だって生えるさ」
「ありがとう、ハク。でもごめんね。君たちを置いていくかもしれない」
ニョロも首を振って言う。
「謝る必要はないさ。ウィリアムのすることは正しいことだ。胸を張って行ってこい」
「うん、わかった。ニョロ」
「応援しているよ」と茶々は体を一生懸命伸ばして、しゃがんだウィリアムの頭をぽんぽんと叩いた。
「茶々も、ありがとう。リズと君たちのおかげで元気もなんだか勇気も出てきた」
そうして式典の当日を迎えたのだった。