金剛の拳⑥
サーシャを乗せたギルドの馬車が、『見晴らしの荒野』に向かっていた。
馬車の中はサーシャ一人。腕を組み、目を閉じ、集中する。
これから、戦いが始まる。
冒険者として魔獣と戦うのではない。これから戦うのは人間だ。しかも、かなりの強敵。
「…………」
サーシャは無言で揺られていた。
そして、冷静に考える。
S級冒険者『金剛の拳』ヒジリ。初見でヒジリが《強者》と見抜けた。恐らく、サーシャと互角。
サーシャは、これまでの冒険者人生で……人間と戦い、手にかけたことはある。
はじめての相手は盗賊、山賊だった。
まだ、ハイセが『セイクリッド』にいた頃だった。たまたま依頼で立ち寄った農村が、盗賊の襲撃に合い、サーシャたちは自分を守るために戦った。
初めての対人戦。手が震え、歯がカチカチと鳴ったことは今でも覚えている。
が───小さな女の子の父親が、女の子の目の前で斬られたのを見て、サーシャはキレた。
今のように、冷静でいられなかった。
ソードマスターとしての剣技を全力で振るった。
血が飛び、肉が、悲鳴が飛び交った。それが盗賊の悲鳴と気付いた時……全て、終わっていた。
初めて人に手を掛けた時、サーシャは一週間、まともに食事ができなかった。
「……懐かしいな」
ハイセが傍にいたから、立ち直れた。
あの時のサーシャの傍には、ずっとハイセがいてくれた。
でも、ハイセはもういない。
恐らくだが、ヒジリとの闘いは、命懸けになるだろう。
「ふっ……」
だが、サーシャは笑っていた。
どこか、楽しみにしている自分がいる。
「これも、私か……」
そして───……馬車が停止した。
ドアが開き、サーシャが下りる。
十メートルほど先に、馬車から降りたヒジリが現れた。
「来たわね、サーシャ」
「ああ」
感じられるのは、闘気。
顔つきが違う。子供っぽいような感じが消え、戦いに飢える獣のような眼をしている。
それは、サーシャも同じだった。
「アンタは、アタシが最強を目指す壁の一つ。その次はハイセよ」
「悪いが……そう簡単に越えられるような壁ではないぞ」
サーシャとヒジリは、飢えた獣のような笑みを互いに浮かべていた。
◇◇◇◇◇
サーシャとヒジリが到着する一時間ほど前。
ハイセ、チーム『セイクリッド』の面々、ハイベルグ王族であるクレスとミュアネ、そしてその護衛である四名の騎士たちは、先に『見晴らしの荒野』に到着した。
最後に到着したハイセは、すでに来ていたガイストへ挨拶する。
「ガイストさん、おはようございます。早いですね」
「ああ。ワシは昨日のうちに来て、この辺りの魔獣を始末しておいた。少々強く威嚇したから、Sレート以下の魔獣は近づかんだろう」
「そ、そうですか……相変わらずすごいっすね」
少し離れた場所に、レイノルドたちがいる。
そして、その先には天幕があり、ハイベルグ王族の紋章が刻まれていた。
今、気付いたが、レイノルドたちと一緒にクレスとミュアネが一緒にいて笑い合っている。
挨拶するのも面倒なので、ハイセは眼を合わせないようにする。
すると───それ、が来た。
「あらぁぁ~ん!! アナタがハイセちゃんねっ!! うぅぅんいい男じゃなぁぁ~いっ♪」
「ッ!?」
ハイセは思わず銃を向けそうになった。
すると、ガイストが近づいてくる。
「アポロン、驚かしてやるな」
「ガイちゃん!! ンふふふふン、いいじゃなぁぁい? イイオトコは活力!! エネルギーなんですものン!!」
「…………ぁ、あの」
「ああ、紹介する。こいつがアポロンだ。S級冒険者『万能薬』アポロン……あー、こう見えて、S級冒険者では最高の治癒師でもある」
「ンフフゥン、よろしくねぇん♪ っちゅ!!」
「ヒッ」
アポロンにキスされそうになり、ハイセは全力で飛びのいた。
S級冒険者『万能薬』アポロン。
純白の修道女服には黄金の刺繍が施され、手にはキラキラした宝石がいくつもはめ込まれている杖が握られている。
だが……何故だろうか。アポロンはどう見ても《男性》だ。全身が筋肉の塊で、修道女服が今にも裂けてしまいそうなくらいガチムチだ。顔も厳つく、髪は剃っているのか毛がない。だが、頭皮にはファイアパターンの刺青が入り、耳には大量のピアス、顔には派手な化粧が施され、真っ赤なルージュがとんでもなく目立っていた。
どういう種族なのだろうかと、ハイセは本気で悩んだ。新種の人型魔獣とすら考えていた。
「あー……困惑する気持ちはわかるが、こいつは《女の心を持つ男》だったか? そういう奴だと思え」
「あン!! 女じゃなくて乙女!! 乙女のココロを持つ少女よン!!」
渋い声で、腰をフリフリしながらガイストに近寄るアポロン。
不審者以外の何者でもなかった。
ガイストは盛大にため息を吐く。
「ハイセ。アポロンはこう見えて『教会』の枢機卿であり、全ての『聖女』たちを束ねる『聖王』の能力を持つ。見ろ、ピアソラが青ざめているだろう」
「あ、ほんとだ」
レイノルドの影に隠れるように、ピアソラがいた。
青ざめ、こちらを見ていない。
「教会、でしたっけ。ピアソラが所属していたってことしか知らんけど……そこのトップが冒険者で、その……すごいヒトなんですよね。なんで冒険者を?」
「そりゃ、あたしが『自由』だからねン。ウフフッ」
「……そ、そうですか」
意味が分からないので、ハイセはスルーした。
ハイセが知っているのは、能力名が判明した時、回復系能力者は全員、『教会』への報告と所属義務が発生するということだけだ。
アポロンは、教会のトップである。
よくわからないし、知りたくもないのでハイセは気にしないことにする。
「とりあえず、怪我に関しては心配が必要なくなった。アポロンがいれば、仮に死んでも一日以内なら蘇生可能だからな」
「そ、そうなんですか? すごい……」
「すごくなんてないわ」
と───アポロンは急に真面目な顔になり、ハイセの右目……眼帯に、そっと触れた。
「ごめんなさいね……」
「え?」
「アポロン」
「いいの。ガイちゃん……」
ガイストはため息をまた吐いた。
アポロンは、ハイセに申し訳なさそうに言う。
「あなたが右目を失った時、ガイちゃんから連絡をもらったのよ。あなたの傷を治してほしい、って……でも、間に合わなかった」
「…………」
「一日以内なら、四肢を失っても、首から下が無くなっても、首だけの状態でも、指一本の状態でも蘇生できる。でも……一日を過ぎちゃうと、駄目なのよ。あたしは……あなたの治療、間に合わなかった。たまたま王都の外にいて、連絡を受けた時にはもう、一日過ぎてたの……」
「そうなんですか……」
「ガイちゃんには大きな借りがあってね。ガイちゃんのお願いなら何でもするつもりだった。でも……何もできなかった」
「アポロン、もういい」
ガイストがアポロンの肩を叩いた。
「そんな後悔をさせるために呼んだわけじゃない。今日の決闘で、サーシャとヒジリが怪我をしたら、傷一つなく治してやってくれ」
「ウン!! あたし、頑張っちゃう!! ガイちゃん、大好き!!」
「それはやめろ。ハイセ、すまんな……今は、そういうことにしてくれ」
「あの、俺なんとも思ってません。それに、右目がないのに慣れましたから」
「……ああ」
それ以上のことは話さなかった。
すると、馬車が二台到着する。
馬車から降りてきたのは、サーシャとヒジリだ。
「よし、行くぞハイセ、アポロン。立会人の仕事だ」
「はぁいっ♪」
「わかりました」
決闘は、間もなく始まる。