金剛の拳④
サーシャは、一人で夜の居酒屋街を歩いていた。
たまには一人で飲みたい。そんな思いがサーシャにはあった。
理由は……やはり、ヒジリに言われたことが尾を引いているからだ。
『忠告しとく。アンタ、そのままクラン運営したら、絶対に独裁者みたいになるわよ。自分の言うこと聞かない奴を追放したり、イライラを人にぶつけて不快にさせたり、自分の勝手な意見で思いやったフリしたりね。余裕のないヤツはみんな同じだからさ。じゃーね』
一言一句、思い出せた。
それくらい、サーシャの胸に突き刺さった言葉だった。
「……そんなつもり、ない」
仲間は、宝だ。
それは、かつての自分、ハイセを追放した時、それを経ていまは、もう違う。
確かに、余裕はない。クラン運営、禁忌六迷宮を踏破、冒険者として、クランマスターとしての名声は広がっている。
ヒジリの故郷である西方国ウーロンにも、サーシャの名は伝わっていた。同様にハイセも。
サーシャは、有名になることが、誰かに評価されたり見られたりすることにようやく気付いた。自分をよく知るレイノルドたちとは違う視点で見られると、余裕のなさが見えるのだろうか。
「…………喉、かわいたな」
ポツリと呟き、サーシャは顔を上げる。
夜の居酒屋街は、キラキラしている。
大通りに並ぶのはほぼ居酒屋。お酒の匂いは当然だが、肉や魚の焼ける匂いや、料理を作る音、冒険者や住人たちの笑い声がよく聞こえる。
この時間帯は、王都で一、二番目に騒がしく楽しい場所だろう。昼間は閑散としている居酒屋街とは全然違って見えた。
サーシャは、大通りから細い路地に入る。
ここは、個人経営の小さなバーが多く並ぶ場所だ。サーシャは迷いなく歩き、一軒の小さなバーのドアを開ける。
「いらっしゃいませ。おや……久しぶりですね、サーシャさん」
「マスター、久しぶり」
バー・『追想の淡雪』
入り組んだ路地の一角にある、小さなバーだ。
サーシャはここに数年通っている。不思議なことに、このバーに人がいるところを見たことがない。
ここは、レイノルドたちも知らない。サーシャだけの秘密の場所だ。
「……」
「……ウェルカムドリンクをどうぞ」
「ありがとう」
雪のように白い、甘いホワイトカクテルだ。
サーシャはそれを一気に飲み欲し言う。
「マスター、少し酔いたい……強いのをくれ」
「かしこまりました」
マスターは、数種類のリキュールをシェイカーに入れる。
それを眺めながら、サーシャはポツリと言った。
「私、もっと楽観的になればいいのかな」
マスターがシェイカーを振り、グラスに中身を注ぎ、チェリーを添える。
サーシャの前に出されたのは『淡雪』……このバー、オリジナルのカクテルだ。
サーシャは『淡雪』に口を付ける。甘く深く濃厚な味わいが口の中に広がる。そして、するりと喉を通って火を点けながら胃の中へ。お腹の中でも燃えているような感覚だ。
「マスター、私……余裕、ない?」
「余裕、ですか?」
「うん。今日、言われたの……私、余裕ないって。いつか独裁者みたいになるって……ハイセを追放した時の私は、もういないって思ってたのに……違ったの。私の胸の奥に隠れてただけ。それを……今日、初めて会った子に見透かされた。私、誤魔化してただけ……」
口調が変わり、饒舌になっていた。
ここは、サーシャが素を曝け出せる場所でもあった。不思議と、マスターには何でも話せたのだ。
「サーシャさんは、頑張っていますよ」
マスターは穏やかな笑みを浮かべる。
年齢は六十代。初老で物腰の柔らかさが安心感を与える。真っ白な髪は綺麗に整えられ、オシャレなのか白い口髭は綺麗に整えられていた。
「頑張ってる、か……」
頑張るのが、悪いことだとは思わない。
仲間や、クランの冒険者たちとも上手くやれているとは思う。
ここ最近、イライラしたり誰かに当たることは……。
「……あぁぁ」
「サーシャさん、考えすぎるのはよくありません。今だけは、心を空っぽにしてください」
「空っぽ……私、空っぽ」
がっくりと項垂れ、おかわりのカクテルを注文する。
ハイセも、レイノルドたちも知らない。弱い十七歳の女の子のサーシャがいた。
マスターは、カラフルな飴玉をグラスに盛り、サーシャの前へ出す。
「いろいろ、溜め込んでいるようですね」
「…………」
「サーシャさん。あなたの悩みの原因は私にはわかりません。ですが、これだけは言えます。あなたには大勢の仲間がいる。その人たちに吐き出してみては?」
「……レイノルドたちに? こんな私を見せるの?」
「弱さを見せることは罪ではありません。本当の罪は、弱さを隠し続け、本当の自分を偽ることです」
「…………偽り」
「サーシャさん。私から見たあなたは、頑張り屋で、優しい女の子です。でも、他の人から見れば厳格なクランマスターに見えたり、S級冒険者『銀の戦乙女』に見える。つまり……見方は、人それぞれです。視方によって、サーシャさんはいろんなサーシャさんなんですよ」
「…………」
「サーシャさん。あなたから見て、私はどうですか?」
「マスターは……優しい、大人の男性……父親みたいな、神父様みたいな……」
「実は私、暗殺組織の元締めなんです」
「は!?」
サーシャはガバッと起き上がった。だが、マスターはクスクス笑う。
「もちろん、冗談です。ですが……私にも、あなたの知らない顔がありますし、人には言えないことも、弱さもあります。でも、このバーでマスターをやっている私は、あなたの知る私なんです」
「…………」
サーシャは思う。
ハイセを追放した自分も、クランマスターである自分も、S級冒険者である自分も、全部が『サーシャ』であり、自分の姿である。
「……私は、囚われすぎたのか」
「そうですね。きっと……サーシャさんが認めたくない自分を見透かされたのでしょう。だから、それを直視してしまい、落ち込んだ」
「……マスターはすごいな」
「ただ、歳を取っているだけですよ」
「……そうか。ふふ、私は私。あの時の私も、自分を見つめ直した私も、全て私なんだ」
サーシャは、残ったカクテルを飲み干した。
すると、今度は少し気分が高揚してきた。
「あの依頼を冷静に否定する自分も私。そして……私を舐めたような眼で視るヒジリを、コテンパンに叩きのめしたいと思う自分も私。ふふ、なんだかいい気分になってきた」
「悩みは晴れましたかな?」
「ああ。なんだか思い切り暴れたい気分になってきた」
「ここでは勘弁してくださいよ?」
サーシャは笑い、マスターも苦笑していた。
◇◇◇◇◇
サーシャが帰り、マスターはグラスを磨いていた。
すると、店のドアが開き、一人の客が入ってくる。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「───『雪はもう止んだ』」
「……そうですか。では、晴れたんですね」
「───『いや、淡い雪だ』」
「…………」
マスターは、一枚のコースターをテーブルに置いた。
そこに書かれていたのは、絡み合った蛇。
「……ようこそ、『絡み合う蛇』へ」
マスターは、にこやかな笑顔で客に微笑みかける。
客はブルリと震え、コースターを手に店を去った。
誰もいなくなった店内で、マスターは小さく呟く。
「サーシャさん。人は誰もが、見せられない顔を持っているんですよ」
バー・『追想の淡雪』のマスターではなく、世界最高の暗殺教団『絡み合う蛇』の盟主にして最強の暗殺者マーレボルジェは、サーシャに見せたのと同じ笑顔で笑っていた。





