スタンピード戦①
「…………」
ハイセは、宿屋で古文書を読んでいた。
スタンピード対策会議から十日。各クランはスタンピード戦の準備をしている。
武器、食料、雑貨などを他国から緊急輸入し、他国から増援の冒険者を手配。四大クランにも増援を頼んだが、『神聖大樹』から五百名ほど弓士が派遣されてきただけだった。
どうやら、他の四大クランは、大々的に協力するつもりはない。
ハイベルグ王国にある、四大クランの支部に所属する百名ほどの冒険者を貸し出すだけだ。
「…………これは使えるな」
ハイセは、新しく使える武器を増やしていた。
古文書。
異世界の文字で書かれた本。何度も繰り返して読んでいると、読めるページが増えていく。
時間をかければ全部読める……そう思っていたのだが、古文書が終わる気配がない。
まるで、ハイセが読むたびにページが増えるような。そんな本だった。
「使える武器はこれで二十。試し撃ちしたいけど……」
現在、冒険者ギルドは全ての依頼を一時中断。
王国内の住人は外出禁止。食料は配給製になった。
スタンピードのことが、大々的に知らされたのだ。
王国を出る住人も多かった。そして今、王国は封鎖……分析によると、スタンピードは数日以内に発生すると、A級ダンジョンを監視している冒険者から報告があった。
ハイセは、宿屋の一階で薄い紅茶を飲む。
そして、金貨を数枚置いた。
「延長一か月、朝食と紅茶付きで」
「…………」
店主からの返事はない。
ハイセが延長料金を払う日は適当だ。払って数日後にまた払うこともあるし、払い忘れそうになったこともある。
今回は、前に払ってから二十日後の支払いだ。妥当な期日だが、店主は何も言わない。
「…………もう、いらんよ」
「……?」
「うちはもう廃業だ。スタンピード……また、あの悲劇が」
「……あんた、知ってるのか?」
「ああ。三十年前、ワシはスタンピードに襲われた村の出身だ」
「え……」
「娘夫婦、孫を失った……この宿屋はな、ワシが娘夫婦に譲るために、苦労して買った物件なんじゃ。この物件を買うために下見に来ていた……その時、スタンピードが発生し、ワシの村は壊滅した」
「…………」
「何も……何も残らなかった。住んでいた家も、娘夫婦がやっていた宿屋も、孫が大事にしていた人形も……遺体も。あったのは更地だけ、魔獣の足跡だけ……ワシの村は、魔獣たちの通り道だったんじゃ」
「…………」
「小さな村の宿屋だった。娘夫婦は、王都で宿を開きたいと言った……孫が大きくなれば学校にも通わせられる、ワシは反対しなかった……貯金をつぎ込んで、このボロ宿を買った……今でも思う。内緒にせず、プレゼントなど考えず……一緒に、下見をしに行けば……」
店主の持つ新聞紙が、ぐしゃぐしゃになっていた。
身体が震え、涙が新聞紙を濡らす。
ハイセは、何も言わなかった。
そして、店主のいるカウンター席に、金貨を置く。
「延長、一か月。朝食と紅茶……それと、新聞付きで」
「…………」
「スタンピードで壊滅なんかしない。王都は俺が守るからな」
「…………お前さん」
カウンター席に近づいて、店主と顔を合わせたのは初めてだった。
いつもはチラッとしか見ない。
だからこそ、今気付いた。店主の足元に大きなビンがあり、そこに大量の金貨が入っていることに。
ハイセが支払った金貨は、ほとんど手つかずだった。
きっと、店主がこの宿屋をやっている理由は、金のためでも生活のためでもない。『王都で宿屋を始める』という娘夫婦の夢を、代わりにやっているだけなのだ。
それは、贖罪なのか……ハイセにはわからないし、どうでもいい。
「じいさん、あんたが死ぬまで、ここは俺の拠点だ。だから、死ぬまで生きろ。あんたが娘夫婦の代わりに宿屋を続けてるなら、最後までやりきってくれよ」
「…………」
「それに、前にも言ったよな? ここの軋むベッドや、壊れかけた床板の音とか、けっこう好きなんだよ。薄い紅茶も、硬いパンも、慣れると病みつきだ」
「…………ハッ」
店主は、ハイセの前で初めて笑った。
テーブルの金貨を掴み、足元のビンに入れる。
「延長一か月、朝食と紅茶、新聞付きだな……用意しておこう。その代わり、言ったことは守れ」
「ああ」
「ふん、生意気な……」
ハイセは笑い、宿屋を出ようとした。
「…………ありがとうな」
何か聞こえた気がしたが、気のせいだと決めて宿を出た。
◇◇◇◇◇
サーシャは、スタンピード戦の準備に追われていた。
所属チームは二十。総勢百名ほどのクラン『セイクリッド』は、それぞれのチームが王都を守るための意欲に燃えていた。
だが、サーシャは決めていた。
サーシャは、チームのリーダーを集めて説明する。
「前線へ出るのは、私たち『セイクリッド』だけ。残りのメンバーは、王都の防衛だ」
事前に、決めていたことを今日説明する。
『セイクリッド』所属のA級チーム、『ダイモンズ』のリーダー、バフォメが言う。
「やっぱりアンタはそう言うと思ったよ」
二十代後半、妻子持ちのバフォメは苦笑する。
現在、A級チームは四チームの『セイクリッド』……リーダーは全員妻子持ちだ。
バフォメだけではない。残り三チームのリーダーも、苦笑していた。
「悪いが、これは決定事項だ。A級チームは城壁の防衛、B~C級は最終防衛ラインで待機、D級以下のチームは城下町の巡回だ」
「ま、待ってください!!」
ロランが挙手。
サーシャは、ロランを見た。
「ぼ、ボクたちも前線に出れます!! このクランに入って鍛えられたおかげで、能力だって強くなったし、その……」
「わかっている。だからこそ、本部待機ではなく、城下町の巡回なんだ」
「ど、どうして……」
「……私が、まだ未熟だからだ」
「え?」
「クラン『セイクリッド』は、結成間もないクランだ。最前線に出るのは、全員がS級認定されてもおかしくない、古参クランの冒険者たちばかり……我々は、クランとしては未熟なんだ」
「…………」
「みんなが、私を信じて付いてきてくれることは知っている。その期待に応えたいと思う。だが、もう少し時間が欲しい。きっと、みんなが誇れるクランになる」
「サーシャさん……」
クラン『セイクリッド』は『セイクリッド』だけが最前線へ。残りのチームは王都の防衛と巡回という仕事だった。これは冒険者クランの会議で正式に決まっていた。
もちろん、他のチームでも警備と巡回はある。
だが、最前線に出るチームは、各クランからは四十以上、冒険者の合計は二千を超える。ここに他国からの救援などを含めると、総勢七千以上の冒険者が集まり、最前線で戦うことになる。
「スタンピードまで残り数日……全員、気を引き締めて挑むように」
会議が終わり、サーシャ以外退室。
そして、チーム『セイクリッド』のメンバーが入ってきた。
「全員で戦うの、久しぶりじゃねぇか? タイクーン、大丈夫かよ?」
「当然だ。そういうレイノルドこそ、武器の手入れはしているのか?」
「当たり前だろ。な、ピアソラ」
「気安く話しかけないでくれますぅ? んんサーシャぁぁ……久しぶりに、一緒に戦えるぅ」
「ああ。みんな、頼むぞ」
「まっかせてよ!! あたしたち無敵の『セイクリッド』に、敵なんていないんだから!!」
クラン『セイクリッド』は一丸となり、スタンピード戦に挑む。





