変わらない夜景、輝く夜空。
ある日、ハイセは一人、一度も入ったことのない寂れたバーで飲んでいた。
なんとなく、適当に、外観が悪く誰もいないようなバーに入ってみたのだが、意外にも悪くない。
外観はボロッちくこじんまりとした店だった。
地下に続く階段を降り、古ぼけたドアを開けると、優しいクラシカルなBGMが出迎えてくれる。
席はカウンター席のみ。後ろも狭く、人が一人通れるか程度の広さ。
マスターも、会話という行動を知らないような武骨な男性だ。「注文は」と言い、ハイセはお任せで注文……何の飾り気もないカクテルが出され、それっきりグラスを磨いている。
下手に話かけてこないだけ、ハイセにとって評価が高い。
(最近、騒がしい連中といたしな……)
特に、今日は酷かった。
ソロで依頼を受けようとしたらクレアが付いてきて、途中で依頼帰りのヒジリとプレセアに会い、結局四人でハイセの依頼を受けた。
適当に報酬を渡して解散するつもりだったが、ヒジリに無理やり焼き肉屋に連れ出され、しかもなぜかハイセの奢り……そしてさらに途中でロビン、ミイナが混ざり、もうとにかく騒がしかった。
金貨を数枚置き、なんとかその場を離脱……今頃、楽しくやっているだろう。
いつもは通らない道を通って帰る途中、このバーを見つけ、入ってみたのだ。
(悪くない……)
ハイセはグラスを静かに傾け、アイテムボックスから読みかけの本を出す。
マスターを一瞬だけ見ると、ハイセをチラッと見ただけですぐグラス磨きに戻った。
(本当に、いい店だ)
自分の『隠れ家』にちょうどいい。ハイセはそう思い、本を開くのだった。
◇◇◇◇◇◇
一時間ほど、飲みながら読書をしていると……バーのドアが開いた。
特に注意を向けていなかったが。
「お、ハイセ」
「む……奇遇だな」
レイノルド、タイクーンが入ってきた。
ハイセも驚いた。まさか、見つけたばかりの『隠れ家』に、いきりなり知り合いが現れたのである。
ため息を堪え、ハイセは「ああ」とだけ言い、読書を再開する。
「おいおい、挨拶くらいしろって。あ、マスター、いつもので」
「ボクも同じものを」
慣れている。
どうやらこの店は、レイノルドたちの『隠れ家』のようだ。
「いやー、サーシャとピアソラがロビンに呼び出されてな。どうやらヒジリと焼き肉屋で騒いでるらしいぜ。あいつ、焼き肉と聞いて目を輝かせていた」
「全く。男のボクらより食べるからタチが悪い」
サーシャも呼ばれたのか……と、ハイセは『残らなくてよかった』と改めて思う。
レイノルドの前にはウイスキー炭酸割り、タイクーンの前にはフルーツカクテルが出された。
特にグラスを合わせず、二人は一口飲む。
「……ここ、お前ら常連なのか?」
ハイセは読書を中断、二人に聞いてみた。
レイノルドはナッツを食べながら頷く。
「まーな。まあオレの場合、常連の店だけで百軒はあるぜ」
「ボクはここと数軒だけだ。地下、落ち着きのあるBGM、店の雰囲気……読書をするのにちょうどいい」
同感……と、ハイセはタイクーンに同意。
レイノルドはウイスキー炭酸割りをおかわりし、ハイセに聞く。
「な、ハイセ。オレ……サーシャにフラれちまった」
何を言えばいいのか、酔った勢いなのか。
レイノルドを見ると、どこか悲し気な笑みを浮かべていた。
「ま、勝ち目なんてなかったけどな。でもまあ……自分の気持ちにケリ付けるために告白して、見事撃沈……まあ不思議と、そんなに落ち込んでねぇんだ」
「…………」
ハイセは何も言わず、グラスの酒を飲み干す。
「マスター、こいつにもオレと同じの」
「……」
飲み終わると同時に、レイノルドは間髪入れずに注文する。
逃がさない、そう言っている気がした。
ハイセの元にウイスキー炭酸割りが出されたので、仕方なく飲む。
「…………」
「美味いだろ?」
ウイスキー炭酸割り、初めて飲んだが、美味だった。
グラスを置くと、レイノルドは言う。
「な、ハイセ。お前はさ……サーシャのこと、どう思ってんだ?」
「…………さあな」
「サーシャは、お前のことが好きだぞ。仲間、幼馴染、同郷の人間、友人としての好きじゃない。『愛』しているって意味の好きだ」
「…………」
なんとなく、そんな気はしていた。
レイノルドに告白され、断ったと言ったサーシャ。その次に出て来そうになっていた言葉は……恐らく、愛の言葉だ。
だが、ハイセには本当に理解できない。
こんな、戦うことしかできない、好きになるようなことなんてした覚えのない、真っ黒なS級冒険者のどこに、惚れる要素があるのか。
「俺にはわからない。愛とか好きとか、そんな感情を捨てて今まで戦ってきた。禁忌六迷宮も残り一つ……気を抜いてる場合じゃない」
「同感だ。レイノルド、ハイセの言う通り、ボクらは大事な時期だ。愛だの恋だの、そういう感情はひとまず後にすべきだと思う」
タイクーンの言う通りだった。
ハイセはグラスを飲み干す。
でも……一つだけ、言うことがあった。
「俺は、禁忌六迷宮を踏破しても変わらない。最強の冒険者として、死ぬか、引退するまで『闇の化身』であり続ける……あいつらにもきっと、俺なんかよりもお似合いのやつが現れるさ」
「……それ、逃げてるだけだぞ」
「……あ?」
「理解しろよ。それとも、愛を受け入れて変わっちまう自分が怖いのか?」
「そうじゃない。俺は」
「ハイセ……逃げ続けることで、逃げられない想いに縛られるサーシャを見たいのか?」
「……………」
ハイセは何も言わず、金貨を一枚置いて店を出た。
◇◇◇◇◇◇
ハイセは一人、夜の街を歩いていた。
真っすぐ宿に帰る気にはなれず、飲み屋街を抜け、観光地でもある『展望台』へ。
展望台は、この辺りでは一番高い『塔』だ。螺旋階段を上った先で城下町を見下ろせる。
展望台を上り、ハイセは思い出していた。
「……そういえば、サーシャと登ったことあったな」
ハイベルグ王国に来たばかりのころ。
サーシャと二人、展望台に登り城下町を眺め……。
「一緒に強くなろう……」
「──!!」
振り返ると、サーシャがいた。
風が吹き、月光に照らされキラキラと銀髪がなびき、輝く。
髪を手で押さえ、微笑を浮かべ、サーシャは言う。
「ここで、互いに強くなろうと誓ったな」
「お前、なんでここに」
「ヒジリたちは二次会に行った。私は帰る前に酔いを覚まそうと思ってな」
「…………」
「まさか、お前がいるとは」
サーシャはハイセの隣に立ち、町を見下ろす。
「変わらない……私たちはこんなにも変わったのに、ここから眺める夜景はちっとも変わらない」
「……変わった、か」
「ああ。私たちは強くなった。S級冒険者として……それだけじゃない。考え方も変わって、こんな私を慕う者も……私たちは、大人になった」
「…………ああ」
城下町だけじゃない。
見上げると、星空も輝いている。この輝きも変わらない……これからも、ずっと。
「なあ、サーシャ」
「……ん?」
「……」
ハイセは戸惑った。
今、何を聞こうとしたのか。
レイノルドと話したせいなのか、サーシャを意識してしまう。
「……っ」
「ハイセ?」
「……レイノルド、タイクーンと飲んだ。たまたま同じバーに入ってな」
「……そ、そうか」
「なあ、サーシャ。お前は……俺の、どこがいいんだ?」
「え……」
聞いてしまった。
逃げられない想いに縛られる。『愛』だの『恋』だのに縛られるサーシャなんて、ハイセは見たくないと思っていた。
「俺は……誰かに好かれるような人間じゃない。わからない……なんで俺なんかを。……俺は変わらない。これからもずっと『闇の化身』のままだ。愛されるようなことなんて」
すると、サーシャの手がそっと、ハイセの頬に触れた。
「気付いていないんだな。お前は……お前が関わった人たちはみんな、お前のことを嫌ってなんかいない。イーサンやシムーン、クレアにプレセア……他にもたくさん。みんな、お前のことを愛している」
「…………」
「私だってそうだ。素直になれなくて、お前に辛く当たって、追放して……一度はお前との縁が切れた。でも……ずっと心残りだった。でも……」
サーシャが目を閉じ、ハイセに口づけをしようとした。
どうすべきか。
受け入れてしまえば、どうなるのか。
壊れてしまうような、蓋をしていた『』が溢れ出し、本能のままサーシャを襲ってしまいそうだった。
だが、サーシャは受け入れる気もした。
頭が混乱し、手が震え、ハイセはサーシャの胸に手を伸ばし……その柔らかそうな膨らみを掴もうとした時だった。
「──……ッ!!」
「ッ!!」
ハイセとサーシャは離れ、ハイセは自動拳銃を抜き、サーシャはアイテムボックスから剣を抜く。
向けた先は、展望台の入口。
「邪魔するつもりは欠片もなかったよ」
ゆっくりと現れたのは、二十代後半の女性。
「というか、今日はやめようとも思ってた。でもねぇ、あんたらの勘が異常すぎるんだ」
ツノが生え、肌が褐色になり、顔立ちが変わる。
現れたのは、魔族。
ハイセはすでに冷静さを取り戻し、自動拳銃を突きつけたまま言う。
「久しぶりだな、カーリープーラン」
「ああ。久しいねえ……『闇の化身』」
それは、『大魔盗賊』の頭領にして魔族。かつてシムーンを誘拐し、魔法王国プルメリアを手に入れようとした女だった。





