宿屋の主人ホーエンハイムの一日
ハイセたちの住まう宿屋の主人、ホーエンハイム。
彼の一日は日が昇った直後に始まる。
ホーエンハイムは毎日、決まった時間に目を覚ます。かれこれ数十年同じ時間に起きるので、体内時計の目覚ましが完璧にセットされていた。
着替え、母屋から宿屋へ移動。
新聞受けの新聞を取り、受付カウンターと食事スペースのあるハイセの席に置く。
そして、食事スペースと受付カウンターの掃除をする。
すると、シムーンがやって来た。
「おはよう、おじいちゃん」
「ああ、おはよう」
ホーエンハイムはにっこり笑う。
ハイセの連れてきた、新しい孫。
かつてスタンピードで家族を失い、孤独に過ごしていたホーエンハイムの新しい家族。
いつ死んでもいい……そう思っていたこともあったが、死ねない理由ができた。
少なくとも、イーサンとシムーンが結婚するまでは……そして、お節介で意外に世話焼きなS級冒険者が、この宿を出るまでは。
シムーンは、さっそく朝食の支度をする。
この間、ホーエンハイムは掃除を続け、ちょうど三人分の朝食が完成すると、イーサンが宿屋に入ってきた。
「ふあ……じいちゃん、姉ちゃん、おはよう」
「ああ、おはよう」
「おはよー、イーサンお皿並べてー」
「はーい」
ホーエンハイムにとって、この朝食の時間は何より幸せな時間だった。
三人で食事……話題は、今日の仕事について。
「おじいちゃん。わたし、今日は香辛料を買いに行ってくるね。イーサン、手伝って」
「はーい。あ、買い物終わったらおれ、ヒジリさんと修行するから」
「ああ、好きにやりなさい。シムーン、お金は足りるか?」
「うん。大丈夫」
朝食を終えると、イーサンはフェンリルにエサを、そして朝の訓練を始める。
シムーンはホーエンハイムにお茶を淹れ、食器の片付けを始める。
ホーエンハイムは受付カウンターに座り、新聞を読み始めた……すると。
「……ふあ」
ハイセが、欠伸をしながら降りてきた。
そして自分の席に座り、新聞を広げる。
「おはようございますハイセさん」
「ああ、お茶くれ」
「はーい」
新聞を少し読み、お茶を飲む。
その後に朝食……このスタイルはずっと変わっていない。
そして少し静かな時間が流れ……ドアが開き、バタバタ階段を下りる音がした。
「おはようございますっ!! 師匠!!」
「お前、何度も何度も言ってるだろ……朝っぱらからデカい声出すな」
「はい!! あ、シムーンちゃん、私と師匠の朝ご飯をお願いしますっ!!」
「はーい」
ハイセは「ったく」と呆れ、新聞を閉じる。
二人が朝食を取り始めると、静かに階段を下りてくるエクリプス。
「おはよう、二人とも」
「おはようございますっ!!」
「……ん」
エクリプスが席に座ると、シムーンが朝食を運んで来る。
そしてすぐに、エアリアが階段を飛び降りて着地する。
「朝!! シムーン、ご飯っ!!」
「はーい」
エアリアが最後だ。
このころにはハイセも朝食を終え、新聞と紅茶を楽しんでいる。
クレアはハイセの隣で新聞をのぞき込み、エクリプスは静かに紅茶を楽しんでいる。
エアリアはパンをモグモグ食べ、宿屋はとても賑わっていた。
◇◇◇◇◇◇
ハイセたち冒険者がギルドに向かうと、宿屋はとても静かになる。
「じいちゃん、おれ風呂の掃除するね」
「ああ、ゆっくりでいいからな」
「大丈夫!! そのあとは宿の掃除と、母屋の掃除、それと姉ちゃんの買い物は午後に行くね!!」
「宿屋はワシが掃除するから、母屋を頼むよ」
「ん、わかった!!」
シムーンはキッチンで、夜の仕込みをしている。
ホーエンハイムは宿の掃除。まずか一階から始まり、二階の廊下や窓掃除をする。
部屋の掃除は、女性はシムーン、ハイセはホーエンハイムが担当している。自然とシムーンの負担が多いので、ホーエンハイムは一階と二階の廊下掃除を担当していた。
シーツを交換し、窓ふきやモップ掛けなどで終わらせる。
洗濯なども、部屋にあるカゴに入れておけば、ホーエンハイムたちがやることになっていた。
「ふう……」
ホーエンハイムは一階の掃除を終え、二階の掃除を始める。
渡り廊下を掃除し、ハイセの部屋へ。
ハイセの部屋は、難しい本が山積みになり、壁のボードに古文書の解読結果や研究データなどが張ってあった。
それ以外は特に何もない。ベッドのシーツを交換するくらいで終わってしまう。
掃除を終えると、ホーエンハイムは受付カウンターで休憩だ。
シムーンはまだ掃除をしているが……最初は手伝おうとしたが、仕事が楽しいのか「自分でやらせて!」と手伝わせてくれないのだ。
イーサンも、風呂掃除を終えて母屋の掃除をしている。
なので、ホーエンハイムはフェンリルのエサやりをすることにした。
『きゃん!!』
「さあ、メシの時間だぞ」
餌皿と水を交換すると、フェンリルはガツガツ食べ始める。
ホーエンハイムは、イーサンが作り直した犬小屋を見た。
「ふむ、本職のようだ」
『くぅ?』
「いや。お前の家は立派だと思ってな』
フェンリルを撫でると、尻尾がブンブン揺れた。
◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
「あーお腹空いたぁ……シムーンちゃ~ん」
「はーい」
「メシくれ~!!」
「はぁい。クレアさん、エアリアさん、お席でお待ちくださーい」
クレア、エアリアが帰ってきた。
そしてエクリプスが戻り、最後にハイセが戻ってくる。
その様子を見ながら、ホーエンハイムは思う。
『町には、酒場も飯屋もいくらでもあるのに……』
若い冒険者たちは、この宿に戻り、シムーンの作る料理を楽しそうに食べる。
「ね、ハイセ。いいワインを買ってきたけれど……少し飲まない?」
「……もらう」
「あ、私も欲しいですー!!」
「あたいも!! おーい主人、主人も飲もうー!!」
エアリアがニコニコしながらホーエンハイムに手招き。
少し前まで、考えられないことだった。
ホーエンハイムはハイセを見ると、軽く肩を竦めていた。
「……やれやれ」
「あ、おじいちゃんも飲むの? じゃあはい、グラス」
本当に、騒がしくなった。
だが、悪くない……ホーエンハイムはそう思い、シムーンからワイングラスを受け取るのだった。





