九つの試練『神の箱庭』⑪/大好きなおばあちゃん
「が、っは……」
ヒジリは、もう何度目かわからない嘔吐。
胃液しか出るものがなく、その胃液には血が混じっていた。
ヒジリの前には、育ての親であり師のミカガミがいる。全くの無傷で、どこかつまらなそうにしていた。
「ヒジリ、立ちな」
「うっぐ……」
「立ちな!!」
怒声が響き、ヒジリは立ち上がる。
ミカガミは、大きなため息を吐いた。
「……お前、なぜ『剛拳』しか使わないんだい? お前にもウィングー流『柔拳』を骨の髄まで叩きこんだはずだがねぇ?」
「だって……柔拳、アタシに合わないんだもん」
「馬鹿モンが。合う合わないの問題じゃないだろう? 剛と柔は表裏一体と、口を酸っぱくして教えたはずだがねぇ」
「うぅ……」
「はあ……どうせ、これまでの戦いも剛拳だけでやってきたんだろう? 全く、嘆かわしい」
「……むぅぅ」
「ほら、立ったならかかって来な。剛だけじゃなく、柔も使うんだ」
「わかった。だったら、使ってやる!!」
ヒジリは呼吸を整え、ミカガミに向かって突っ込んできた。
が、緩急を付けた高速移動により、ヒジリが分身したように見える。
「ウィングー流柔拳法、『揺歩』」
「ほう、いい足さばきだ」
「か~ら~の~……」
ヒジリがミカガミの真正面に立ち、右手を開いて伸ばしてくる。
が、ミカガミはその手をパシッと払う。
その瞬間、ミカガミの背後に回ったヒジリが、ミカガミの腕を掴み、足払いをして叩き付けた。
「『霞払い』!! ───……あれっ!?」
だが、腕を掴んで投げた瞬間、ミカガミが空中で加速し、その勢いで一回転。
掴んでいたヒジリが加速の勢いに負け態勢を崩し、ミカガミが逆にヒジリの手を掴んで投げを打ち、地面に叩き付けた。
「『旋風流し』……うんうん、柔の腕も錆びついていないねぇ」
「……おばあちゃん、マジ強すぎ」
「あったり前だよ。こちとら、これに人生捧げたんだ。お前に全て叩きこんだつもりだけど、まだまだ負ける気なんてしないさ」
「うー……じゃあ勝ち目ないじゃん」
「……あるさ」
ミカガミは、ヒジリの腕を掴んで無理やり立たせ、その胸をポンと叩く。
「お前は、あたしにない力があるだろう?」
「……能力のこと?」
「そうだ。ウィングー流、そして能力。二つを組み合わせてこそ、お前の最強なんだ」
「でも……」
「迷うんじゃない。でっかい気持ちで向かってきな」
「おばあちゃん……」
「さあ、もう一度だ……ふふ、わかるよヒジリ、お前の気持ちは。でもね……お前には、外で待っている人、仲間、友人がいるんだろう? こんな死んだババア相手に、無駄な時間使ってる場合じゃないよ」
「…………」
本当は───……わかっていた。
柔を使わないのも、能力を使わないのも……使えば、終わってしまうから。
もう二度と会えないと思っていた、大好きな師との時間が終わってしまうから。
「ヒジリ……お前はいい子だ。あたしはお前の記憶から生み出された模造品に過ぎないんだ。遠慮なく」
「できるわけないじゃん!!」
と───ヒジリは、涙を流しながら叫んだ。
戦うと決意した……だが、やはりだめだった。
それくらい、ミカガミが大好きだったから。
「……ごめんおばあちゃん。情けないよね、馬鹿だよね……でもやっぱり、嬉しいの。おばあちゃんにあえて、稽古してもらって……うれしいの」
「……ああ、あたしもだよ。でもヒジリ」
「わかってる。アタシ……でなくちゃいけない。泣いてる暇なんてない。でも、でも」
「…………」
ミカガミはヒジリに近づき、そっと頭を撫でた。
そして、優しく抱きしめ、何度も何度も撫でる。
「忘れるんじゃないよ。ヒジリ」
「…………」
「あたしは死んだ。でも、心はお前と共にある。死んでも、お前のことを愛してる」
「……おばあちゃん」
「さあ、ばあちゃんに見せておくれ。お前の……本当の強さを」
「……」
ヒジリはミカガミから離れ、涙を拭い……両手を広げた。
すると、金剛に輝く両腕がヒジリの腕に装着。背後に無数の腕を持つ神仏像が現れた。
「金剛拳・終式───……『金剛観音千手神像』」
サーシャとの戦いですら使わなかった、ヒジリ最後の切り札。
現在ヒジリが生み出せる最強最高最硬度の金属で生み出した、ヒジリが想像する『最強の神』の化身が、ヒジリの動きと合わせ、千以上ある腕を動かし、拳を握る。
ミカガミは笑った。そして、言う。
「感謝するよ。あたしの人生最後、最強の敵と戦える!!」
その言葉は、ヒジリを弟子でも、娘でも、孫でもない、一人の敵として送る言葉だった。
それはヒジリにとって、胸を打ち心に染みる言葉。
ヒジリも笑った。
「いくよ」
「ああ!!」
ヒジリとミカガミは全力で衝突───……決着は、四十秒後だった。
◇◇◇◇◇◇
ヒジリは、倒れたミカガミを起こし、壁際に寄りかからせた。
そして、自分も隣に座る。
「おばあちゃん……アタシ、強かった?」
「ああ。最高だった……ふふ、あたしの人生で、最も強い敵だったよ」
「そっか……えへへ」
「……ヒジリ。一つ、アドバイスをしよう。もっともっと強くなりたいだろう?」
「え?」
ヒジリがミカガミに顔を向けると、ミカガミがヒジリの胸に触れた。
「でっかくなったねぇ……」
「邪魔なのよ。あたし、おばあちゃんみたいにペッタンコがよかったなあ」
「……別の意味でも負けた気がするね」
「で、もっと強くなるのはどうしたらいいの?」
ミカガミは、ヒジリの胸に触れ、ポンと叩いた。
「恋をしな」
「……こい?」
「ああ。あたしは生涯独身だったけど、恋をしなかったわけじゃない。大好きな男と一緒に戦った時は、今までの何倍も強くなれた。ふふ、その人がいたら、今のお前にも負けなかったかもねぇ」
「……それ、ほんとなの?」
「ああ。ヒジリ、胸に手を当てて目を閉じな。そして、自分が最も会いたいと思う男を思い浮かべるんだ」
言われた通りすると、ヒジリの目に浮かんだのは。
「……ハイセ」
「ハイセ……そいつに、恋をしているかい?」
「わかんない。でも、ブッ倒したいとは思ってる。この禁忌六迷宮をクリアしたら、戦うつもり」
「そうかい。まだ恋じゃなくてもいい。いずれ、自分の恋を見つけて、愛を知りな。きっとその愛が、お前をどこまでも強くしてくれる」
「……愛」
「ふふ、さあそろそろ時間だ」
すると、部屋の奥に扉が現れた。
同時に……ミカガミの身体が、消えていく。
「おばあちゃん……」
「もう泣くんじゃないよ。あたしとお前は、十分語り合った……行きな。振り返るんじゃないよ」
「うん……」
ヒジリは立ち上がり、歩き出す。
ミカガミも立ち上がり、ヒジリの背中を見た。
ヒジリは扉に向かって歩く……その身体が、震えていた。
そして、ドアノブに手をかけ……涙をボロボロ流しながら振り返り、頭を下げた。
「押忍!! ありがとうございましたぁ!!」
頭を下げ、ミカガミの顔を見ないように叫び……ドアを開け、先に進んだ。
残されたミカガミは。
「……馬鹿たれ。振り返るなと言ったのに」
ミカガミは、ボロボロと涙を流していた。
そして……その身体が透き通り、完全に消えていった。
『───……じゃあね、ヒジリ』
別れの言葉はきっと、ヒジリには聞こえなかった。





