九つの試練『神の箱庭』⑤/白、橙、赤
白の扉を潜ったサーシャ。
扉の先は真っ白で、足を踏み込むと背後にあった扉が消えた。
扉があった空間に手を伸ばすが、空を切るだけ。
「戻れない、か……だったら、進むのみだ」
振り返り、白の先を歩き出す。
サーシャは、改めて空間内を確認してみた。
「周囲は白。建造物などはナシ。呼吸は可能。足下は……硬いな。だが、この白さはどうも気分が悪い……長時間滞在するべきじゃないな」
だが、もう後戻りできない。
この空間で何日も過ごすことになるかもしれないのだ。サーシャは気を引き締め、何が現れようと対応できるよう、周囲を警戒する。
「……みんなは、大丈夫かな」
九つの扉に入った者たちは、全員が強者だ。
何が現れても冷静に対処できるだろう。そう思い、サーシャは自分のことを第一に考え、両頬をパンと叩いた。
「よし!! 私はこの『白の扉』を攻略する。さぁ、何でもかかって来い!!」
自分を鼓舞するため、気合を入れた時だった。
『へえ……何でもだって?』
「!!」
突如、目の前に黒い球体が現れた。
モヤのような球体。白い空間で唯一の漆黒……サーシャは剣を抜き、闘気で全身を包み込む。もう油断も隙もない、S級冒険者序列四位『銀の戦乙女』がそこにいた……が。
『お前、誰を相手にするか、わかってんのか?』
「……えっ」
黒いモヤが、形作られていく。
漆黒のコート、眼帯、真紅の瞳。
そして、腰の両側にあるホルスターから自動拳銃を抜き、サーシャに突き付けるのは。
「は……ハイセ? な、なぜお前が」
『はっ……敵を前に理由なんか聞くのか? 俺を追放した女がよ』
「あ……」
ブルリと、手が震えた。
次の瞬間───ハイセの拳銃が火を噴いた。
サーシャは瞬間的に剣を盾のように構えて銃弾を受ける。
『仲間は傷付けるのに、自分を守ることだけは必死だな』
「は、ハイセ……わ、私は」
『来いよ。やろうぜ、サーシャ』
サーシャは気付いていない。
このハイセが幻影だと。白の扉の試練である『幻影の試練』が始まったことも。そして、ハイセに対する負い目が、サーシャにとって最大の弱点であるということも。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「……おいおい、マジか」
ウルは、貴族が着る礼服を着て、見覚えのある部屋にいた。
意識はしっかりしている。顔や手に触れると実体であり、夢を見ているわけではない。
鏡を見ると……ウル・フッドがいた。
だが、若い。
「これは……十五くらいの時か。しかもここ、プルメリア王国フッド侯爵家の屋敷。か~……っ、マジかよ。過去に飛ばされ……いや、これは『神の箱庭』の見せる幻覚か?
過去に戻る能力なんざ聞いたことねぇし、魔族のスキルでも不可能だろ」
サーシャよりは冷静だった。
ウルは、立派な机の上にあった花瓶の花を見る。
葉を一枚千切り、部屋の隅にある別の花瓶に向けて投げると、葉は勢いよく飛び、花瓶に吸い込まれるように入った。
「能力は使えるな。さて……この『橙の扉』をどう攻略するか、考えねえとな」
と、襟を緩めようとした時だった。
ドアがノックされ、小さな女の子が入ってきたのだ。
「おにいちゃん、いる?」
「……ああ、そういうことか」
ウルは頭を抱えたくなった。
そして、思い出した。
現在十五歳。そして、入って来た少女……ロビンは十歳。
あと一年でウルはフッド侯爵家を追放され、冒険者となる。
「おにいちゃん?」
「……なあロビン」
「なーに?」
プルメリア王国、フッド侯爵家。
プルメリア王国は魔法系能力を持つ者を優遇する。だが、ウルの能力は『必中』という、特殊系の能力だ。そして、なんとなく思い出した。
この日は、ウルが『能力』を確認し、『必中』の能力だとわかり、家族が絶望した日。
そして、ウルの冷遇が始まることが明らかになり、一年後には家を出ようと思った日。この日からウルは能力を鍛えることになる。
ロビンも同じ『必中』を持つと知るのは、ロビンが十二歳……ウルが家を出て一年後のことだ。
ウルは、ロビンに聞いた。
「お前、オレと冒険者になるか?」
「えー? おにいちゃん、冒険者になりたいの?」
「ああ。オレの能力、聞いただろ?」
「うん。おとう様が言ってた……役立たずだって」
「まあな」
二人には、年の離れた兄と姉がいる。二人とも魔法系能力者であり、兄はプルメリア王国所属の魔法騎士。姉も同じ魔法騎士で、二人とももう間もなく結婚する。
あと一年……ウルが家を出れば、ロビンは一人になる。そして、自分の能力を知り、家出をして、ウルに出会い、ハイセたちと出会う。
当時は、まさかロビンが『必中』を持っているとは思っていなかったので、驚いた。
(今はまだロビンは可愛がってもらってるけど……能力を確認したら待っているのは冷遇、そして侯爵家の婚姻道具としての道だ。感謝するぜ……迷宮の試練でも、やり直しできるなら、やり直させてもらう)
ウルはロビンの頭を撫でる。
「ロビン。『必中』は、役立たずなんかじゃない。鍛え抜けば、どんな能力にだって負けない、とっても強い能力なんだ」
「そーなの?」
「ああ。そしてロビン、お前にもオレと同じ能力がある。今から鍛えて、オレと一緒に冒険者になろう」
「……???」
ウルが何を言っているのかわからないのか、ロビンが首を傾げた。
ウルがやろうとしているのは、『自分の手で妹を鍛え、導く』というものだ。このまま未来に進んでも、ハイセやサーシャと出会い、ロビンは成長していく。
でも……やはりロビンは、ウルの妹なのだ。
同じ能力を持つ妹を、自分が鍛えてやりたい。S級冒険者序列五位『月夜の荒鷲』と呼ばれた経験を、強さを、叩き込んでやりたい。
「ロビン、兄ちゃんと一緒に行かないか?」
「ねーねー、そんなことより、一緒にあそぼっ」
橙の扉を潜った先にある『後悔の試練』……ウルは無自覚に、正しい攻略手順を踏んでいた。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「す……素晴らしい!! ああ、素晴らしいぞ!!」
赤の扉を潜った先にあったのは……とんでもない量の『蔵書』だった。
ハイベルク王国にある王立大図書館には、約十四万七千冊の蔵書が保管されているが、ここにある蔵書はその比ではない。
タイクーンはハァハァしながら分析する。
「お、落ち着け……れれ、冷静になれ」
タイクーンは、近くにある本棚を見上げた。
「ふむ。本棚か……蔵書は見た感じ、一つの本棚に五百といったところ。それが見渡す限り存在する……こうして眺めるだけでも、千、二千以上はある」
つまり、十万冊以上、ヘタしたらその倍以上の蔵書がある。
本を手に取り確認する。
「作者、アンドレイ・ニコラウス……知っている著者だ。彼の研究は星の軌道、太陽の軌道についてだったかな。内容も……待て、この内容、ボクは知らないぞ!? そうか、これは未発表作品か!?」
驚愕するタイクーン。
そして、その棚には『アンドレイ・ニコラウス』の著書が全て並んでいた。見覚えのある本もあり、タイクーンが知らない本もある。
本をアイテムボックスに入れようとしたが、弾かれた。
「持ち出しは不可能……む?」
本を手に取った瞬間、遥か先に『巨大な扉』が現れた。
タイクーンは本棚に本を戻し、巨大な扉を確認すべく歩き出す。
ざっと二時間ほど歩き、ようやく到着した。周囲を確認しながら歩いたが、やはりここは本棚しかない。
さらに妙なことがあった。
「ふむ。二時間、速足で歩いたが……全く疲労がない。それに、喉も乾かない、用も足す必要もない。恐らく食事も、睡眠も必要ない……そして」
巨大な扉の前に、大量の『人骨』が散らばっていた。
全て、服を着た人骨だ。
そして、扉の前には、巨大な羊皮紙があった。羊皮紙にはびっしりと文字が書かれており、その内容を確認する。
「これは、問題用紙か……ああそうか、そういうことか」
問題の数は、ざっと一万問。
ペンとインクもあった。そしてタイクーンは理解した。
「ここにある蔵書をヒントに、この一万問の問題を解け、ということか。そして正解すれば扉が開く……その間、食事も睡眠も必要ない。この人骨たちは過去の挑戦者、だが、これだけの問題、書物に耐え切れず、自害したということだな」
人骨を確認すると、どれも自死した形跡があった。
食べることも寝ることもできず、ひたすら問題を解くだけの時間に疲れてしまったのだろう……だが、タイクーンは眼鏡をクイッと上げた。
「ずっと、思っていた……食事や睡眠などの時間を、読書や研究に回せれば、と。く、ククク……クハハハハハッ!! 最高、最高じゃないか!! これだけの蔵書を、たった一人で読んで、この一万の問いを解け? ああ、最高だ!! 素晴らしい!! ありがとう禁忌六迷宮『神の箱庭』!! ここはボクの楽園だ!!」
赤の扉……『知識の試練』を引いたタイクーンは、人生最高とばかりに叫び、さっそく問題に取り掛かった。
ちなみに『赤』は闘争本能を刺激する色。ここに入った多くの者たちが、読書など無縁の戦士たちばかり。
そう言う意味でも、タイクーンは大当たりだった。
 





