今と過去
ハイベルグ王国、王都リュゼンから西に向かうと、小さな沼地がある。
ここは、『シロツメの草』の群生地。回復薬の素材であり、希少な薬草だ。
ハイセは一人、沼地にやって来た……そう、ここはかつて、ハイセが右目を失った場所。
「…………懐かしいな」
ここ数年で地形が変わったのか、街道から外れ、人が入った様子もない。
シロツメの草が自生し、成長し、真っ白な花が咲き誇っていた。そして沼もどういう理屈なのか不明だが浄化され、透き通る湖になっている。
魔獣の気配もない。隠れた秘境のような場所。
ハイセは真っ白な花畑に踏み込む。黒いコートを着たハイセは、とても目立っていた。
「……こんな場所があったんだな」
ふと、よく響く声が聞こえた。
振り返るとそこには───……銀髪をなびかせ、白い鎧姿に剣を差したサーシャがいた。
風が吹き、髪が流れ……そっと手で押さえる。そんな姿がとても似合っていた。
「……俺が右目を失い、『能力』に覚醒した場所。俺はここで『闇の化身』になった」
そう言い、ハイセは湖に目を向けた。
すると、白い魚がパシャっと跳ね、また潜る。
「お前を呼び出した理由……わかるか?」
「…………」
二人きり。
チーム『セイクリッド』もいない。プレセアの精霊もいない。
誰の邪魔も入らない、完全な二人きり。
ハイセはサーシャを呼び出し、サーシャは仲間に気付かれないよう一人で来た。
「お前に、いろいろ言いたくてな」
「……ああ」
風が吹き───……ハイセの髪とコートが揺れる。
サーシャの髪が揺れ、シロツメの花びらが舞う。
「今更、仲直りなんてできない。それに……改めて気付かされた。俺はやっぱり、お前たち『セイクリッド』を許すことはできない」
「……」
「でも……お前と同じ気持ちもある」
「同じ、気持ち……?」
「ああ。また、お前と話したり、メシ食ったり……一緒に協力して戦ったり。何気ない日常の片隅に、お前たち『セイクリッド』がいてもいい……そう思った」
「ハイセ……」
サーシャは少し目を見開き、何か言おうとして……口を閉じる。
今はまだ、ハイセのやさしさに甘えるわけにはいかない。
「サーシャ、お前の気持ちも聞かせろ。噓偽りのない、お前の気持ちを」
「…………」
サーシャは一歩、二歩と進み……手を伸ばせば届く距離までハイセに近づく。
そして、顔を上げ、まっすぐハイセを見て言う。
「私は、お前を追放した」
事実を言う。
サーシャにとっても、間違いのない、確実なことを。
「私は『ソードマスター』として強くなった。でもお前は一向に『能力』に覚醒せず、その苛立ちをお前にぶつけ……最終的にお前は付いてこれないと確信し、追放した。今でも言える……あの判断は、間違いじゃなかった」
「…………」
「お前のためにと渡した情報でお前は死にかけ、奇しくも強くなった。私たちへの怒り、恨みを糧にして『闇の化身』となり、S級冒険者として最強になった……私は、お前に合わせる顔がなく、ずっと逃げていた」
「…………」
「でも、お前と向き合い……謝罪し……お前との間に、新たな絆が生まれ、育っていくのを感じていた。私が一方的に謝罪しようとして満足しただけで、お前から許すとは一言も聞いていないのにな」
「…………」
「私は、お前に甘えていた。お前がくれる優しさに甘えて……自分が満たされることだけを優先し、新しい絆を否定するお前の気持ちを、踏みにじった……!!」
サーシャは拳を握り、顔を伏せ、歯を食いしばる。
ハイセはサーシャから目を逸らさなかった。
そして、サーシャは顔を上げる……瞳に、涙をためて。
「すまなかった……!! ハイセ、私は……それでも、お前との絆を、失いたくなかった。醜くても、情けなくても……それが私の本心だった」
「……そっか」
「ハイセ、私は……」
「もういい。それがお前の気持ちなら……それでいい」
「……え?」
ハイセは、人差し指をサーシャに向け、涙を掬う。
「俺はお前たちを許さない。でも、新しい絆も否定しない」
「……あ」
ハイセはポケットから、小さな鍵を取り出す。
「サーシャ、俺と一緒に……禁忌六迷宮『神の箱庭』を、攻略しよう」
「……っ、ぁ、っぁあ!!」
サーシャは涙を拭い、頷きながら返事をした。おかげで変な声が出てしまう。
サーシャはアイテムボックスから古い木箱を取り出す。
そして、ハイセの鍵が木箱に触れると、木箱が淡く輝いた。
魔法的な鍵が外れ、箱が開きそうになる。サーシャは蓋を押さえた。
「攻略には九人、必要なんだな?」
「ああ。私たち『セイクリッド』が五人、ハイセ、プレセア、ヒジリ。そしてエクリプスで九人だが……」
「待て。一応、何かあった時のために、『セイクリッド』のメンバーを何人か残しておけ」
「やはりそう言うと思ったぞ、ハイセ」
「そうだな……扉は九つ、一人一つの扉しか入れないなら、単騎でも戦闘ができるメンバーで行くのがベストだ。ピアソラ、援護特化のロビンも残しておくべきか」
「待て。クランをまとめるなら、レイノルドを残す手もある」
「タイクーンは?」
「……うむ。その辺はクランで話し合う。そうなると、他のメンバーをどうするかだな」
二人が真面目に話し合っていると、風が吹く。
ふと、会話が止まり……ハイセとサーシャは見つめ合い、サーシャが笑った。
「ふふっ……禁忌六迷宮のことばかりだな」
「四つ目の禁忌六迷宮だ。ここを踏破すればあと二つ……もう少しだ」
「そうだな……なあハイセ、少し息抜きしないか?」
サーシャは湖際まで向かい、レガースを脱ぎ、チャプチャプと入っていく。
「おい、何を」
「ふふ、気持ちいいぞ。この場所……私とお前だけの、秘密の場所にするか?」
「あのな……俺はここで右目失ったんだぞ」
「あ……そ、そうか」
「……まあ、あの頃とは全く違う場所に見えるし、いいけどな」
「そ、そうか!! ふふっ」
仕方なしとばかりに、ハイセも湖際まで近づく。サーシャのように水に入ることはなく、近くの岩に腰かける。
魚が跳ねるのを見て、ハイセはおもむろにアイテムボックスから釣竿を取り出した。
「釣竿って……お前、釣りなんてするのか?」
「まあな。というか、野営道具の一つだ。けっこう魚跳ねてるし、今日は仕事休みだしな」
「そうか……じゃあ、私も休憩しようかな」
サーシャはアイテムボックスから、テーブルや椅子を出す。
そして、カップを二つ出し、果実水を注いだ。
「さ、いっぱい釣ってくれ。お昼を楽しみにしているぞ」
「……食う気満々だな」
今、この瞬間……二人は幼馴染に戻り、休日を満喫していた。
こうして、ハイセとサーシャは和解。
完璧な和解ではない。ハイセはまだ『セイクリッド』を許していないし、サーシャも許してもらったなんて思っていない。
でも、こうして新しく生まれた『絆』を否定することは、もうない。
一緒に笑い、食事し、同じ依頼を受けることもある。
そんな時間を過ごすくらいは、二人も受け入れた。





