そのころのサーシャ
「………………………………はぁ」
「ちょっとクソデカため息やめてよ」
「そうね。というか、呼び出したのなら、理由説明してくれる?」
バー『ブラッドスターク』にて。
サーシャはプレセア、ヒジリを呼び出し、相談に乗ってもらおうとしていた……が、呼び出して十五分、クソデカため息を吐くだけで一向に話そうとしない。
ヒジリはすでに三枚目のステーキを注文。サーシャの奢りなので一切の遠慮がない。
プレセアは、数種類の果実を混ぜて作ったカクテルを飲みながら、仕方ないとばかりに言った。
「ハイセとの仲がこじれて、どうしたらいいかわからないんでしょ」
「!?」
「え、そうなん? ってかそんなのいつも通りじゃん」
「な、プレセア、なぜ知っている!?」
「あなたにくっつけた精霊を介して見ていたから」
「そ、そんなのいつの間に!? お前、今すぐ外せ!!」
「言っておくけど、覗き見したいわけじゃないわ。あなたに精霊をくっつけているのは事実だけど……あなたに付けた精霊が騒ぎ出したから、あなたに何かあったんじゃないかと確認しただけよ」
「え……そうなのか?」
「ええ。さすがに、そこまで失礼なことしないわ。私の知り合いがいつ、どこで行方不明になっても居場所がわかるようにしているだけ。探知魔法みたいなものよ」
「そ、そうなのか……」
「勝手に付けたことは謝るわ」
そう言い、プレセアは自分と同じ果実酒を注文。サーシャの前に向かってグラスを滑らせた。
サーシャはグラスを受け取り、一気に飲む。
「……甘い」
「で、無様に泣いて、どうしたらいいかわからない……それで相談、ってことね」
「ちょっと、最初から説明してよー」
「……私も少し落ち着いた。ちゃんと説明する」
サーシャは、これまでの経緯を二人に説明した。
◇◇◇◇◇◇
「あんたが悪いじゃん」
話を聞くなり、ヒジリが言った。
「そもそも、ハイセを追放したあんたが悪いじゃん。イライラをハイセにぶつけてさ、ハイセのために追放ーとか、そんなのハイセが喜ぶわけないじゃん。で、過去を忘れて、ちょっとだけヨリが戻ってきたからまた仲良くーとか……で、ハイセがそれ拒絶したんでしょ? あんた、泣く資格ないし、ハイセの決意を止める権利ないわ」
聞いていたプレセアも唖然とするような、どストレートな答えだった。
これがヒジリ。はっきり言って相談には向いていない。
恐る恐るサーシャを見ると……案の定、沈んでいた。
「……お前の言う通りだ」
「でしょ。だったら、ハイセと『神の箱庭』を賭けて決闘、受けるべきね」
「……う」
サーシャは、顔を歪ませて頭を抱えた。
できない。したくない。でも他に思いつかない……正論を受け、今にも髪を掻き毟りそうな勢いだ。
プレセアは、何を言おうか迷った……サーシャとハイセ。幼馴染同士。こじれた二人。
このままいけば、ハイセとサーシャの仲は、決定的になる……もちろん、悪い方向に。
そう思った時、プレセアは自分の胸を押さえた。
(最悪ね、私……)
少なくとも、プレセアは……サーシャのことを友人と思っていた。
同時に、負けたくない相手。
心の中にある『醜い』部分が、ひょっこりと顔を見せたような気がした。
そんな時だった。
「サーシャちゃん。はい」
「……え?」
「ハーブティー……心が落ち着くわ」
バーのマスター、ヘルミネ。
サーシャの前に、この店には似つかわしくない、こぎれいなティーカップが出された。
鼻をくすぐる薬草の香り。サーシャはハーブティーを口に付け……ぽろぽろと涙をこぼす。
「……おいしい」
「そうでしょ? ふふ、私が調合したハーブティーなの。新作よ?」
「……マスター」
「ごめんなさいね。お話、聞いちゃった。ね……私からいい?」
「……」
サーシャは頷く。プレセア、ヒジリは何も言わずに聞いていた。
◇◇◇◇◇◇
「私ね、ハイベルグ王国に来る前は……アドラメルクにいたの」
「アドラメルクって、聖十字アドラメルク神国?」
ヒジリが言うと、ヘルミネは笑顔で頷いた。
だが、プレセアは難しい顔をする。
「……あそこ、異種族に対してあまりいいところじゃなかったけど」
「ええ。私、父はナーガ、母はサキュバスって珍しい種族。しかも私はハーフだからね……父は高名な冒険者で、母もそのパーティーの一員だったの。おかげで私は毎日、家で一人だったわ。しかも……人間の子供たちに、よくいじめられてたわ」
いじめ。
聖十字アドラメルク神国は、元々は『人間至上主義』の国だった。
亜人、異種族を受け入れず、人こそが神の遣いであり、『混ざりもの』は邪教徒である。そういう教えが普通に浸透し、種族差別は当たり前の国だった。
だが、それは数百年前の話。
「確か、大昔に伝説の冒険者チームの一人のおかげで、人間至上主義は撤廃されたはずよね」
「そうね。伝説の冒険者チーム『ヒノマルヤマト』……アドラメルクでは英雄であり、悪でもあるわ。父も母も、その人たちに憧れて冒険者になったそうよ」
ちなみに、その『人間』の名はノブナガ。ハイセと同じ『能力』を持つ『イセカイ』の人間である。
「今では差別も少なくなったけど……やっぱり、完全には消えてないの。私は『混ざりもの』って言われて、ずっといじめられてたわ。でも……一人だけ、私を受け入れてくれる子がいた。私の幼馴染の男の子なの」
「幼馴染……男の子」
サーシャが反応する。
ヘルミネは頷き、自分用にシェリー酒を注ぐ。
「その子は、私と仲良くしてくれたわ。すっごく強くて、身体を鍛えるのが大好きで……冒険者になって、私を連れだしてくれるって約束したの」
「「「…………」」」
「でも、無理だった」
両親が死に、ヘルミネは一人で暮らすことを余儀なくされた。
働き口は多くない。亜人の子、混ざりものの子と揶揄され、日銭を稼ぐのも大変だった。
家を売り、なけなしの金を抱え、彷徨う毎日。
どこに行っても虐げられ、蔑まれた。
幼馴染の男の子だけが、心配してくれた……だが。
『ほっといて!! こんな惨めな私に、優しくしないで……』
『…………』
会いたくなかった。
期待の冒険者として、周りからチヤホヤされている少年。
ヘルミネは、自分の境遇と重ね、逆恨みし……少年と会うたびに、痛烈な言葉を浴びせた。そして、少年が帰ったあと、毎日後悔して泣いた。
ヘルミネはシェリー酒を飲む。
「あの子を拒絶した。でも……あの子は何度も、私の元に来てくれた。嬉しかったの……でも、私はあまりにも惨めで、あの子が会いに来るたび、拒絶した。今でも後悔してる。もっともっと、優しい言葉を……あの子の優しさを受け入れたら、って……でも私、最後は彼に拒絶されちゃったの」
「えっ」
ヘルミネはシェリー酒を飲み干し、グラスの縁をなぞる。
「一度だけ、勇気を出して言ったの。あなたと一緒にいたい、って……でも、その時彼は首を振った。『それ以上言わないでくれ』って……ああ、終わったんだなーって思ったわ。自分が散々拒絶して、後になって手のひら返しで『一緒にいたい』なんて、都合がよすぎるもんね。私、もうアドラメルクにいたくなくて……初めて『異能』を使ったわ」
異能。
それは、亜人種族が持つ生まれつきの能力。
サキュバスなら『魅了』で、ナーガなら『怪力』といったように、種族ならではの力のことだ。
「私は、御者を魅了してハイベルグ王国に向かった。新しい土地で生きていこうと思ってね。アドラメルクでは異能を使うと捕まる可能性があったからね……それに、ハーフである自分のこと、あまり好きじゃなかったから」
ヘルミネは、グラスを洗い場に置き、サーシャに言う。
「今はもう、遠い人になったわ。でも、私は今でも忘れていない……あの人のこと」
「……マスター」
「サーシャちゃん。私はなんとなくわかる。サーシャちゃんみたいに、幼馴染の男の子を拒絶して、後悔して……でも、ハイセくんみたいに、自分一人になって何でもやって、ハイベルグ王国で酒場を持てるくらいまで頑張ったわ。でもね、心の中には思い出があるの。どんなに拒絶しても、拒絶されても……思い出は消えない。過去は消えない」
「…………」
「何度でもやり直せばいいわ。ううん、やり直す努力をしなきゃ。たとえ、ハイセくんの心に深い傷があっても、その傷の原因がサーシャちゃんだとしても……二人は離れ離れになったわけじゃない。必ず、やり直す機会はある」
「…………やり直す」
「うん。きっとできる、私はそう思うわ」
「……マスター」
ヘルミネは手を伸ばし、サーシャの目元をハンカチで拭う。
「頑張って、サーシャちゃん」
「…………」
ヘルミネの笑顔はまぶしく……同時に、少し悲しく見えた。
◇◇◇◇◇◇
閉店。
ヘルミネは一人、グラスを洗いながら思い出していた。
「……一人で頑張った、か。本当は……助けてくれる人がいたんだけどね」
店を持つのは、簡単なことではなかった。
でも……一人だけ、ヘルミネに手を貸してくれる人がいたのだ。
閉店後のバーのドアがノックされ、ヘルミネはドアを開ける。
「ああ、ガイストさん」
「近くに来たから、顔を出してみた」
「どうぞ、中へ」
ガイストを中に入れ、軽いお酒を出す。
そう、ガイスト。彼がヘルミネを助け、手を貸してくれた恩人。
「……最近、どうだ?」
「いつも通りですよ。ああ、サーシャちゃんのお悩みを聞いてあげたわ。どうなるかわからないけど……彼女ならきっと、立ち直れる」
「…………そうか」
父親のような、そんな恩人。
ヘルミネにとってガイストは、そんな人だった。
「……ヘルミネ」
「はい?」
「……シグムントのことを、覚えているか?」
「え?。ええ、もちろん」
S級冒険者序列六位『技巧の繰り手』シグムント。
忘れるわけがない。ヘルミネの大事な思い出……幼馴染の男の子の名前。
ガイストは、ヘルミネの事情を全て知っている。
「ワシがお前を助けたのは偶然じゃない。シグムントは……ワシの甥なんだ」
「え……」
バーからあまり外に出ない、世間に疎いヘルミネは知らなかった。
情報は、バーのお客の会話だけ。買い出しは近所で済ませ、普段は家からあまり出ない。なので、ガイストの家族関係なども知らなかった。
「お前がハイベルグ王国に向かったと知ったシグムントは、ワシに連絡を取った。お前を助けてほしい……そう、涙ながらにな」
「……な、なぜ。彼は私のことなんて」
「誤解なんだ、ヘルミネ」
ガイストが言うと、バーのドアが開いた。
そして、そこに立っていたのは、シグムントだった。
「……し、シグムント」
「久しぶり、ヘルミネ」
シグムントは部屋に入るなり、頭を下げた。
S級冒険者序列六位が、何の迷いもなく。
「許してほしい……きみに、辛い思いをさせた」
「ど、どういうこと……?」
「オレは、きみを拒絶したんじゃない。その……ちゃんと、自分の口から言いたかったんだ」
「……え?」
「『それ以上言わないでくれ』って言ったけど……あれは、『それ以上言わないでくれ、オレの口から言わせてくれ』って言うつもりだった。きみがいなくなって、めちゃくちゃ落ち込んだ…。オレも大人になって、ようやく覚悟も持てた」
「ど、どういう」
「その……いきなり現れて言うことじゃないし、もっと段階を踏むべきだし、いろいろ言いたいことあるだろうし、馬鹿みたいに聞こえるけど……ヘルミネ、オレと結婚してほしい」
「…………え」
「ずっと好きだった。子供のころから……いやその、えっと」
「……ふふ、なにそれ……あなた、ばか?」
ヘルミネは涙を流し、クスクスと笑い出す。
シグムントも、どこか照れつつ顔を赤らめていた。
すれ違い同士だった幼馴染が、こうして再会した。とびっきりの愛をもって。
ガイストは完全に気配を消し、ドアの音もさせずにバーを出ていた。
「……ようやく覚悟が決まった、か」
バーを振り返りながら、そう思う。
かつて、七大冒険者に任命された時、シグムントはガイストに報告に来た。
が……本当の目的は、ヘルミネの様子を見に来ることだった。そして、ヘルミネを見て『覚悟』を決めるために、シグムントはこの日のために準備をしてきたのだ。
「やり直せる、か。ハイセ、サーシャ……お前たちもきっと」
そう呟き、ガイストは夜の街に消えるのだった。





