こじれた二人
「師匠、どうしたんです?」
宿に戻ると、クレアがシムーンの作ったクッキーをイーサンと二人で食べていた。
シムーンは紅茶のポットを手に、イーサンは両手にクッキーを持ち、モグモグと咀嚼。宿屋の主人はハイセを見るなり怪訝そうな目をした。
「……別に」
「む……嘘ですね。絶対何かあった顔してますー……あ、サーシャさんですか?」
ピクリと、眉が反応してしまった。
クレアも察したのか、追及してくる。
「喧嘩でもしたんですかー?」
「……」
「あ、あれ? 師匠、どこ行くんですか? 師匠?」
このままここにいると、怒鳴り散らしてしまいそうだった。なのでハイセは無言で宿を出る。
クレアは首を傾げ、イーサンとシムーンは顔を見合わせる……すると。
「……放っておきなさい」
「え?」
「……今は、何も言わん方がいい」
宿屋の主人がそう言い、新聞をパサッと広げた。
奇しくも、この中で一番ハイセを理解しているのは、宿屋の主人だった。
◇◇◇◇◇◇
ハイセは宿を出て街を歩く。
すっかり夜。冒険を終えた冒険者たちが大衆食堂で武勇伝を語ったり、静かなバーでカップル同士が酒を飲み、娼館ではひと稼ぎした冒険者たちが快楽を求め歩みを進めている。
だが、ハイセは何もする気になれなかった。
腹も減っていない。だが、思わず口に出た。
「……晩飯。シムーンに悪いことしたな」
ぽつりとつぶやき、立ち止まる。
夜の王都は、昼間と違う顔を見せる……立ち止まったせいか、誰かと肩がぶつかった。
「いってぇ……なんだお前、ぼーっとしてんじゃねぇよ」
ハイセより少し年下の冒険者だ。
男三人、女二人のチームだ。まだ新人だろう、ハイセがS級冒険者序列一位『闇の化身』と気付いていない。
ハイセは無視。すると、頭に来た冒険者がハイセの肩を掴んだ。
「おい!! 無視すんじゃねぇ、謝れよ!!」
「…………」
「んだこいつ、眼帯なんかしやがって……ぶちのめされてぇのか?」
ハイセは、かれらに何の感情も湧き上がってこなかった。
だが心の中は、ぐちゃぐちゃしていた。
サーシャたちとの間にできた新しい『絆』を否定し、再び一人で歩き出そうとした……だが、サーシャに『絆』を失いたくないと涙され、迷ってしまった。
そして、気付いてしまったのだ。ハイセの中にも僅かだが……『サーシャたちとの絆を失いたくない』と思う自分がいることに。
「おらっ!!」
「っ」
殴られた……が、それでも何の感情も湧き上がってこない。
大したダメージはない。倒れも、よろけもしない。
「…………」
サーシャは、弱かった。
S級冒険者序列四位『銀の戦乙女』……強く、高潔で、輝く闘気を纏い、数多くの冒険者を率いる若き女傑。
幼馴染であり、自分を陥れ、チームから追放された恨みはある。だが同時に、その在り方を尊敬した。
でも……駄々をこねて泣く弱い少女も、サーシャの中にいた。
そのことに失望……いろいろな感情が混ざり合い、無気力になっていた。
「なんだこいつ、やり返さねぇぞ。おい、やっちまおうぜ」
「おい、金持ってるか?」
「ちょっと、やめなさいよー」
ハイセに群がる新人たち。女も「やめろ」と口で言うが、どう見ても笑っていた。
そんな時だった。
「……ったく、無知ってのは時に、愚かを通り越して憐れに見えるぜ」
キザったらしい声。
帽子を押さえ、ボロボロのマントをなびかせ、咥え煙草をする男が近づいて来た。
新人の一人が無視し、ハイセを殴ろうとするが……その拳をパシッと受け止める。
「おいおい、何してるんだ? ぼーっとしちまってよ」
「…………お前」
「よ、久しぶり……と、言いたいが、この状況は何よ?」
「…………」
「んだおっさん、放せよ!!」
おっさんこと、ウルは手をぱっと放す。
そして、クックと笑い、新人たちに忠告した。
「あのなぁ、新人用の簡単な依頼をクリアしてハイになる気持ちはわかる。お前ら、元チンピラだろ? 話し方と動きを見ればよーくわかる……で、お前らに質問。お前らは、誰に手ぇ出したかわかるか?」
「あぁ?」
「はー……こうして生きてるのだって奇跡みたいなもんだ。なあ、S級冒険者序列一位さんよ」
ウルがそう言うと、新人たちは意味不明と顔を歪める。
そして、新人たちの後ろから、指導係の冒険者たちが近づいて来た。
「おいお前ら、こんな往来で何やってんだ!!」
「あ、ボッスさん!! こいつらが調子乗ってて……」
と───ボッスと呼ばれた冒険者がハイセ、そしてウルを見て顔を青くした。
そして、光の速さでハイセとウルの前で土下座する。
「もももも、申し訳ございません!! その、こいつら何も知らないガキでして!!」
「ぼ、ボッスさん……?」
「こんの、大馬鹿野郎!!」
ボッスは立ち上がり、新人を殴り飛ばした。
「この方は、冒険者の頂点に立つ七大冒険者の一人、ハイセさん、ウルさんだ!! お前ら、誰に喧嘩売ったかわかってんのか!? おら、土下座しろ!!」
「「「「「ひっ……」」」」」
五人は一斉に土下座……だが、ハイセはどうでもいいのか、歩き出した。
ウルはボッスに、「次はねぇぞ」とだけ言い、ハイセの隣に並ぶ。
「ああ。おせっかいだったな……ちょっと迷ったが、何か様子がな……、あのままだと新人たちが可哀想だったしな……いろいろ言いたいこともあるだろうが」
「どうでもいい」
「……お悩みか。おれはてっきり、顔見せたら殺されるぐらいの覚悟もしてたんだがな」
ウルは、エクリプスの命令で一時的にハイセを狙った。
そのことを指摘されると思ったが、ハイセはどうでもいいのか歩き出す。
その様子が気になり、ウルは提案する。
「な……この近くに、オレの店があるんだ。何かあったんだろ? こういう時は、無関係のオレに全部吐き出してスッキリするのもアリだと思うぜ」
「…………」
ハイセはウルを見た。
妙な気分だった。なぜか、この男には話してもいい……そう思った。
◇◇◇◇◇◇
「で、何かあったのか?」
「…………」
ハイセは、ウルの店の二階にある個室にいた。
店はバー、一階は狭く、二階に貸し切りの個室が一つあるだけ。店のマスターはウルの古い知り合いらしいが、ハイセはどうでもよかった。
ウルは、ハイセにボトルを差し出す。
「『ワイルドキート』……穀物酒、けっこうキツイ酒だが。こいつを飲んで、溜まったモン全部吐き出しな」
「…………」
ハイセは穀物酒を飲む……言った通り、かなりキツイ酒だった。
ハイセは何も語らない。なので、ウルが言う。
「あー……一つ謝罪させてくれ。プルメリア王国のパーティーでお前を弓で狙ったが、当然当てるつもりはなかった。『銀の明星』と手を切る前、最後の頼みってことで聞いたんだ……あの依頼が終わって、オレはそのままハイベルグ王国に来た。また、孤独な風として吹かれるためにな」
「…………」
「なんだよ、覇気の欠片も感じねぇ……ふん、何かに絶望したか? それとも、大事なモンを失ったか? 酒の誘いに乗ったってことは、少しはオレに話す気になったか? 誰にも言わねぇし、秘密は墓までもっていく……話してみろよ」
「…………はあ」
ハイセはようやく、ウルを見た。
「…………くだらない話だ」
「酒の席での話は、大抵くだらねぇ話さ」
ハイセは、先ほどあった話をした……自分の心情も含めて。
サーシャとの絆を捨て、もう一度一人で歩む覚悟をしたこと。サーシャが涙ながらに否定したこと……そして、今の気持ちを。
全て話終えると、穀物酒を一気に飲み干した。
「ガキだな」
「……あ?」
ウルは「ははっ」と笑い、ハイセのグラスに穀物酒を注ぎながら言う。
「お前さんは昔と変わることを恐れて、変わらない道を選んだ。サーシャは、今と変わらないことを望み、変わろうとするお前を引き留めたかった……まあ、どっちも正しい選択だと思うぜ」
「…………」
「まあ、お互いその決断を受け入れられないくらいは、子供ってわけだ」
「……はっ、そうかもな」
「まあ、根っこにあるモンが深い。お前さんの追放……そして、その右目を失った『事故』……なあハイセ、お前さんは未だに、追放や右目の件を許していないのか?」
「……二つ、ある」
「あ?」
「一つは、過去の俺。決して許すなと叫ぶ俺。もう一つは、全てを許し、もう一度サーシャたちと歩めと叫ぶ、今の『絆』を許容している俺だ。どっちもいるから、俺には決断できない……ははっ、本当にガキだな」
「……かもなあ。まあ、それは大事だと思うぜ。必ずしもどちらかにしなくちゃいけない、そんな決まりはないからな。だったら、二つを交互に使え」
「……あ?」
「状況に応じて、二つのお前を上手く使えって話だ。過去のお前、今のお前……どっちかである必要なんてない。どっちもお前なんだ」
「……どっちも、俺」
「そうだ。許さないなら、許さないままで、サーシャたちとうまく付き合え。いつか本当にサーシャたちを許せる日が来るかもしれないしな。それに……過去を忘れることなんてできない。それは、サーシャたちだって同じだ。あいつらだって、お前を追放し、怪我を負わせた罪は永遠に消えない。あいつらも、それを抱えてお前に接してるんだ」
「……!!」
そういうことだった。
ハイセだけじゃない。サーシャたちもなのだ。
ハイセを追放し、右目を失うほどの怪我をさせたという事実は、永遠に残る。
「まあ、どう考えてるかは、わからんけどな……サーシャはお前との『絆』を失いたくないって思ってるのは、お前に対する負い目を含めての意味かもしれん。そういうのを含めて、あいつらはガキなのか……それとも、大人なのかもな」
「…………」
「あー、自分でも何言ってるのかわからなくなってきたぜ‥俺もまだガキかもな。ほれ、飲め」
「…………あ、あぁ」
ハイセは穀物酒を飲み、考えた。
どちらも自分。そして、抱えているのは自分だけではない。
「…………サーシャと、話してみるしかないな」
「ああ、そうだな」
「……ウル」
「お? お、おう」
初めて名前を呼ばれ、ウルは戸惑った。
「……ありがとよ」
「…………ど、どういたしまして」
思わず、丁寧な言葉でウルは返してしまうのだった。
 





