古ぼけた木箱
「ふむ……」
サーシャは、クラン『セイクリッド』のハイベルグ支部にある執務室で、『神の箱庭』の木箱を眺めていた。
どこからどう見ても、ただの古ぼけた木箱。
鍵穴はないのに、なぜか開かない。
力任せに開けようかと思ったが、木箱が壊れたら意味がないのでやっていない。
「これが、禁忌六迷宮……本当に、意味不明だな」
箱を器用に指先で回転させ、サーシャはテーブルに置いた。
やはり、鍵がないと開かない。そう思い、ため息を吐く。
「鍵はハイセ、か……協力を要請したら、受けてくれるだろうか」
過去の経緯はある、が……最近のハイセは優しい。
もちろん、過去のことをなあなあで済ませるつもりはないが、ハイセに話しかけ、返事が普通に返ってくることは、サーシャにとってうれしいことであった。
この辺りは、サーシャも子供だ。クランマスターとはいえ、まだ十七歳なのだ。
「……よし。ハイセのところに行くか」
現在、他のチームメンバーは、クランメンバーの指導などで不在だ。
近く、禁忌六迷宮『神の箱庭』を攻略することになる。今のうちに、できることはやっておこうと仲間たちで決めたのだ。なので、サーシャは休日……プルメリア王国での疲れを癒すことが仕事となった。
タイクーンも、本部でのんびり読書をしているだろう。だがサーシャは、休む気にはなれなかった。
それよりも……ハイセと話したかったので、支部まで来ていた。
「……お、お土産とかあった方がいいかな」
そんな風に、悩んでいる時だった。
執務室のドアがノックされ、事務員が言う。
「あの、お客様です」
「ここに来客? 今日は約束していなかったが」
「えっと……『エクリプス・ゾロアスター』と名乗っています。すっごく綺麗な方で……」
「え……エクリプス? こほん、わかった。会おう……ここに通してくれ」
「はい」
事務員は行ってしまった。
いきなりのエクリプスに、さすがのサーシャも驚いてしまう。
そして、再びドアがノックされ、エクリプスが案内されてきた。
「お久しぶり。というほどではないわね……サーシャ」
「エクリプス……本当にお前が? まさか、ハイベルグ王国に来るとは」
サーシャは、クラン『銀の明星』が壊滅したことを知っている。
表向きは『魔法実験による爆発』だが……エクリプスがハイセの逆鱗に触れた結果だと、なんとなく察していた。
ソファに案内すると、事務員が紅茶を運んでくる。さっそく一口飲むと、エクリプスは言う。
「いい茶葉ね。でも……シムーンの淹れた紅茶のが美味しいかも」
「そうか。私も、近く飲みに行くとしよう。で……要件は? それと、聞きたいことがある」
「焦らないで。そうね……先に、あなたの質問に答えるわ。なんでも聞いてちょうだい」
エクリプス・ゾロアスター。
白いワンピース、帽子、バッグ、靴……すべてが白で統一されていた。
余命幾ばくも無い窓際の令嬢、そういえば誰もが信じてしまいそうな儚さを感じる。だが、実際はS級冒険者序列二位の怪物だ。
サーシャは、テーブルに置いてあった『神の箱庭』を、エクリプスの前に置く。
「これを送って来た真意を聞かせてくれ」
「……私、ハイセを怒らせてしまったの」
「……は?」
「最初は、あなたたちを躍らせて楽しもうと思った。でも……私の想像を超えた光景を、ハイセは見せてくれたわ。ふふ……クランが潰されて胸がときめくなんて、クランマスター失格ね。でも……私、初めて恋をした……ハイセに」
「え」
「ハイセとあなた、禁忌六迷宮を攻略しているんでしょう? だから、それはお詫びの証。あなたとハイセで、禁忌六迷宮を攻略して欲しかったの」
「…………えっと」
何からツッコめばいいのか、サーシャは考えた。
そして、言う。
「こ、恋……とは?」
「そのままの意味。私、ハイセに恋をしたわ。生まれて初めての恋……胸の鼓動が止まらない。気が付いたら、クラン復興の指示を出したあと、ハイベルグ王国に来ていたわ。今は、ハイセの住む宿に部屋を取って、一緒に暮らしているの」
「え」
「でも……ハイセは、私を毛嫌いしている。私、もう一度ハイセとやり直したいの。だからサーシャ……協力してくれない?」
「…………」
いつの間にか、サーシャが質問するはずなのに、エクリプスのお願いになっていた。
ハイセに恋……サーシャは、S級冒険者としてでなく、一人の女としてエクリプスを見た。
「サーシャ、あなたはハイセと幼馴染でしょう? 追放の経緯はあるでしょうけど、協力してくれない? もちろん、お礼はするわ」
「……う」
サーシャが、ハイセに恋をするエクリプスのために、手を貸す。
考えただけで、胸がモヤモヤした。
「…………い、嫌だ」
そしてサーシャは、顔を赤らめそっぽ向くという、子供っぽい返答をした。
◇◇◇◇◇◇
一方ハイセは、冒険者ギルドにいた。
「…………」
今日は傍に誰もいない。
クレアはヒジリに誘われ討伐依頼へ。プレセアも採取依頼を受けて行った。
時間は昼の少し前。基本的に、依頼は早朝に張り出され取り合いとなり、残ったのは新人が受けるような低ランク依頼か、達成困難な依頼ばかり。
つまり、残った依頼こそ、ハイセの望む依頼。
「……お」
掲示板の隅に、『ブルーマリン・ドラゴン討伐』とあった。
討伐レートSS。ハイベルグ王国から西の湖に住み着いた凶悪なドラゴン。生態系を破壊し、湖がただの水たまりとなる前に討伐を……と、国からの依頼だ。
ハイセは依頼書をはがし、ミイナの元へ。
「あ、ハイセさん。すっごくお久しぶりですー」
「これ頼む」
「もう、世間話くらいしてもー……はいはい、受理しました。あのあのハイセさん、今夜ヒマですか? 久しぶりにギルマスと三人で飲みません? デイモンさんも誘ってー」
湖の場所は、ここから三時間ほど歩いた場所だ。意外に近い。
討伐し、戻ってからでも問題ないだろう。
「……まあ、いいぞ。ガイストさんに言っておけよ」
「はーい!! やった、プルメリア王国でのこと教えてくださいねっ!!
それが目的か……と、ハイセはミイナをジト目で見たが、ミイナはニコニコ顔で手を振った。
◇◇◇◇◇◇
三時間ほど歩き、湖に到着した。
湖は大きい。街道から離れた場所にあるが、ハイベルグ王国から近いのと、釣りの名スポットでもあることから道は整備されており、桟橋などもあった。
休憩用の椅子、小屋などもあり、付近の住民の憩いの場であるのに違いない…だが、今はドラゴンを恐れ誰も近づけない。
「…………あれか」
討伐レートSS、ブルーマリン・ドラゴン。
見た目は『巨大な青いカエル』だ。ドラゴン要素は背中にある翼と、長いオタマジャクシのような尾だけ。水棲生物なのか、湖を優雅に泳いでおり、時折口を大きく開け、湖の生物たちを大量に呑み込んでいるようだ。
依頼書によると、ブルーマリン・ドラゴンは海ではなく湖を主な住処としており、湖の生物を食い尽くしたらまた別の湖へ……を繰り返す。
水中では無敵。なので、水中で戦える能力者しか相手にできないことから、倒されたことはあまりないらしい。
「水中じゃ無敵か……それなら、顔が出ている今、仕留めるチャンスかな」
ハイセは右手を前に突き出すと……巨大な『鉄の筒』が召喚される。
それを肩に担ぎ、バッテリーと冷却ユニットであるBCEをセット。電源を入れスコープに表示されるブルーマリン・ドラゴンに照準を合わせる。
武器の名は、携帯式防空ミサイル。
「照準セット……喰らえ」
ミサイルが発射された。
一気に超音速まで加速したミサイルは、発射音と同時にハイセに気づいたブルーマリン・ドラゴンの側頭部に命中、爆発した。
ハイセが砲筒を消すと、ミサイルの残骸も消える。残ったのは側頭部が吹き飛び、ぷかぷか浮かぶブルーマリン・ドラゴンの死骸だけ。
「依頼完了。さて、回収するか」
ハイセはアイテムボックスからボートを出し、ブルーマリン・ドラゴンを回収するのだった。
◇◇◇◇◇◇
ギルドに報告し、素材の換金を終えると、ミイナとデイモンとガイストがギルド入口にいた。
「ハイセさーんっ!! お疲れ様でーす!!
「声がデカい。ガイストさん、お疲れ様です」
「ああ。さて、飲みに行くか」
「はい。デイモンさん、やっぱあそこ?」
「おう。ミイナとも話したけど、やっぱあそこ……お?」
と、デイモンが何かに気づき、視線を前に。
ガイスト、ミイナも前を見ていた。
ハイセもつられてみると、そこにいたのは。
「あら、ハイセ」
「……は、ハイセ」
「……なんでお前らが」
なぜか、サーシャとエクリプスが一緒にいた。





