ここにいる理由
S級冒険者序列二位『聖典魔卿』エクリプス・ゾロアスター。
現在、彼女はハイセの宿の食堂スペースにいた。しかも、ハイセの座る席の対面に。
クレアはハイセの隣に移動し、なぜかハイセの腕に抱き着いている。
「師匠師匠、なんですかこの人、なんでいるんですか」
「知るか。ってかくっつくな」
エクリプスは、紅茶を飲んでいる。
上品な仕草は貴族令嬢としての教育を受けたからなのか。カップを置くと、トレイを抱えたシムーンに向かって柔らかく微笑みかける。
「美味しい紅茶ね。ありがとう、お嬢さん」
「えへへ。嬉しいです」
「淹れ方も上手ね。ハイセに習ったのかしら?」
「いえ。プレセアさん……えっと、お知り合いのエルフの方に」
「なるほど。それに、カップも上質な物ね。いいセンスだわ」
「はい。わたしもお気に入りで」
カーリープーランの送ってきたカップ、そして紅茶である。
シムーンが嬉しそうにキッチンに戻ったのを確認し、ハイセは言う。
「で、報復に来たのか? やるなら相手になるが」
ハイセは自動拳銃を抜く。が……エクリプスは首を振る。
「求婚よ」
「へ? 球根? 花でも植えるんですか?」
「ハイセ。私……本気であなたが好きになったわ。私と、結婚を前提にお付き合いして欲しいの」
「「…………」」
ハイセは無言だったが、クレアは口を大きく開けて愕然としていた。
どストレートな、愛の告白。
だがハイセは緊張も、告白に浮かれることも、喜びもない。
「論外だ。まず、俺はお前が大嫌いだ。目の前にいるのも不快だ。はっきり言ってやる。消え失せろ」
「……そう言うと思った。まあ、いいわ」
「え、諦め早いですね」
「ってかお前はいい加減離れろ」
クレアはハイセの腕に抱き着いたままだ。ハイセに頭を掴まれて押されるが、意地でも離さない。
ハイセに頭を掴まれたまま、クレアは言う。
「そもそも、自分のクラン放って何してるんですか? クラン『銀の明星』は壊滅したって噂になってますけど」
クレアの質問に、エクリプスは初めて答えた。
「壊滅ね。まあ、建物が壊滅という点では間違っていないわね。魔法実験の失敗で、壊滅したというだけで、クランそのものが壊滅したわけじゃないわ。今、全力で校舎や研究棟の復旧作業中。研究資料や機材の発掘、修復も行っているから、完全復旧には一年ほどかかる見通しね」
「一年……長いんだか短いんだか、よくわかりませんね」
ちなみに、かなり早い方である。
研究棟の数は七十棟。本校舎の大きさは小さな村ほどある。普通に建て直すだけなら二年半ほどかかる。だが、エクリプスの伝手、資金を豊富に使い、修復を急がせている……それでも、一年だ。
「それで、エクリプスさんは何でここに? その……求婚とか。ってか、クランマスターなのに、こんなところにいていいんですか?」
ハイセがエクリプスと会話をするつもりがないので、クレアが質問する。
エクリプスは紅茶に口を付ける。
「全ての指示は出したわ。それに、生徒会メンバーもいる。さらに、魔法でここから声を飛ばせるし、私を模した『人形』もいるわ。つまり……私がここにいても、魔法学園にいても、何も変わらないの」
「へ、へえ……すごいですね」
「そう。それで、ハイセに会いに来たの。まあ、目的もあるけどね」
「……その目的を言え」
ようやくハイセが口を開く。
すると、エクリプスはアイテムボックスから、小さな鍵を出しハイセの前に置いた。
鍵は銀製。小さな輪っかに紐が通してあり、机の鍵にも見えた。
「私がサーシャに見せた『神の箱庭』の木箱の話し、聞いているでしょ?」
「…………」
「これは、木箱を開ける鍵。木箱は、サーシャに渡したわ」
「───!」
「ハイセ。この鍵をあなたにあげる。きっとサーシャは、あなたに『神の箱庭』攻略の協力を申し込んでくる。あなたが禁忌六迷宮に挑むチャンスよ」
「…………お前、どこまで俺を馬鹿にする?」
ハイセはクレアの腕を無理やり外し、前のめりになり、エクリプスの胸倉を掴んだ。
エクリプスは顔色一つ変えない。
「お前、まだ俺とサーシャで遊ぶつもりか? 神の箱庭? 今度は、俺とサーシャをそこに放り込んで楽しむつもりか? お前、カーリープーランよりも頭にくるな……死なない程度に拷問してやろうか」
ハイセは、エクリプスの手を掴み、人差し指の爪に指をかけた……その気になれば、無理やり剥がすこともできるように。
だが───それでも、エクリプスの表情は変わらない。
「勘違いしないで。私は、あなたを陥れるつもりはないわ。それに……『神の箱庭』攻略には、サーシャたち『セイクリッド』だけじゃ無理。あなたと……もしかしたら、序列三位の子や、あなたも必要になる」
「わ、私も?」
「……そして、私も」
「…………」
ハイセはエクリプスの襟から手を放し、椅子に座る。
座ると同時に、クレアが腕にしがみつく。
さっきよりも力が強いことから、どうやら甘えているのではなく、ハイセを押さえようとしているらしい。
「御託はもうたくさんだ」
ハイセは鍵を手に取り、エクリプスの紅茶カップに投げ入れた。
「ここは宿屋だ。お前が金払って滞在するのに文句は言わない……だが、俺に関わるな。俺の生活に入ってくるな。もし俺の周りを脅かすなら、容赦なく潰す」
そう言い、ハイセは立ち上がり、部屋に戻ってしまった。
クレアは気まずそうにエクリプスを見る。あれほど苛烈に他人を批判、拒絶するハイセを初めて見た。
すると、エクリプスは紅茶カップの中身を飲み干し……舌の上で、鍵を転がした。
「ふふ、本当に素敵。ねえあなた、クレアだったわね。この鍵……ハイセに渡してくれない?」
「……師匠はあなたを拒絶しました。諦めた方がいいんじゃないですか?」
「嫌。私、誰かに恋をしたのは初めてなの……どんなに拒絶されようと、きっとハイセと結ばれて見せるわ。ふふふ……」
恋。
クレアは否定しようとしたが、できなかった。
ハイセを想うエクリプスの表情は、年相応の少女にしか見えなかった。
歪んだ感情……そう思いたかったが、その表情を見ると、どうも嘘に見えない。
「あの、エクリプスさん……師匠のどこを好きになったんですか?」
「わからないわ。最初は、どこにでもいる『普通』の男かと思ったわ。強いだけの男なんて、いくらでも観てきたから……でもね、ハイセは違った。ハイセは、私の想像を超えた人だった。それがわかった時、胸の高鳴りが止まらなかったの……」
エクリプスは胸を押さえ、頬を染める。
これ、マジだ。
クレアは頬を染めるエクリプスを見てゴクリと唾をのんだ。
「ハイセのこと、夢にも見たわ。気が付いたら私、復旧作業の指示を出して、ハイベルグ王国に向かってたの……本当に、来るつもりなんてなかったのにね」
「そ、そうなんですかー……」
ちょっと重い。クレアはそう思った。
そして、少し考え込む。
「ふむ。エクリプスさんは、最終的に師匠とどうなりたいんですか?」
「結ばれたいわ。心も、身体も……私を満たしてほしい」
「そ、そうですか。えっと……まずは、師匠に好かれないといけませんね。今のエクリプスさん、師匠に滅茶苦茶嫌われてますから」
「そうかしら? 爪、剥がさなかったし、拷問されてもいいように、口の中に鎮痛薬を仕込んできたのだけれど……」
「え、えぇ~っと……」
ブッ飛んでる……と、クレアは何を言えばいいのか迷った。
というか、エクリプスなど無視して部屋に戻ればいいのだが、なぜか放っておけなかった。
「ね、あなた……クレアだったわね」
「あ、はい」
「その……手を貸してくれない? この鍵、ハイセに渡したいの。できれば……自分で渡したいの」
「えっと……その鍵、そんな大事なんですか?」
「ええ。これがないと、サーシャに渡した『神の箱庭』は開けないわ。ただの鍵じゃなくて、魔法を込めた鍵だから」
「はあ……それで、私の手も必要とか言ってましたけど」
「あの箱を開けると、いくつか入口が開くのよ。一人でどうにかなるものじゃない……禁忌六迷宮らしい、嫌らしいところね」
「そ、そうなんだ……ふむ」
「ね、手を貸してくれない? お礼はするから」
「……わ、わかりました」
こうして、クレアはエクリプスに協力することになった。
ハイセに『神の箱庭』の鍵を渡し、ハイセとエクリプスの仲を改善するために。
「……なんで私、こんな苦労をすることになってるんだろう」
部屋に戻ったクレアは、大きなため息を吐くことになるのだった。





