ガイストの『とっておき』
ガイストは一人、夜の居酒屋街を歩いていた。
そして、一軒のバー……『追想の淡雪』と書かれた看板が下がっているバーに入る。
店内には誰もいない。いるのは、カウンターで静かにグラスを磨く、温和そうな初老の男性だけ。
男性は、ガイストを見て柔らかくほほ笑んだ。
「いらっしゃいませ」
「───『雪はもう止んだ』」
「……そうですか。では、晴れたんですね」
「───『いや、淡い雪だ』」
「…………」
ガチャン!! と、入口のドアに鍵がかかる。
ガイストの前に、黒いゴブレットが置かれ、血のような深紅のワインが注がれる。
ガイストはゴブレットを一気に飲み干して言った。
「久しぶりだな。マーレボルジェ」
「……お久しぶりです。ガイストさん」
ガイストの表情は硬い。だが、バーのマスターことマーレボルジェは、温和なままだった。
マーレボルジェは、グラス磨きを再開しながら言う。
「あなたが、私のところに来るのは何年振りでしょうか」
「三十年前だ。お前が『絡み合う蛇』を立ち上げた時……」
「ふふ、あなたには随分と世話になりましたね」
「…………」
マーレボルジェは、黒いゴブレットにワインを注ぐ。
「マーレボルジェ、借りを返してもらいに来た」
「…………ほう」
「三十年前。お前を見逃した。その借りを返してもらおうか」
「……随分と、余裕がないようで」
ガイストはゴブレットを一気に飲み干す。
「ああ、そうだ。余裕がない……お前に頼らなければならないほどにな」
「そうですか。ふふ……誘拐事件でも起きたような、時間がないということですね」
「……貴様」
「『四十人の大盗賊』、ですね」
マーレボルジェはグラスを磨く手を止め、ワイン棚から一本のボトルを取る。
ワインオープナーでコルクを開け、コルクの匂いを嗅ぐ。
「『ディープレッド』の二百四十年物です。一本、金貨七百枚の価値があるワインです……ガイストさん、如何ですか?」
「もらおう」
ドン!! と、カウンターに白金貨を一枚置く。
マーレボルジェは頷き、店で最高級のグラスを出してガイストの前に置き、『ディープレッド』をゆっくりと注いだ。
ガイストは香りを楽しみ、口に含む。
そして、目を閉じてしっかり味わい、飲み干した。
「───いい味だ」
「そうでしょう。私の、とっておきの一本です」
しばし───ワインを堪能する。
そして、マーレボルジェは言う。
「『四十人の大盗賊』······今は、チーム増員のために動いているようです。シムーン……その子が狙われたのは、あなたが調べた奴隷オークションの『商品』だからですよ」
「何?」
「現時点で私が知るのは、『四十人の大盗賊』の本拠地。構成員数名の名前と居場所。トップであるボスの名前だけ……ひと月いただければ、全員の名前と能力と居場所を調べられますが」
「……時間がない。知る範囲だけでいい。あとは、ハイセがやる」
「ふふ、立派なお弟子さんがいるようだ」
マーレボルジェは、お土産用に新しいワインボトルをガイストへ渡した。
「本日は閉店でございます。お客様、またのお越しを」
「…………」
ボトルを受け取り、ガイストは店を出た。
そのまま自宅に戻り、ワインボトルを出す。
「……相変わらず、面倒な仕込みだ」
ワインボトルのラベルをはがすと……細かい字がびっしりと書き込まれていた。
現時点で、マーレボルジェが知る限りの『四十人の大盗賊』の情報。ガイストは一通り見て記憶した。
「ハイセ……敵は強大だ。気をつけろよ」
◇◇◇◇◇◇
ハイベルグ王国から数十キロ離れた岩場に、一台の馬車が留まっていた。
ハイセは、焚火の前にいた。
火をじっと見つめ、手にナイフを持ち、枯れ枝を削っている。
作っているのはフェザースティック。本来は着火用に使うものだが、暇なので作っていた。
「…………」
ハイセは、テントを見る。
寝台馬車はイーサンが、テントにはプレセア、ヒジリ、クレアの三人が寝ていた。
すると───……ハイセの肩に、一羽のフクロウが止まる。
フクロウの足には、羊皮紙が巻き付いていた。
「…………」
ハイセは無言で羊皮紙を外し、内容を確認する。
そして、アイテムボックスから串焼きを取り出し、フクロウに食わせる。
このフクロウは、ガイストが飼っている連絡用フクロウだ。
「……ガイストさんに、礼を言っといてくれ」
『クルルル……』
フクロウを撫でると、気持ちよさそうに鳴く。
水を飲ませると、そのまま飛んで行った。ガイストの元へ帰ったのだろう。
ハイセは、羊皮紙の内容を完璧に記憶し、焚火の中に放り込んだ。
「まずは……西」
一つ目の情報───……『四十人の大盗賊』の数人が、西の街で『補給』をしている。
その補給というのは、新たな『四十人の大盗賊』のメンバー。
ハイセは、ニヤリと笑った。
「まずは西。メンバーを見つけて殺す……とりあえず、一人は残して拷問する。情報を引き出して、シムーン絡みのことを調べるか」
当たり前のように呟き、ハイセは焚火の炎を見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
翌日。
女性陣が水浴びをしに近くの川へ向かい、イーサンと二人きりになったハイセ。
イーサンは手際よく荷物をまとめ、テントを片付ける。
ハイセは、テーブルの上に朝食のサンドイッチを置いた。女性陣が戻るまでまだ時間がある。
「イーサン、少しいいか」
「あ、はい」
イーサンを呼び、椅子に座らせた。
ハイセはアイテムボックスから沸かしたばかりの紅茶を出し、イーサンのカップに注ぐ。
「あ、ありがとうございます」
「今日、向かうのは西の町。歓楽街からほど近い、なんてことのない町だ。そこに、『四十人の大盗賊』の構成員が何人か居る」
「えっ」
いきなりの話に、イーサンはぽかんとする。
ハイセは自分にも紅茶を淹れる。
「数は不明だが、名前がわかってるのが二人いる。一人は、『鎌士』の能力を持つ男。もう一人は『三種魔法』の能力を持つ女だ。捕らえて拷問し、情報を引き出す……おそらく、シムーンの情報はない。だが、他の『四十人の大盗賊』構成員の情報は出る」
「…………」
「お前が望むなら、戦闘に参加しろ」
「…………っ」
イーサンは、カップを強く握りしめた。
「お前が努力しているのは知っている。能力者にはかなわないだろうけど……それでも、シムーンを取り戻したい気持ちがあるなら、一緒に戦うぞ」
「…………」
「どうする。ここで戦わなくても構わないが」
「やります!!」
イーサンは、熱々の紅茶を一気に飲み干し、カップを置く。
「おれも戦います。戦って、姉ちゃんを取り戻す!! おれの家族は、おれが……!!」
「よし。じゃあ───これをやる」
ハイセは、アイテムボックスから籠手と具足、そして胸当てを出す。イーサン用、格闘用に調整した特別製であり、ヒジリが生み出した『テラオリハルコン』を加工して作り出した特注品だ。
「こ、これ……」
「お前用の装備だ。ヒジリに相談されて、お前用に作った」
「……っ、す、っげぇ」
イーサンの目が、オモチャを前にした子供のようにキラキラしていた。
ハイセが「装備しろ」というと、イーサンは装備。
構えを取り、正拳、回し蹴りを繰り出した。
「重くないか?」
「はい!! すっごくなじみます!!」
「あー!! ちょっとハイセ、アタシがいない間になーに渡してんのよ!! せっかく師であるアタシが渡そうと思ってたのにぃ!!」
と、ここでヒジリが戻ってきた。
ヒジリがハイセに文句を言うが無視。仕方なく、ヒジリはイーサンに言う。
「朝飯前に、少し馴染ませよっか。イーサン、かかってきなさい!!」
「はい!!」
ヒジリ、イーサンの摸擬戦が始まった。
クレア、プレセアはまだ戻ってこない。
ハイセは、二杯目の紅茶を淹れようとして───気づいた。
「……これは」
ハイセが見たのは、イーサンのカップ。
イーサンのカップは木製。その持ち手部分が、酷く焼け焦げていた。





