プロローグ 逃げ足
冷蔵庫の前に行くと、僕はマスクをする。
この前、この部屋で怪人「冷凍野郎☆デビザー」が出たからだ。
それからは冷蔵庫を開ける時は面倒でもいつもマスクをしている。
でも、僕達はあまりにも多くのことがありすぎて、慣れてしまっている。
だから、冷蔵庫を開けた途端に怪人が出ようと、デビザーが出ようと、「またか」で済ませてしまう。
そしてガランと音をさせて冷蔵庫を開けた。
ああ、そう言えばアレ以来、飲めなくなってたなぁなんて、ちょっと思った。
「お前を両親を殺したんだ! お前のせいで! 私のリカも! 私の孫も、皆!」
ある老人の叫び声。
「お前が来たから殺してやった。こいつが死んだのはお前のせい。生活安全課の警察さん」
狂気に満ちた血みどろ女。
ナイフを片手にした女のその場は、血みどろになった部屋。
中では赤い液体に染まった女の子。
そして、「私が死ねば全て解決ね。お父さん」と言って、部屋で僕を目の前に首を吊った若い女。
これは全てトラウマだ。
しかもこれは全部「嘘」だったという、そんなトラウマだ。
「いやー、ちょっと穣太郎ちゃん可愛いからね。不味いかなって思ったんだけど、からかいたくて仕方がなかったのよ」
と老人が言った。
「いや、トマトケチャップで遊びたかったんです。それで、提案されて……やりました! すみません!」
女性が警察署で事情を聞かれてそう答えた。
この件は本当にマジでトラウマで、本当に殺してしまったと思って泣いた。
まあ、それが原因で両親を殴りつけてしまって、退職を考えたものの、「ま、そんなんで生活安全課はやっていけないぞ」と言われて、停職だけにしてもらえた。
ただ、唯一救われたことと言えば……。
「お父さんの借金を返したくて、保険金掛けて死のうとしました。でも、保険金出ないよって知って、ちょっと後悔しています」
この人だけ、かなり危うかったものの一命を取り留めた。
本当、死なないでよかった。
全部が全部、嘘とは思えないけれど、僕は昔からよく嘘をつかれるから、信じることに懐疑的だ。
そう。僕はよく嘘をつかれる。
幼い頃から、ずっとだ。
「か〇めってリンゴジュース絞ってる時の音らしいよ」
「穣太郎って殺した人間がいるんだってね。少年法で守られてるんだって? それで今度は愛人探しって聞いたよ。私、愛人になってあげてもいいよ。刺激的なことが大好きなの」
なんて、全く可愛くない嘘を言われたのは小学六年生の時のこと。
意味がわからなくて「本当? それは僕じゃないよ」と何度も言ったものの、この嘘をついてきた相手は「少年法に守られて無罪なんでしょ」と頑なになって言ってきた。
僕は、何が何だかわからなくて、その時そう言われたということくらいしか記憶がない。
それからその子に「万引きしても大丈夫かな? お母さんの言いつけを守りたくないや」と言って、コンビニに入った。
店長さんが明らかに嫌な目つきだったのを覚えている。
そして僕がコンビニの本棚を見ていたら、その子がこう言った。
「すみません。あの男の子、万引きしてます」
初めからその子は僕を陥れたかったようだ。
僕は事務所に連れていかれ、一応持ち物検査をされたものの、何も出て来ないから無事に帰された。
「なーんだ、捕まってないじゃん」
その子はそう言って不機嫌になって先に帰ってしまった。
そして後にその子は万引きで捕まった。
常習犯だったらしい。
僕は初めから、そう疑われてはいなかったようだ。
でも、母さんの言いつけを守りたくないというのは本当だった。
しかしもう万引きしようと思っても、出来なくなっていた。
トラウマになってしまったのだから。
そしてその後、その万引きをしていた子は大人になってからもよく万引きをしているということがわかった。
愛人云々言っていたおませな女の子はスリリング通り越してやばいものを持っていたとかで逮捕されたというのを聞いた。
こうして、僕のトラウマボックスにはいっぱいの「嘘」で溢れているのだった。
「ま、今はビールだな。ビール飲もう、ビール!」
扉を開けると、何かいた。
ビールではない。
というか、ビール缶なんだけど、そのビール缶に目がついている。
「今日はビールだよ!」
……やばい。これ、kvだ!
「対策課に連絡しなくちゃ!」
その瞬間、ビールが巨大化した。
「今日はビール記念日!」
そう叫ぶビールは騒音と言えば、かなりの騒音だった。
「おい、うるせえ!」
ドアを開けてきたのは茶色いコートの男。
髪はオールバック、一本だけ整えてある前髪。
本多和明、24歳。同期だ。
「ったく、気を付け……はあ!?」
巨大なビールを見た瞬間、本多はぎょっとする。
「ビールいる? 本田」
指をそのビールへと向けた。
しかし本多は「お邪魔しました。有栖川さん」と凄い早さで退室し、外から「もしもし対策課ですか」と小さいけれど聞こえたから、きっと通報してくれたのだろう。
彼とは生活安全課にいた時に一緒にバディを組んでいたこともある。
その後捜査一課に言ったものの、いろいろ大変だったらしく、犯人を取り逃したり、情報元を明かしてしまったりといろいろやらかしたらしく、今では同じ八課の仲間だった。
本多が去った後、僕はなんとか開いたままのドアからすり抜けて部屋から脱出した。
「ビール記念日ぃ! 華金! 華金!」
ビールがそう言って叫ぶ。
「華金なんて今時言わないって!」
そして持ち前の健脚で逃げる僕と、走ってついてくるビール。
「僕は逃げ足だけは速いぞ! 自慢じゃないが!」
そう言うかのように走りながら振り返ると、ビールが凄い勢いで迫って来ていた。
「!」
僕はさらに足を速くする。
しかしその時、ドスンと誰かに当たった。
僕は尻もちをついてしまう。
ピンクの髪の色、マッチョ、剃り込み、茶色いコート。
それらが目に入った。
「金目のものを出しな」
「すみません! 今それどころじゃ……」
迫ってくるはずのビールが、あまり動いていないことに気づく。
というよりも、全く進んでいない。
どういうことだろうか。
「穣太郎、また引っかかったな」
その男はガラスの割れるような音をさせて姿を変えた。
「谷崎さん!」