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21. 暴れ牛に注意


 いつもよりも高級で揺れにくいゴルダン伯爵家の馬車に乗って、私は伯爵邸へと向かいました。


 フィリップさんが伯爵様だったなんて!


「ああ、なんて失礼なことをしてきたんだろう。」

「我が主人はそのようなこと気にするお方ではありません。むしろ、今日こちらに来ていただき喜ぶと思いますよ。」

「そうでしょうか?それなら良いですが。」


 クリスさんに案内されて伯爵邸を歩いていくと、長い廊下の先に大きな扉が現れた。


「こちらが我が主人の寝室でございます。」


――コンコンコン……


「クリスか?入れ。」

「失礼いたします。我が主人、お客様をお連れしました。」

「客だと?」


 クリスさんの後ろからスッと横に出て頭を下げた。

 正式な作法なんて知らないから、とりあえずお辞儀した。


「フィリップ……伯爵様。知らなかったとはいえ、失礼なことをたくさんしてしまって申し訳ありませんでした。」

「ソフィア?なんでここに?……クリスか。」


 ベッドの上で上半身を起こして座っているフィリップさんはやはりあのフィリップさんで間違いなかった。


「すまない。ソフィアを騙すつもりはなかったんだが……。つい言いそびれてしまって。」

「謝らないでください。私が勝手に思い込んでいたんです。こちらこそ、すみませんでした。」

「ソフィアは悪くない。私を許してくれ。」


 許すも何も、フィリップさんは何も悪くなくて。


「起き上がれないほどの怪我をしたと聞きました。大丈夫ですか?」

「クリス、お前はどんな風にソフィアに伝えたんだ?私はただ、民家の暴れ牛を落ち着かせようとして蹴飛ばされて転倒した際に胸と足の骨を折っただけだ。つまらん怪我だよ。」

「大怪我ですよ!痛いでしょう?」

「痛くないと言えば嘘になるが……。クリス、どこへ行く?」

「我が主人、私は用事を思い出しましたのでこちらの扉は()()()()開けておきますからごゆっくりソフィア様とお話ください。それでは。」

「おい!クリス!……ツッ!」


 フィリップさんが胸を押さえたので思わず駆け寄ってしまった。


「大丈夫ですか!?」

「大きな声を出すと胸の骨に響くんだ。大丈夫。」


 痛みに顔を顰めるフィリップさんがとても気の毒だった。

 民家の暴れ牛を止めようとするなんて、やはり民に近くあろうとする人なんだろう。


「ソフィア、クリスがすまなかったね。」

「いえ、私も是非お見舞いしたいと思ったので。」


 ベッドの傍の椅子に腰掛けるよう勧められて腰掛けて話した。


「私が伯爵だと分かれば、ソフィアはもう気軽に会ってくれないと思ったんだ。」

「……そうだったかも知れません。」


 こちらを見つめるフィリップさんの、アンバー色の瞳が揺れた気がした。

 

「私はソフィアが大豆畑に来た時、初めて醤油やうどんの話を聞いてとてもワクワクしたんだ。珍しいことや、自分の興味のあることには目がなくてね。」

「そうおっしゃってましたね。」


 あの時とても熱心に聞いてくれたから、ついたくさん話をしてしまったんだよね。


「それからずっとソフィアのことが気にかかっていて……。それであの日、ソフィアの店に食べに行ったんだ。そしたら店で働くソフィアは、客一人一人に優しく声をかけて……皆が気持ちよく食事ができるように努めていた。なかなかできることではないから。それがとても印象的だったんだ。」

「そんなことないですよ。皆気の良いお客さんばかりだから、ついこちらも良くしてしまうだけです。」


 貴族のフィリップさんには、街の酒場の雰囲気は新鮮だったのかも知れない。


「ソフィア、私は明るくて気遣いのできる優しい君に惹かれているんだ。私は貴族だけれど、そのようなことは気にしなくて良いし些末な問題だ。このゴルダン領には身分について色々と言う民も居ない。もしソフィアに決まった相手が居ないならば、この領地で領主の妻となってこれからも美味しい讃岐うどんと醤油を作っていかないか?」


 フィリップさんがそんな風に思っていたなんて、全く思ってもみなかったことで。

 

 きっと領主であるフィリップさんが気軽に畑に出るような方だから、この領地の民も身分というものをあまり気にすることをしなくなったんだろう。


 それはフィリップさんの努力の賜物だ。







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