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Prince of Jersey(プリンスオブジャージ)  作者: 水上栞
第一章「ザ・ジャージマン」
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8.わかってねえのは、お前らの方だ(SIDE ユキ)



 自分から通話やLINEをする以外は、しばらく携帯の電源を切っていた。毎年そうだ。誕生日前になると嵐のようにかかってくる、女連中からの誘いが正直ウザい。だいたい、俺はケー番もアドレスも教えてないのに、いったいお前らどこから探し出してくんの、って話。


 誕生日の朝、仕方なく電源を入れたらLINE未読が60ちょい。名前も知らない女に呼ばれてホイホイ出ていく趣味は俺にはないので、片っ端からブロックしていく。その中に知った名前を見つけて、消去ボタンを押す指が一瞬止まった。



「薫子です、時間があるとき電話ちょうだい」



 用件をその場で伝えないのは、俺が今ごろうんざりして返事どころじゃないのを知ってるせいだろう。長い付き合いだけに、行動パターンを読まれている。


 薫子のマンションには、あれから一度も行っていないし連絡も取っていない。いつもは滅多に電話やメールはしてこない薫子だが、さすがに俺の様子がおかしい事に気付いたのかもしれない。俺は一瞬ちょっと考えて、消去を選んだ。あいつとはもう親戚として以外は会う気はない。


 最初っから、こうすりゃ良かったんだ。切ろうと決心すれば簡単なのに、なんで今までズルズル引っ張ってきたのか。ひとつ年を取ったから何かが変わるという訳じゃないが、長い間に淀んだ澱を洗い流すには、今がチャンスである事は間違いないだろう。






「ユキー、お誕生日おめでとう!」


「ねえねえ、お店を予約してあんの、ちょっと付き合って」


「だめだよ、私がLINEで今晩キープしちゃったもん」



 だから、そんなん見てねえ、っつの。案の定、バイトが終わった通用口には女どもがたむろしていて、ドアを出た瞬間に囲まれた。勘弁してよ、俺ァ腹減ってるし、飯食ったらすぐ風呂入りたいし、風呂入ったら明日の練習に備えて寝たいわけ。仕方がねえ、散らすか。かったりーなと腹で思いつつ、俺はいつものエセ笑顔を貼り付けた。



「ありがとう、気持だけもらっておくよ」



 そう言った瞬間、向うの方から何かが高速でこちらにぶっ飛んでくるのが見えた。バイクか?いや違う、チャリだ。たぶん時速30kmは軽く越しているだろう、いい脚力だ。その昔、ちゃりんこユキちゃんと言われた俺でも、あのスピードは出るかどうか。


 そう思って眺めていると、そのチャリは夜の闇を切り裂くように俺の前まで来て、絶妙なブレ―キングで弧を描いて止まった。ターンの勢いに驚いた女どもが、キャーキャー言いながら一斉に散らばる。ちょっと快感。



「先輩っ!」



 そこで俺はようやくチャリの主が誰だかわかった。なんと、よく見りゃ長谷川じゃねーか。なるほど、あいつならあの漕ぎっぷりは納得だ。しかし長谷川はさっき、バタバタと帰って行ったんじゃなかったか。何か用事があるような素振りだったが、何故ここに。


 そう思って俺が首を傾げていると、長谷川がこちらに突進してきた。うはっ、顔中汗でびしょびしょだ。まあ長谷川らしいっちゃ、らしいけどな。



「先輩っ、これっ!」



 長谷川が荒い息とともに、手に持った物を突き出した。夜なのでよく見えないが、何やら黒い物体だ。手にすると、ずしりと重い。おおっ、これは!俺が先週、駅前のスポーツショップで買うべきか買わざるべきか、迷ったパワーリストじゃねえか! 大学のユニフォームと色が合うんで欲しかったんだが、生憎持ち合わせが足りなかったんで、同じ色のリストバンドだけ買って帰ったんだよな。


 もしかして長谷川、その事知ってたってか。つか、相当嬉しいんだけど。しかもよく見たら刺繍とか入ってるし。これって、自力でしてくれたんだよな、うは、たまんねー。きっと俺の誕生日のプレゼントなんだろうが、今までこれほどツボをついたもん、もらった事ねーよ。俺は早速、大喜びで手首にパワーリストを装着した。いいねえ、この重みっ!



「これ、くれんの、俺に」


「はい、お誕生日、おめでとうございます」


「めっちゃ嬉しい、サンキューな、長谷川!」



 そこまで言って、俺はハッと気がついた。周りに散らばっていた女軍団が、不思議な生き物を見るような目でこっちを眺めているのだ。やっべ、「俺」だの「めっちゃ」だの言ってる場合じゃねえって。本性をうっかりバラしてしまった事を、どうフォローしようかと固まっていると、いちばんケバい女(さっき俺をキープしたと言ってたアホ)が、こちらを指差して目をひん剥いた。



「なに、それ」



 女が指差す先は、俺の腕。何だよ、何かあるわけ、ここに。普通にパワーリスト巻いてるだけじゃん。何が変なんだよ。



「なにそれー、だっさー!」



 そのキンキン声が合図みたいに、女どもが一斉に笑い出した。ちょっと待て、お前らの笑いのツボはいったい何だ。もしかしてこのパワーリストだと言うなら、俺はキレるぞ。体育会系にとってトレーニンググッズは、どんなアクセサリーにも勝るステイタス。しかもこいつはチームカラーだ。その値打ちを完璧に理解している長谷川は偉い。バスケのルールも半かじりのお前らに笑われる筋合いはねーんだよっ!……と、喉元まで出かかった、その時。



 長谷川が悲しそうに顔を歪めて俺に背を向け、ダッシュでチャリにまたがると、来た時以上のスピードでその場を去っていった。まずい、傷つけた。せっかく最高のプレゼントを贈ってくれた後輩を、こんな形で裏切るわけにはいかない。待てっ、長谷川~っ、お前には何の落ち度もない!



「長谷川っ!」



 俺が追いかけようとすると、シャツを四方からつかまれた。そのキラキラした人工爪を見た瞬間、俺は腹の底からどす黒い怒りがこみ上げてくるのを感じた。自分がどう言われようが我慢すりゃいいが、可愛い後輩を傷つけられて、黙っているような体育会系なんざこの世にゃいねえぞ、ゴルァ。



「ユキー、いいじゃん、放っときなよー」


「そうだよ、ダサさに気がついて逃げてったんだよ~」



 こめかみでプチッと音がするのを鼓膜が捉えた次の瞬間、俺の声帯はかつてありえない大音響で、ありえない台詞を轟かせていた。



「うる゛せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!」






 鬼こぎすること約1時間。ようやく河原の土手のベンチで、しょんぼりしている長谷川を発見した。がっちりした体格が、まるで半分に縮んだかのように見える。すまない、長谷川。俺はチャリを草っ原に放り出して土手の石段を駆け下りた。



「長谷川!」


「……せんぱい?」



 顔を上げた長谷川の表情は、捨てられた犬みたいに情けなくて、それを見た途端、どこか胸の奥をぎゅっと鷲掴みにされるような、不思議な痛みが走った。なんだ、こりゃ。ちょっと運動量が超えちまったか? もちっと大胸筋を鍛えるべきだろうか。いや、それよか長谷川だ。俺はベンチの前まで行くと、地面に座り込んで思い切り頭を下げた。



「すまんっ、長谷川!」


「やめて下さい、先輩、そんな!」


「いーや、謝らせてくれ、じゃないと俺の気がすまん! あのアホどもの暴言は俺の責任だ、許してくれ!」


「先輩……」



 頭を上げたら、半分泣き笑いみたいな長谷川の顔がそこにあった。真っ黒に日焼けした頬が河原のぼやけた街灯に照らされて、つるんと輝いている。はは、おでんの玉子みてえ。なんか、がぶっと食いついたらうまそうだぞ、長谷川。そう言や俺、めちゃめちゃ腹減ってたんだった。何かこいつと絡むと調子狂うな、でも決して悪い気分じゃない。



「長谷川、お前のプレゼント、嬉しかったぞ」



 何も考えずに、言葉が口からするっと出た。パワーリストをつけたままの腕を長谷川の顔の前に突き出して見せると、半泣きだった顔にようやく笑みが浮かぶ。肩の力がどっと抜ける、ゆるい笑顔。つられて俺も、笑った。



「これ、お前が刺繍してくれたんだろ、いいデザインだな」


「すいません、慌てて考えたんです」


「いーんだよ、こういうのはピピッときたのが正解なんだって。そうだ、このマーク俺のジャージにも入れてくんね?」



 思いつきで言ったんだが、いいアイデアだろ。でも、長谷川は目を真ん丸くして、戸惑ってる様子だ。もしかして俺、無理なこと言っちゃった感じ?



「……無理ならいいけどさ」


「いや、できます。パターンは保存してあるんで」


「なら決まり。もちろんタダじゃねーよ、牛丼と交換条件な」


「いいっすね!」


「だろーーーー!」




 その後、俺たちは河原の道を鬼こぎして駅前の吉牛に飛び込み、お約束の特盛りをがっついた。勘定はもちろん、俺の奢り。練習用ジャージの袖に「俺マーク」を入れてもらう条件の先払いだ。白地のジャージだから、色は紺がいいな。そう言うと長谷川も「紺、いいっすねー」と賛同してくれた。


 お前、いい奴だな。ほんと、いい奴だ。世の中の女がみんな、長谷川みたいならいいのに。こいつと出会ってから、もう何度思ったかしれないその気持が、ドコから来ているものなのか。鈍感な俺がそれに気付いたのは、それから約一ヶ月後。もう夏休みも終わろうかという、ある日の事だった。



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