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Prince of Jersey(プリンスオブジャージ)  作者: 水上栞
第五章「プロテインのように甘く」
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7・長谷川式、心のリハビリテーション(SIDE愛)



 沖縄で過ごした日が嘘みたいに、慌ただしい毎日が流れていく。気がつけば、もうすぐユキ先輩の27歳の誕生日。私も10月になれば25歳になる。自分としては学生時代と変わらない気がするが、いざ結婚を決めると社会的に背負う責任がクリアになってくる。



 まずその第一歩として、ユキ先輩が私の家に正式な結婚の挨拶に来た。暑い中、きりっとスーツを着て、お母さんの好きな芋ようかんとお父さんの好きな日本酒を持って。先輩が結婚の意思を伝えるとお父さんは、



「そうですか、まぁそうなるよね、付き合い長かったもんね」



 普段通りの口調でそう言って、ソファーから立ち上がり、



「娘を、どうかよろしくお願いします」



 と、頭を下げた。びっくりして、向かいに座っていた私たちも立ち上がってお辞儀をしたけど、まさかあの過保護なお父さんがあっさり承諾するとは思わなかったので、ちょっとリアクションに戸惑ってしまった。後でお母さんに聞いたら、とっくに覚悟はできていたんだって。



「安藤くんなら仕方ない、でも愛を不幸せにしたら、その時はぶっ〇す、ですって。言っとくけど、長谷川家の総意だからね、それ」



 ひゃあ、お母さんったら物騒な。でも、その気持ちはしっかり受け止めるよ。私がうんと幸せになる事で、精いっぱいの親孝行をするからね。そして、その気持ちは安藤家の皆さんにも心を込めてお伝えした。




 その次の休日、東京の安藤家を訪問した私たちは、ご家族の温かい歓迎を受けた。リューちゃんこと、ユキ先輩のママであるリュドミーラさんが、目を潤ませながら私をぎゅっとハグし、



「愛ちゃんは、きっと私の娘になると思ってた。本当に嬉しい」



 そう言ってくれたので、私も思わず涙腺がじわじわしてしまった。さらには、私たちの出会いとなったスーパーの店長、ユキ先輩の叔父さん(オッチャン)がことのほか大喜びで、新居はスーパーの近くにしろと気の早いことを言っている。






 こんな感じで、周囲の人々に祝福されて、晴れて私たちは婚約者同士になった。お互いの家族の意向もあり、結婚式はきちんと挙げるつもりだけど、私の仕事が落ち着いてからなので、とりあえず来年の夏ごろを予定している。まあ、たぶん準備していたら一年なんてあっという間だろうけど。




「あのイケメン彼氏を一年も待たせる仕事の山場って何なの?」



 婚約を知って実家にすっ飛んできたお姉ちゃんが、生後半年の瑠衣ちゃん(女の子だよ)を寝かしつけながら私に問う。最初に先輩のことを相談した時は、まだ長男のヒロ君がお腹にいて、あれから5年以上だもんな。ほんと、時が経つのはあっという間だ。



「実は、いま担当してる人のリハビリが難航してて。区切りがつくまでは、いろいろ考える余裕がないっていうか……」


「でも、患者さんは次から次へと来るんだし、そんなこと言ってたら一生先延ばしになるんじゃない」




 お姉ちゃんの言う通りだ。理学療法士を職業として考えるなら、熱心とお節介のライン引きはきっちりしないといけない。でも、今リハビリを担当している梅野みちるちゃんは、もう歩けるのに歩こうとしない。いわゆる訓練拒否という状態である。



 彼女は17歳の高校3年生。学校の帰り道、乱暴運転を避けようとして自転車ごとガードレール下のコンクリート道に転落した。命に別状はなかったものの、左大腿骨骨幹部骨折、そして膝蓋骨骨折。ひざのお皿の骨折だ。


 幸い手術がうまくいったので、入院中からリハビリを開始したのだが、歩行器で歩けるようになったあたりで、リハビリセンターに来なくなった。授業でも習ったが、訓練拒否は理学療法士にとってひとつの試練だ。ショックや様々なものが原因となり、治療へのモチベーションがわいてこない。それを解決するには、まず信頼関係の構築が必須となる。



「どうにかして、歩かせてあげたいって。そればっかり考えちゃうのよね」



 ユキ先輩のプロポーズは本当に、びっくりするほど嬉しかったけど、みちるちゃんの問題が解決するまでは、落ち着いて結婚の準備なんてできない。だから、先輩にも正直にそう言った。もちろん「全力で応援する」と言ってくれたので、納得できる結果に向かって頑張るしかない。



「彼女は若いし、部活でテニスやってたから筋力も人並み以上あるの。術後の経過だって良好なんだから、回復は速いと思うんだよね。何かひとつきっかけがあれば、絶対に前に進めるはずなのよ」



 布団の中で寝返りを打ちながら、お姉ちゃんに目線で訴えてみた。人生の先輩、何か突破口を見出すヒントを下さいな。しかし返ってきた答えは厳しいものだった。



「だったら、心の問題でしょ。愛ちゃん、言っとくけど人間って、体のダメージより心のダメージの方が手ごわいのよ。何がつっかえてるのか、本人にしかわからないからね。いや、本人にもわかってない場合があるわね」


「はぁあ、困ったなぁ……」


「まあ、取りあえず話ができる間柄になって、何が彼女の心を閉ざしているか突き止めないとね。じゃないと、ずっと安藤くんに待ってもらう事になっちゃう」


「それは申し訳ないと思ってるんだけど」


「結婚は勢いが大事よ。ぐずぐずしてるうち、相手の気が変わらないといいけどねぇ」



 お姉ちゃんはそう言うけれど、万事において、けじめが肝心。ましてや人生の節目となる結婚となれば、清々しい気持ちで向かい合いたいのだ。



「愛ちゃんは、頑固だったわ、ちっちゃい頃から」



 お姉ちゃんが、前髪をヨシヨシと撫でてくれて、一気に睡魔がやってくる。明日からまた、新しい気持ちで問題に立ち向かってみよう。まずはみちるちゃんにリラックスしてもらうところから。私ぐらい図太い性格の利用者さんばかりだと、きっと苦労はないんだろうけどね。






 その翌日、懲りない私はまたもやみちるちゃんの病室を訪れた。今日はちょっとした作戦があるのだ。



「梅野さん、お迎えに来ましたよ」


「今日は気分がすぐれなくて」



 前回もその言い訳だったんだけどね。でも、そこは突っ込まない。リラックスさせることが肝心だ。彼女の場合はリハビリ拒否の理由を頑として答えないので、一般的なセオリーとは違うが、私流のアプローチを試みてみることにした。



「じゃあ、今日はちょっとお喋りしましょうか」



 みちるちゃんが、顔に「?」を浮かべている。そりゃそうだ、今までそんな事を言う看護師や療法士はいなかっただろう。しかし気にせず私は話を続けた。



「実は私も、ここの患者だったんですよ」


「そうなんですか?」



 よし、食いついた。次は、同じアスリートとしての立場からの経験談。



「大学時代、砲丸投げの選手だったんです。無理なトレーニングで肉離れとかいろいろやっちゃって。いま働いてるリハビリセンターで治してもらったのが、理学療法士になったきっかけなんです」


「へぇ」



 言葉のリアクションは薄いけれど、しっかり反応を感じる。何かもぞもぞ手元が動いているので、彼女の反応をのんびり待つことにした。緊張感のない私のルックスは、こういう時に非常に役に立つ。



「……治ったんですか?」



 そこだよね、やっぱり聞きたいのは。「完全復帰しましたよ」と言ってあげられれば安心するかもだけど、私は包み隠さず正直に伝えることにした。



「記録で言うと、全盛期の6割くらいかな。もともと優秀な選手じゃなかったんで、日本記録と比べたら笑っちゃうくらいダメダメですよ(笑)」


「やめようとは、思わなかったんですか」


「思いましたよ。でも、やめなかった。引退までしつこく部活やりました」


「なんで? 結果が出ないなら、やってても意味なくない?」



 なるほど、ぼんやりと無気力の根源が見えてきた気がする。私がもう砲丸投げをやめようと思ったのもそこだ。しかし、やめなくて良かった。だから、声を大にして言う。



「結果は、出ればもちろん励みになるけど、私にとってスポーツをやる意味の一部だったことに気づいたんです。むしろケガしてからの方が、プレッシャーに縛られない分、以前より楽しかった。今も走ったり筋トレしたりしてるけど、楽しむためにやってます。もともと、楽しいからスポーツ始めたんだし」



 そう言うと、みちるちゃんは黙って俯いてしまった。そろそろ予定の時間も来たし、続きはまた明日だ。私の言ったこと、少しでも受け止めてくれたらいいな。



「じゃあ、また明日」



 私はにっこり笑って、みちるちゃんの病室を後にした。




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