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Prince of Jersey(プリンスオブジャージ)  作者: 水上栞
第一章「ザ・ジャージマン」
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4.キミとボクと塩対応の王子(SIDE ユキ)

 


 長谷川を引っ張って一般用通路から競技者通用口に入り、カビくさい廊下を抜けた備品倉庫の前まで走る。辺りに人がいないのを確かめてようやく腕を放すと、長谷川は堪えていた爆笑を解禁した。



「笑うなっ、てめー!」



 長谷川は腹を抱えて、ひぃひぃと笑い続けている。さっきの「キミタチ」がよっぽどツボにはまったらしい。無理もない、こいつは俺の素の状態を知っている。俺だって本当は、あんな気色悪い声なんか出したかねーし。



 俺がこうなったのは、遡れば小学校5年生の時だ。初恋とまではいかないが、同じクラスにちょっと可愛いな、と思う女の子がいた。名前はミカちゃん。ある日、その子と委員会が一緒で、たまたま一緒に帰った。子どものことだ、それ以上のことなんかあるわけがない。


 それなのに、翌日にはクラス中の噂になってて、昼休みに6年の女子数人に呼び出され、ミカちゃんと付き合ってるのかどうか、聞かれた。知らねえよ、一緒に帰っただけだ。つか、なんで女って複数で問い詰めるんだ。誰が質問者かはっきりしろよ、と思ってそう聞いたら



「あたしたち、安藤くんのファンクラブなの」



 だとさ。俺、本人だけどそんなもんあるの知らんかったわ、びっくりだわ。そして「抜け駆けは許さない」って、意味不明。俺は本能的にこいつらはヤバいと察知し、いちばん悪い手札を切ってしまった。



「ミカちゃんとは付き合ってないけど、ミカちゃんが好きだからもう俺のことは放っておいて」



 そう言えば引っ込むかと思ったんだが、甘かった。ミカちゃんは翌日、そいつらに囲まれて髪の毛をザクザクに切られた。もちろん親が学校に怒鳴り込む大事件になったが、俺までミカちゃんの親に怒られたんだ。「二度とミカに関わるな」と。



 あれは子ども心にショックだったし、中学でも何度か似たようなことになりかけた。そんなこんなで、俺は学んだ。ああいう連中は刺激してはいけない。かと言って、腹を割って付き合うのも御免こうむる。それで生まれたのが「にこやかな塩対応」だ。



 親しい人間なら俺の「人格使い分け」を知っているから驚かないが、長谷川に関しては「素」と「表」、どちらもいきなり晒してしまった。もしかして痛い奴だと思われたんじゃないか、そう思ってそろりと振り返ると、




「先輩、最高です」



 笑いがようやく収まった長谷川が、ぐいっとサムアップをかました。その顔を見て、何だか気持がほっとする。こういう奴を癒し系、というのか? そう言えば、さっき応援の声が届いた時も、一発で気分が落ち着いた。


 もしやこいつは、回復系呪文のような不思議パワーの使い手かもしれない。だとしたら、そこらへんの必勝お守りよりよっぽどキく。ゲンを担ぐ体育会系としては、次の大会にもぜひ呼ばねばなるまい。



「先輩、なんで普通に喋んないんですか」



 長谷川が興味津々といった表情で訪ねる。まあ、当然の疑問だろう。俺はわざとそっけない風を装って答えた。



「あいつらには、アレが普通なんだよ」


「普通? あれがですか?」


「面倒くせーんだよ。勝手なイメージ押し付けられて、素を出せば幻滅したとか言われても、知るかよって話だろ。だったら他人行儀に最低限しか喋んねえ方がラクだ」


「ははっ、人気者も大変ですね」



 長谷川はそう言ってケラケラと笑った。日に焼けたすっぴんの肌に、白い歯が眩しい。俺もつられて笑った。何だかこいつと喋っていると調子が狂うが、それがイヤかというと決してそうではなく、むしろ楽しい。男友達とバカやっているのと同じレベルで腹を割れるので、きっと今の俺はアホ面だ。こんなに気楽に女と喋ったのなんて、いったい何年ぶりだろう。



「じゃあ先輩、私これから練習なんで」


「お、そうか、今日はありがとな」


「はい、こちらこそ楽しかったです」



 長谷川がぺこりと頭を下げた拍子に、子供みたいなサラサラのショートヘアがぱらりと零れる。やがて「失礼します」と礼儀正しく背を向けた、その後姿を俺は無意識に引き止めていた。



「お、長谷川、ちょい待て」



 アシックスのバッグを肩にかけたジャージの背中が、何でしょうかという風に振り返る。何かに似ている。あれだ、動物系のテレビ番組で見たミーアキャットだ。長谷川は茶色い小動物を思い浮かばせる。



「お前、夜はバイトか」


「いえ、今日は入ってません」


「だったら打ち上げ来い、応援の礼に焼肉食わせてやる」


「え、焼肉!」






 その夜、長谷川は焼肉屋にやってきた。きっちり肉で釣られるあたり、ガチガチの体育会系である。そして、先輩に礼儀をつくして立ち振る舞うその姿勢も、まさに体育会系そのものである。



「安藤の後輩、めっちゃいい奴だな」



 そう仲間から絶賛されるほど、長谷川の態度は素晴らしかった。まずは席に着く前に皆に挨拶、「失礼します」と断ってから末席に着く。礼儀正しいサンプルかよ、完璧だ、長谷川。さすが高橋、いい後輩を育てたな。打ち上げに呼んだ俺も鼻が高い。


 食っている途中も長谷川は空いた皿を下げたり、注文をまとめて通したり、それが実にさりげなく嫌味がないのだ。別に女だからとか後輩だからとかで順列をつけるつもりはないが、その場の人間に気遣いできるのは、長谷川の持って生まれた性格と育ちの良さだろう。いつもこのメンバーで焼肉食べ放題だとグチャグチャになるが、長谷川のお陰でテーブルはすっきりと片付き、網も焦げる前に取り替えられるので肉がうまい!



「先輩、そろそろ違うものがいいんじゃないですか」



 俺のビールが止まっているのに気付いたらしく、長谷川がオーダーを取りにきた。全くどこまで気が利く奴だ。ちょうど注文を入れようと思っていた、ナイスタイミングだ。さっきから一年が入れ替わり立ち代りビールを注ぎに来ているが、奴らは俺が途中から焼酎になるのを未だに覚えない。それなのに見てみろ、長谷川は一発でわかってくれたじゃないか。俺はますます上機嫌になった。



「おう、麦の水割り頼むわ」


「はい、他にも飲む方がおられるのでボトルで頼みますね。6:4でいいですか」



 そう言って長谷川が作ってくれた水割りはパーフェクトな出来栄えで、聞けば親父さんが焼酎党なんだそうだ。家でも親父の晩酌に付き合ってるのか。仲のいい家庭で育ったんだろう。



 パッと見はゴツいし黒いし、ゴリゴリに見られそうな長谷川だが、実際こういう人間の方が内面は繊細で優しいのかもしれない。いや、こいつに限ってはきっとそうだ。焦げそうな肉を絶妙な間合いで自分の皿に回収しては、モリモリと食っている長谷川を眺めながら、俺は久々に愉快な気分で焼酎をすすった。




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