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Prince of Jersey(プリンスオブジャージ)  作者: 水上栞
第四章「切なさのインナーマッスル」
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2・お爺ちゃん&お婆ちゃんのアイドル(SIDE愛)



 病院で由子ちゃんに会ってから数日、私は大学の進路指導室、図書館、そしてインターネットで、情報の収集に没頭した。うまく言えないけど、何かが下りてきた感じ。突き動かされるような興奮と、胸の奥から湧いてくる確信。その形に見えないエネルギーを具現化しようと、私は精神を統一した。



 その結果、私は将来の職業として「理学療法士」を目指すことを決心した。病院で私のリハビリを担当してくれている鶴野さんのように、ケガや病気で発生した障害や後遺症に対して、基本動作の回復や維持を助ける専門職で、国家資格を取得する必要がある。



 いちばん最初に相談したのは、ユキ先輩だ。彼は恋人でもあり、就活の先輩でもある。資格を取るためには1年大学に長く通わないといけないんだけど、それを言うと完璧な歯並びのスマイルで励ましてくれた。



「目標のための回り道なら、値打ちがある」



 ありがとう、先輩。その言葉で0.1%残っていた迷いが吹っ切れました。私はこれまで、自分の将来に関して「スポーツで社会に役立てる仕事がしたい」と、方向性だけは決まっていたけど、具体的にはこれという目標は持っていなかった。


 でも、自分がケガをして理学療法を受けたことや、由子ちゃんの頑張る姿に感動したことで、ぼんやりとしていたアウトラインにピントが合ったんだと思う。「これだーーーー!」って声がしたもの、頭の中で。



 ちなみに、私は自他ともに認める呑気な性格だけど、目標が決まると行動が早い。そしてテコでも動かない頑固さがある。今回も決心が固まるや否や、その日のうちに両親を捕まえて説得を試みた。



「いいんじゃないか」



 肩透かしを食らうほど、父はあっさりと認めてくれた。国家資格を取得するのは将来強みになるし、働きながら試験勉強するより在学中の方がいいだろうと。



「大学の同じ学部に、資格を取得できる学科があるんだろう? お前はまだ若いし、人生は長い。一年ずれこんでも、50年先まで考えたら資格は大きな武器になる」



 おお、さすが人生の大先輩。お父さんの実体験から言うと、資格のあるなしで待遇や可能性が大きく違うらしい。兄貴も大賛成。「専門分野なら、無資格の新卒より資格持ちの中途採用が有利だ」って言ってた。よし、俄然やる気がわいてきたぞ!




 そんなわけで、私は大学に申請を出し、転科試験を受ける準備に入った。同時にリハビリ施設のアルバイトもスタートする。きっかけは、鶴野さん。病院で施術を受けている最中、理学療法士を目指すと言ったら大喜びしてくれて、お兄さんが経営している施設のアルバイトを紹介してくれたのだ。



「本当に嬉しい。長谷川さんが私のリハビリを受けて、そこに価値を見出してくれたってことよね」


「まさにそうです。あんなに動かなかった腕や肩が、もうほぼ普通に戻ってます。しかもできる範囲でトレーニングを続けられたから、筋力も最大限キープできてます。ケガしたときは絶望しましたけど、ほんと、鶴野さんのお陰です」


「そう言ってもらえると、嬉しくて涙が出ちゃう」






 そして現在私は、鶴野さんのお兄さんのリハビリセンターで週2回アルバイトをしている。スーパーは辞めることになったけど、店長も「未来のためにがんばれ」と送り出してくれた。最終日、お世話になったお礼に手作りのマドレーヌをお渡しすると



「ありがとう、応援してるよ」



 と、リボンのかかった包みが返ってきた。中は、リバティプリントのテディベア。超かわいい! スタッフみんなからの餞別だそうだ。皆さんにお礼を言うのはこっちなのに、思わぬ温かな返り討ちにあってしまい、目頭がじんわりしちゃったよ。



「これからもユキのことをよろしくね」



 そう言って差し出された店長の大きな手のひらを握ったら、こらえていた涙がポロッと落っこちてしまった。ここは、大学生になって初めて自分でお金を稼いだ場所で、ユキ先輩に出会った記念すべき場所でもある。思い出がいっぱいあって、ほんと、去りがたい。でも、未来の夢に向かって、長谷川は飛び立ちます。そしてまた、客として大根を買いに来ます!






 鶴野さんのお兄さんが経営する施設は、大きな病院と連携した高齢者専門のリハビリセンターだ。若い人もたまには来るけど、約9割はおじいちゃんやおばあちゃん。年齢的に結果がすぐに出にくいため、多くの人が長期のスケジュールで通ってきている。



「たくさんの施設を経験しなさい」



 鶴野院長は、私にそうアドバイスをくれた。理学療法士は国家資格だが、学校で学んだ知識や技術を、現場で経験を積むことで磨いていく職業だ。さらに、施設によって患者さんに偏りがある。



「うちみたいな高齢者ばかりの施設もあれば、スポーツリハビリもある。持っている機械や設備、やり方もいろいろあるから、どういう所で働きたいか、自由に動けるアルバイトのうちに、あれこれ体験してみることをおすすめするよ」



 鶴野院長にそう言われて納得した。妹である鶴野さんも、若いうちは大病院で最先端のリハビリ技術を学ぶことが目標なのだそうだ。私はまだ地図もない出発点なので、積極的にたくさんチャレンジして道を見つけて行こうと思う。



「長谷川さんは力持ちだね~」



 吊り下げ式免負装置からフロアの平面へ、ひょいっとお婆ちゃんを抱えて下ろしてあげると、そう言って感心された。ご高齢の女性の中には、男性トレーナーに体を触られることに抵抗のある方もいらっしゃるので、そういう場合は私の出番だ。重たい鉄の球をぶん投げている腕なので、40キロちょいのお婆ちゃんなら軽~く持ち上げちゃう。



「愛ちゃん、ワシもだっこ」


「院長、小野田さんがだっこだそうです」


「おっしゃ」


「ちょ、ワシは愛ちゃんにお願いしたんじゃ~男はいらん~」



 お爺ちゃん世代の患者さんは、平気でセクハラしてくる人も多いけど、院長や周りのスタッフがフォローしてくれる。それに、そういう人には目の前で握力計を握って見せるんだ。一般女性の平均値は28キロ前後だけど、私は50㎏ちょい。男子の平均値を上回るほどグリップが強い。



「本気出したらリンゴ潰せますね~。この握力で握られたら痛いですよね~」



 そう言ってにっこり笑うと、セクハラ爺ちゃんはしょんぼりして逃げていく。股間に手を当てているのは気のせいだろうか。院長直伝の虫よけテクは効果抜群だ。




 そんなこんなで、新しい環境でも周りの皆さんに助られ、私は目標への第一歩を踏み出した。大半は雑用と力仕事だけど、先輩方の施術を見ているだけでも勉強になるし、学校の授業でわからない部分を教えてもらえるので理解が深まる。そして、いちばん喜んでいるのはお父さんだ。



「ああああ愛ちゃんいいいいいいそこぉおおお」


「ちょっと、変な声出さないで」



 学校やアルバイト先で習った施術を、家でお父さんに試してみたら、悩みの種だった腰痛や肩こりが軽減したと大好評。同じ手でカバンを持ち続けたり、足を組む癖など生活習慣もチェックして、正しい姿勢と筋肉の動かし方を指導している。


 お母さんは肘下がしびれやすいので、腕を動かす運動など取り入れて、無理なく生活の中で筋力と体幹をアップするプログラムを組んでみた。運動不足解消に、ウォーキングもすすめてみようかな。



「愛ちゃん、いきいきしてるわね。目標が決まって楽しそう」



 就寝前のストレッチをしながら、お母さんが私に話しかけてきた。形から入るタイプなので、早速お洒落なマットを購入して張り切っている。



「うん、ようやくエンジンかかった感じかな。授業は厳しいけど、役に立つことばっかりだしね」


「就職しても、結婚するまではうちから通勤するんでしょ? もちろんお婿さんと一緒にうちに住むのも大歓迎~」


「もう、お母さん気が早いよ。あたしまだ3年になったばっかりだよ」



 私は姉や兄と年の離れた末っ子で、姉は既に嫁いでいる。そのため、母はなるべく私を実家に置いておきたいのだ。今はまだ資格を取るための3年間がスタートしたばかりだが、忙しく過ごしているうち、資格試験が行われる4年生の2月はあっという間にやってくるだろう。実際、大学に入学してからの2年はびっくりするほど速かった。


 自分の中では、たぶん市内のどこかで就職するのかなと思いつつ、ちらっと頭の片隅で「東京」という文字が点滅する。ユキ先輩がいま住んでいる街。何度か行ったことはあるけれど、住んでみたらどんな感じなんだろう。


 先輩は、来年こっちに帰ってくるかもしれない。でも、ずっと東京勤務になってしまう可能性もある。もしそうなったら、私はどうしたらいいだろう。延々と遠距離を続けるのかな。


 離れてたった数カ月なのに、そんなことをぐるぐると考えてしまう。私も普通の恋する乙女なんだな。今度会えるのは5月の連休。それまでじっとガマンで頑張らなくちゃ。ああ、ユキ先輩に会いたいよ(ため息)




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