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Prince of Jersey(プリンスオブジャージ)  作者: 水上栞
第二章「恋のウォーミングアップ」
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7.オッチャンのブーメランに気をつけろ(SIDE ユキ)



 俺とオッチャンの住居がある6階まで、たぶん数十秒しかかかっていないと思う。しかし、長谷川とふたりでエレベーターの密室にいる、そのわずかな時間の間、俺は頭がパニックになるほど「どうする俺」をくり返していた。


 ああ、本当に何も考えてなかったんだ。軍団から逃げて走り回り、マンション前に誰もいないのを確認して、中へ入った。いつもと同じパターンの行動なのだが、なぜかそこに長谷川を巻き込んでしまった。気がついたらエレベーターの中に長谷川がいて、こうして現在テンパっている。この家に入れた女なんて、母親と叔母くらいだぞ、どうすんだ。



 告白後、なるべく長谷川にプレッシャーを与えないように遠巻きにしていたのに、家に連れ込むってどういうことだよ! しかもこんな夜遅くに! これじゃ下心ありありのエロ番長じゃないか、いや、下心は満載だけど!



 そんな俺の内心を察したのか、エレベーターのドアが開いて外に出たタイミングで、長谷川が申し訳なさそうに沈黙を破った。



「すいません、家まで付いてきてしまって。少しお話ができたら……と思っただけなんです」



 うぉおお、それを聞いたら帰したくなくなった。なにそれ、可愛いすぎるだろ、反則だろ。第一、俺が勝手に連れてきたんだから、謝るのはこっちだ。それを言うと、長谷川がさらに申し訳なさそうに縮こまった。可愛さ2割増し!(心の声)



「いや、私が押しかけちゃったんで。ここで少しだけお時間いただけますか? すぐお暇しますので」


「いやいや、せっかく来たんだし、上がってお茶くらい飲んでいけよ」



 あーあ、言ってしまったぜ。これ、ドラマでよく見る「よかったらコーヒーでも」トラップじゃねぇか。あれは今晩オッケーの合言葉だが、誓ってそんな気はないから信じてくれ。それにな、家では悪さできない理由があるんだ。



「うちはオッチャンと二人暮らしだから、安心していいぞ。たぶんレジ閉めてそのうち上がってくるはずだ」


「そう言えば、店長とご一緒でしたね」



 長谷川が少しほっとした顔をする。ちょっとは男として意識してもらってるってことか。まあ、オッチャンが帰るまで、茶でも出してもてなそう。そう思ってドアの前でカギをごそごそしているうち、リビングが散らかっていることを思い出した。


 まあ、男の二人住まいだから、多少とっちらかってるのはご愛敬だ。しかし、今日はパンツを干している。俺のパンツはまだいい。濃い色のボクサーパンツがほとんどだ。問題はオッチャンのパンツで、なぜかホットピンクや紫のブーメランを履く。あれを純真無垢な長谷川の目に晒すわけにいかない。



「ちょ、ちょっと待ってろ、長谷川」



 俺は一足先に家に入り、リビングのカーテンレールに引っかけておいた角型ハンガーを引っつかんでオッチャンの部屋にシュートする。これで証拠隠滅は完了だ。カモン、長谷川。もうどこを見られても大丈夫だぜ。



「おじゃまします」



 玄関を開けると、長谷川はお辞儀をしてから靴を脱ぎ、さっと慣れた手つきで揃えた。別にお嬢さまが好きというわけではないが、彼女の所作は品があって美しい。良識のある環境で愛されて育ったことが、そこかしこから感じられるのだ。


 高校の時だったか、付き合ってた女が脱いだ服をそのまま床に置きっぱなしで、一気に冷めたことがある。まあ、それで冷める程度の付き合いだったんだが、俺は考えが古くて細かいところにうるさい。ジジイみたいとよく言われる。しかしそんな小うるさい俺が、長谷川のやることは一事が万事好ましく思う。ああそうか、これがアバタもエクボというやつか。ひゃーーーーっ(照)




「そこらへん、適当に座ってて」



 長谷川をリビングのソファに座らせ、冷蔵庫からペットボトルのアイスティーを出す。ソファの周りはちょっと雑誌などが散らかっているが、まあ許容範囲だろうと思ってコップに注いだ茶を持っていくと、長谷川の足元にアメリカ国旗のようなものが見えた。


 やばい、オッチャンのパンツじゃねえか! あああ、一枚だけ落ちてたのか、やばいやばいやばい! 頼む、長谷川、足元を見るな! てゆーか、星条旗のブーメランパンツなんてどこで買うんだ。



 俺はさりげない風を装い、「エアコンつけてくれるか」と長谷川にリモコンを手渡した。長谷川がエアコンの方を見ながら「ピッ」とした隙を狙って、足元のパンツに思い切りリーチを伸ばしたのだが……



「きゃっ!」


「す、すまん!」



 床に落ちていた雑誌を踏んでしまい、ずるっと滑った。その勢いで俺は長谷川の上に覆いかぶさる格好になってしまった。ほわっとグリーン系の香りがする。シャンプーだろうか。うはぁ、ラッキー……、じゃなくて、いかんいかん! 紳士としてふるまわなくてはいけないタイミングで、何をやっとんじゃ俺は!



 そして、そんな時に限ってオッチャンが帰ってくるという不運。リビングの入り口で俺たちの格好を見て、オッチャンは少し驚いた顔をしたものの、次の瞬間にニンマリと笑った。中年の悪い顔だ、ちょっと待て、絶対に誤解してるだろ。



「違う、違う、オッチャンの思ってるようなんじゃなくて」


「いーから、若い人たちで楽しんで。俺、飲みの約束あんだわ」



 そう言うと、オッチャンは回れ右して出て行った。嘘つけ、飲みの約束があったらいつも店から直行じゃないか。あーあ、後で誤解を解かないとな。



「すまん、落ちてるものを拾おうと思ったんだ。オッチャンには後でちゃんと言っとくから」



 床に正座して、長谷川に頭を下げた。長谷川は手を振ってそれを止め、バックパックから何やらピンクの紙袋を出した。



「大丈夫ですよ、ちょっとびっくりしただけで。それより、これ」



 普通のシンプルな紙袋だが、口のところが金色のシールで止めてある。おおっ、長谷川、ハート型じゃないか! もしかしてもしかしたりするのか! 俺はバカだから勘違いするぞ。今までバレンタインデーは恐怖でしかなかったが、こんなにも甘い期待に満ち溢れたイベントだったんだな。さんざん呪詛の言葉を吐いてすまんかった、日本中の洋菓子屋よ!



「開けて、いいのか」



 長谷川がコクンと頷く。何回見ても、その仕草は殺人的にかわいいぜ。100回くらいやって欲しいが、首がもげると困るので我慢しておこう。俺はドキドキしながら、ハートのシールが破れないよう気をつけて封を開けた。なんだか破れるとゲンが悪そうだろ。そういうところがジジ臭いって言われる理由だろうな。



「おおっ、もしかして手作りか」



 袋の中には紙の箱が入っており、蓋を開けるとチョコレートと思しき棒状の物体が何本か並んでいた。じわじわと期待値が高まる。えーと、これはそういうことでいいんだよな?



「はい、チョコレート味のプロテインとグラノーラを使ったシリアルバーです。筋トレの後に食べるといいらしいです」


「ありがとうな」


「先輩のことだから、たくさんもらったと思いますけど」


「いや、もらってない。もらってないぞ!」



 俺は言い切った。確かに無理やり送って来たり、部室に置いて帰るような奴もいるが、面と向かって差し出されたものは全てお断りしている。それはなぜか、今ならわかる。俺は、長谷川からもらう、たったひとつのチョコレートを待っていたのだと。



「そうなんですか」


「うん、これひとつだけだ。ところで、これは正月の返事だと思っていいのか」



 相変わらず何のひねりもなくて申し訳ないが、もう待ちきれずに長谷川に訊ねてしまった。長谷川の頬がポッ、と朱に染まる。



「お返事が遅くなってすいませんでした。あの、私……」



 ピヨピヨピヨピヨ♪ ひよこみたいな着信音が、いいところで長谷川の言葉を遮った。バックパックの中のスマホが震えているのを見て、長谷川が困ったような顔をしている。今日はタイミング悪く邪魔が入る日だ。


 俺が「出ていいよ」と言うと、長谷川は「すいません」と頭を下げ、スマホを持ってリビングから玄関の方へ移動した。俺は思い切り続きを期待しながら、ドキドキする心をクールダウンさせるべくアイスティーを一気飲みした。




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