11.ちょ、待て、俺ってもしかして?(SIDE ユキ)
すまん、長谷川、マジすまん。一から十まで全てすまん。俺はどうかしている、あんな態度を取るべきではなかった。三べん回ってブリッジ1時間でも足りん。お前には何も悪いところはない。ただ、俺が勝手に暴走しただけだ。
あの日、高橋を飲みに誘おうと電話したら、さゆりさんと隣駅の焼き鳥屋ですでに飲んでいるという。デートの邪魔をしたら悪いので、また今度と思ったが「お前も来いよ」と言うので、お言葉に甘えてお邪魔した。そこで、あのカップルにいじられたのが暴走のスタート地点だ。
「お前、いま彼女いんの」
「は、いねぇよ」
「あれっ、愛ちゃんとは付き合ってないの」
「はぁっ? 長谷川? な、なに言って……」
「あらぁ、お似合いだと思うけどな。愛ちゃん、めちゃくちゃいい子じゃない」
さゆりさんがグイグイ来る。ちょっと待て、俺と長谷川は高校の先輩と後輩で、同じバイトで、体育会系同士で、牛丼仲間でジャージに刺しゅうを入れてもらう付き合いだ。確かに他の女と比べて距離が近いが……近いが……、かなり近いな、考えてみれば。かつてない近さだが、俺と長谷川に限って、そんな。……………………(15秒)えええええええ?
「俺も、お前は長谷川に気があるんだと思ってたけどな」
ニヤニヤしていた高橋がかぶせてくる。何こいつら、もしかしてずっとそう思われてたのか? 俺本人が何も考えていないのに?
「お前、いつだったか俺に言ったことがあんだわ」
「何をだよ」
「世の中の女が、みんな長谷川みたいだったらいいのにって。それって、好きってことじゃね? それ以外考えられねぇんだけど」
「はぁああ?」
言った覚えはないが、確かにそう思うことはある。だが、それは長谷川の性格が気に入ってて、俺と気が合うっていう意味で、まあ笑った顔には癒されるが。でも、しかし…………………………(20秒)おおおおおおおおおお?
そうやっているうちに、長谷川が店にやってきた。さゆりさんが呼び出したみたいだが、さっきの話で気が動転していて、とてもじゃないが本人の前でポーカーフェイスは無理だ。思い切り挙動不審になる俺。というか、長谷川を避けてしまう、目が合わせられない。きっと長谷川は俺が怒っていると勘違いしただろう。違うんだ、怒ってなどいない、恥ずかしいんだ。
そのうち、さゆりさんが長谷川をトイレに連れて行った。ようやくリラックスして飲めると思ったのも束の間、戻ってきた長谷川が見たこともないくらい可愛くなっていた。高橋、お前はよく照れもせず褒めるよな、てか、長谷川の頭を触るな、イライラする。
どういう態度を取っていいか戸惑っていると、さゆりさんが俺に長谷川へのコメントを求めてきた。俺にどう答えろと! テンパってそっけない態度を取っていたら、ついに長谷川本人が突撃してきて、もうそこが臨界点だった。
俺はキレた。大人げなくキレて逃げてしまったんだ。ああ、長谷川、申し訳ない。理由を説明したいんだが、今の俺には無理だ。自分のキャパの小ささを実感して情けなくなる。しかし、長谷川には謝罪せねばならない。気持ちは全く整理されていないが、自分が悪いことをした自覚はある。謝らねば!
とにかく早急に無礼を詫びようと、俺はさゆりさんに長谷川の誕生日を聞きだし、その日に焼肉を食わせようと考えた。あれこれプレゼントも考えたが、女が喜びそうなものが思いつかない。だったら、長谷川の好物で祝うのがいいだろう。
俺は、勇気を出してバイトの帰りに長谷川に声をかけた。顔が引きつりそうだったが、何とか普通の声を絞り出す。
「この間はすまんかった、よくない態度だった」
「いいんですよ、気にしてませんから」
気にしてないことは絶対にないはずだが、こういう場合に理由を聞きたがらないのが、長谷川のいいところだ。いつもの笑顔で俺はすっかりいい気になり、誕生日の予定を聞いてみた。
「すいません、その日は部活の仲間が誕生会をしてくれるんですよ」
「おお、そうか、じゃあまた別の日にでも」
チームの仲間と一緒なら仕方ない。取りあえず長谷川と仲直りできたことでほっとした俺は、しばらくそのことを忘れて忙しく過ごしていた。自宅からいくつか離れた駅の改札前で、長谷川を見かけたのはその翌週。こんなところで偶然だなと思って声をかけようとした俺の足が止まった。長谷川は男と二人連れだったのだ。
思わずバス停の自動販売機の陰に隠れた。別に隠れなくてもいいはずだが、全身の毛細血管が膨張して、スポーツ心臓のはずの俺の心拍が早鐘を打つ。誰だ、長谷川。その男は誰だ!
見守っていると、長谷川と男はそのまま二人で改札の中に消えて行った。この駅前で待ち合わせをしていたようだ。わずか1分くらいの出来事だが、俺には果てしなく長いショッキングな光景だった。何しろ長谷川がスカートをはいていて、先日のように化粧をしていた。そして男が長谷川の手にした紙袋を持ってやっていたのだ、さりげなく。
デートか? それはデートなのか? いや待て、今日は10月18日、長谷川の誕生日じゃないか。ということは、あいつは陸上部の仲間か? 長谷川が俺に嘘をつくとは考えにくいので、たぶんチームメイトだろう。それにしちゃえらく馴れ馴れしいじゃないか。
そんな思いがぐるぐる回った俺は、情けないことに高橋を呼び出していた。今夜は野郎二人なので、商店街の路地に出るおでん屋台だ。ここが安くてけっこう美味い。
「この期に及んでまだ自分の気持ちが認められんとは。往生際の悪い男だな、お前は」
「認められんというか、何というか……。判断がつかんのだ、その、これが世間で言うところの……恋なのか、どうか」
「中二かよ」
高橋がはんぺんを食いながら、口の端で笑う。アホかと思われているだろうが、今までこういう精神の乱れを感じたことがないから仕方ない。とにかく、長谷川と一緒にいると心地よく、長谷川に他の男が近づくと不愉快だ。そして、長谷川に嫌われると辛い。
「そりゃ間違いなく恋だろ。しかもお前にとっちゃ、初恋だな」
「んなわけねえだろ、今まで付き合った相手は十人は下らんぞ」
「要するに、恋愛じゃなかったんだよ。お前、自分から好きになった女がいたか? ただ貢ぎ物を食ってただけだろ」
「貢ぎ物……」
「どうしてもこの女じゃないとダメだ、欲しくてどうしようもない、他の男に取られる前に自分のものにしたいって、必死になったことあるか? ねえだろ」
高橋の言うとおりだ。女はきれいだし可愛いし、付き合うと楽しいが、電車のようなものだと思っていた。途中下車しても、次がまた来る。しかし、長谷川は追いかけて飛び乗らないと、一生後悔する銀河鉄道999だ。自覚症状はあったのに、なぜ気がつかなかったのか。
「たぶん、そのチームメイトの男は長谷川に気があるんじゃないか。男もガキのうちは見た目が好みの女に目が行くが、大人になるうちに、長谷川みたいな女の値打ちが分かってくる。ああいう女に惚れた男は強敵だぞ、他に代わりがないからな」
高橋の言葉を聞いて、パズルのピースが全て繋がった気がした。そして、同時に、頭の中でファンファーレが鳴った。安藤幸彦、これより人生初の恋に向けて、全力で怒涛のオフェンスへ突入する。敵はゴールに向かっている。ぼやぼやしてはいられない。