閑話_3
気がつくと、暗い世界だった。そして気がつくと同時に声をかけられた。
「いよ、バカ兄貴」
「何の用だクソ妹」
ケラケラ笑うラワに、不機嫌にスルマは応答した。
「五体満足に戻っているじゃねえか。良かったな」
「それはそっちも一緒でしょ。あんだけブンダン分断されてたのに戻っているじゃない」
「それはギャグのつもりか」
「つもりだけど。何か?」
暗い世界の道はどこまでも続いていて終わりが見えない。明かりがどこにもないのに、どうして道と相手が、ラワが見えるのかは謎だったが、これがこの「世界」なのだから仕方がないと自分に言い聞かせる。
「そうそう、一応報告しとこないといけないことがありまして」
「何だよ」
「シキセ様に普通にバレてます。気持ち」
「は?」
思わず足を止める。
「それでもってそのお気持ちには答えられないとのことでした。はい、終了」
「ちょっと待てちょっと待てちょっと待てちょっと待て」
ラワの肩をつかむ。
「何をよ。何をちょっと待てってのよ」
「な、何でお前が知っているんだその」
「スルマ様ってシキセ様に恋心抱いてるよなーって私及び私の同期だけじゃなくて皆言ってるけど。普段のふるまい見てたらバレバレよ。日曜日の朝からやってるアニメの展開の方がまだ読めないわ」
ならば、ラワの言葉が真実ならば皆が知っていたのか。あいつも、あいつも、シャトも。
「本当こういうことに関して鈍感ね。もうちょい敏感だったらシキセ様もひょっとしたら考えてくれたかもしれないのに」
「……。話したのかシキセと。俺と、同じように」
「うん、一つ前にここに来たから」
「何か、言っていたか」
「悪いけど付き合えないって」
「……そっちじゃない。というかお前もないのか」
思わず頭をかかえこむ。
「ううん?何よ。ああ、ひょっとしてあいつにひどくやられたから?それ気にしてないかって?まあ特に何もおっしゃってなかったからいいんじゃない?私もそれはそれで終わったことって思っているし。そんなこと言ったら兄貴だって酷い目見ているじゃない」
のんきな返答とともにラワが先へ進んでいく。
それで良いのか。後ろ姿にそっと問いかける。
親の都合で兄妹で別れなければいけなくなった時も、彼女は何も不満を言わなかった。父と母で、力を持っていた父が自分を選び、正直言って内心ほっとしていたのに対して、彼女は不満を述べてもおかしくなかったのに
「それじゃあ元気でね、お兄ちゃん」
その一言ですませてしまった。
久しぶりに再会した時、暮らしぶりがけっして良くないことはその姿から分かった。けれどもそれに対しても不満を全く漏らす様子はなく、ただ単に再開を喜んで見せた。
「こりゃあご縁ですなあ」
ただの考えなしでなない、ということは兄として分かる。妹は内心色々考えを巡らせるタイプだ。そして自分よりも利口だ。年上でありながら、卓上ゲームをして勝った示しがない。勝利の後、ニマニマしながらここをこうすれば勝てたのに、とレクチャーまでしてみせるひねた妹が、自身と兄の境遇の差について、考えを巡らせないはずがない。
けれど彼女は不満を言わなかった。そして今も言おうとしない。気をつかっているのか。
「別に気つかったりしてないからね」
こちらの考えを見透かしているかのように、彼女は言葉を放ってくる。
「本当何ていうかさ、考えていることまるわかりだから。そういうところ直した方がいいよ。多分。間に合うかしらないけれど」
今度は向こうがわざとらしく頭を抱えて見せた。
「あいつにやられたことに関しては私は終わったこととして水に流している。はい終了。あと離婚に関しても私は気にしてないから。そりゃまあ良いなあと思ったこと思ったけれど、生活している最中はそれなりに満足だったし」
半分説教のような調子で話しかけられる。どうしてこうなった。
「そんなわけで私は大丈夫だからさ。考えすぎ。今のところ大丈夫だけれどその調子だとそのうち胃の調子悪くしちゃうわよ」
やれやれえ、とこれまたラワが大げさなポーズをする。
「どうしてこんな兄貴もっちゃったのかな」
再度二人で歩きだしながら問いかける。
「ところで何で兄貴なんだ。昔はお兄ちゃんだっただろ」
「だってそっちの方が呼びやすいし」
「そうか」
進みながら考える。自分にそう呼ばれる資格は本当にあるのだろうか。もちろん血縁上は兄であるし、位も自分の方が上なのでそちらの意味でも問題はない。しかし本当に自分が「兄貴」と呼ばれるだけのことを出来たとは思えない。
「とてもそんな格でなかったけどな」
ぽつりと一人つぶやいたつもりだったのだが、彼女の耳にはしっかりと届いていたらしい。
「ふんが?何また真面目に考えちゃってるのよ」
また説教が始まりそうだ。そのニンマリ顔を見て、老けたなあ、とふと思う。昔は、一緒にいたころはもっとかわいい顔をしていたのに。変わるものとしっていても、お兄ちゃんとしては寂しいぞと心のうちで言ってみる。
お兄ちゃん、か。
「兄貴さ、部下逃がしてあげたじゃない。まだ無事よ。それだけで十分立派だと私は思うけど」
まさかの誉められた。
「そうか」
「そうよ。皆きっと感謝してるって。そんなわけで自身もちなさい」
背中をどんと叩かれる。
「そこ」にたどり着くまではそれほど時間はかからなかった。
「お前はまだ残るつもりか」
「うん。ここまできたら顛末見守りたいじゃない」
兄貴はいいの?と逆に問われる。
「おれは行くことにする。行けたら向こうで気持ちを伝える」
「うっひょ。それ凄い。頑張ってね」
結局最後まで湿っぽい態度はとらなかったな。妹よ。
「じゃあな」
背を向けて別れの挨拶をすますところに、彼女は最後に声をかけてきた。
「うん。それじゃあまたね。お兄ちゃん」
お兄ちゃん、か。