第2話_フィス
星や町の明かりを映してきらめく夜の海。言葉にすればとても綺麗な光景である。だが鑑賞している余裕はリノヤにはない。ここにいる理由、それが怪魔に呼び出された為というのが理由である。
昼間町にあらわれた複数の怪魔達は人々を襲わずにメガホンで呼びかけてみせた。
「ヒーローリノヤよ、東の海岸に今日の夜来い。そして話に応じろ。さもなくばこの町の人間どもは明日皆殺しにしてやる」
罠であることはあからさまであった。罠であることがあからさまであっても、ヒーローと呼ばれる存在が人々を見殺しにする訳がないという魂胆が明らかな罠であることが。
事実、リノヤは今指定された海岸に訪れている。周りに誰もいないか警戒しながら叫んでみせる。
「いるのなら現れてみろ怪魔ども!このリノヤが必ず倒してやる!」
叫びに対する回答は海の方から返された。
「現れてくれたか、ヒーローよ。お前に対する話というのは単純だ。おれ達の仲間にならないか」
現れた怪人は人間そっくりの姿をしていた。全身が魚の鱗で覆われている、という点を除けば。
一体上の連中は何を考えているんだろうな。怪魔、フィスは心のうちでぼやく。
前回、ラワが対峙して味方に引き込めなかったヒーロー、リノヤだったが味方に引き込めという方針は決して変わらなかった。それどころかなるべく健全な状態で、という条件までついてきた。こちらの問いかけには応じてくれないというのはラワの件で分かっているはずなのに、だ。
上といっても直属の上司である三幹部の意見でないだろうということは何となく理解できる。事実自分に指示を出したそのうちの一人は何とも不満げな表情をしていた。
そこまでする、価値があるということなのか。
リノヤは問答無用、と敵であるフィスに飛び掛かる。フィスは押されている、というふりをしながら少しずつ引き下がる。海の方へ。
ある程度まで下がるとフィスは身を翻して沖へと走りだす。
「逃げる気か!」
リノヤが追いかけてくるのが分かる。そして突如深くなった海に足をとられるのも。
フィスはその見かけの通り、海で動くのに適した体をしている。水中で呼吸は可能だし、泳ぐのも速い。また、わずかな間ならば水面を走ることもできる。今回もその能力を使用した。
海中から一気にリノヤを引きずり込む。突然水の中に入れられ、リノヤの口から泡が漏れ出るのが見える。
必死にもがくリノヤの攻撃を躱し、今度は上から彼を押さえつける。狙いはただ一つ。海面に出さず、呼吸をさせないことだ。
水中にいる時間が増えるにつれてどんどんとリノヤの顔が赤くなっていく。空気がすえない苦しみにその表情が歪んでいく。
そろそろころあいか、と一度その体を自由にする。
「がはあ、く、がぼ」
水面へ出ることのできたリノヤは必至で呼吸を再開する。水中でもがくうちに、大分遠くへ来てしまったようで陸が遠くなっている。これではすぐに帰ることは出来そうにない。
陸へ泳ぎだそうとしたリノヤの前に怪魔は立ちふさがり再度問いかける。
「この場所ではお前に勝ち筋はない。おれ達の味方になった方がお前の為だ。再度聞くがおれ達の仲間には…」
最後まで聞かずにリノヤは海岸へと泳ぎ始める。その姿を見てフィスは小さくため息をつく。
「応じてはくれなさそうだな。それならば……」
フィスはリノヤの足をつかみ、再度海中へ引きずり込む。
そして彼の腹部を手で掴む。
「があああああああああああ」
たまらず苦悶の声をあげたリノヤの口から大量の空気が抜けていく。
この技を人間の間ではストマッククローと呼ぶらしい。
一度離して楽にしたと見せかけて、再度しかける。
「がぼおおおおおおお!?」
リノヤの顔が先ほどよりも苦痛で赤くなるのが分かった。
最悪、この男を殺してしまったも良いのではないかとフィスは考えていた。何しろ正体が分からなさすぎる。
最初は少しばかり身体能力が発達した人間だろうぐらいにしか思っていなかった。しかし前回、ラワと対決した時この男はその手から炎を出して見せた。
この男が只の「人間」でないことは明らかだ。仲間に引き込むのはむしろ危険ではないかとフィスは思う。この男は得体が知れなさすぎる。
「仲間になる気がないのなら、このままやらせてもらうぞ」
二度のストマッククローを受け、苦しみながら海上に出て必死で息をしている敵にそう呼びかけてもう一度海中に引きずり込む。
リノヤはまた必死でもがく。だが時間がたつにつれてその動きは少しずつ弱まり始める。そして、最後には止まった。
やったのか。確認の為にフィスは掴んでいた足首を話して敵の前に回り込んだ。するとリノヤが頭を持ち上げた。
相手はまだ、生きている。
そう認識した瞬間リノヤの手から、何かが、出た。
突如強い痛みが走り、水中に赤いものが広がる。胸を見ると大きな傷が出来ている。
かまい…たち?その単語が浮かんだときには遅かった。さらなる追撃で全身が切り裂かれ、血が海中にほとばしる。
自分の体が沈んでいき、そして意識が薄れていくのを感じながらフィスは身あげる。
敵の顔は、リノヤの顔は暗くてよく確認することは出来なかった。