火球
「ねえ。もう二度と、ポニーテールができないようにして」
真夜中、終電もない午前2時。彼女は家に来るなり僕にハサミを押し付けてそう言った。土砂降りの雨は彼女を濡らし、その黒髪に夜の光を集めてきらりと宝石をちりばめていた。
海子はよく笑う子だった。彼女に出会ったのは高校のときで、同じ文芸部だった。僕らの文芸部では8割はライトノベル、2割は純文学を書くなどしている具合であった。因みにその2割は僕と海子である。海子に至っては純文学と言うよりは絵本制作に力を入れていて、いつも雲の上の妄想話を平仮名に落とし込んでいた。
「自分の絵本をね、幼稚園に置くのが夢なの」
「いいね。どんな話を書いたの」
「流れ星の話」
「流れ星?」
「そう」
そう言って得意げに笑う。
このお話の中ではね、流れ星はみんな、花火の一部でね。ほら、花火って不発弾があるでしょ。それはね、夏祭りで、タイミングを逃して輝きそびれた夏の落とし物なの。彼らは年中街をさまよって、幸せにしたい人の前で命を燃やす。どう?
ずっと、楽しそうに話す君を見ていた。ポニーテールを揺らしてセーラー服を纏う君が隣にいた。彼女は特別可愛くもなく酷く不細工でもない、中途半端な女の子だった。そのままでいい。そのままがいい。誰も、彼女に気付かないでいてくれればそれで良かった。
大学に入って、海子は化粧をするようになった。僕以外の男友達を作り、短いスカートを履くようになった。そして何より、彼女は絵本の話をしなくなった。ただ一つ、彼女のポニーテールだけは変わらず揺れていた。
僕は変わらず、彼女と話した。大学の履修の相談。サークルの愚痴。そして、恋の話。デートなら、海子の好きな花火大会がいいよと言うと、えへへ、そうかなあ、なんて返してきた。
「切り取って。全部」
彼女は目も合わせず、僕にハサミを押し付ける。
「おい、海子」
「お願い」
「…大事に伸ばしてきたんだろ、その髪」
「もういいの」
慎ちゃんにしか、できないの。そんなことを言うから、僕は、彼女の黒髪を切り取った。家の狭い風呂場で、ジャキンと音をならしてぶった切ってやった。白い髪飾りが床に落ちるのと同時に、彼女は酷く泣いた。ざまあみろ。僕は内心そう思って、すぐに自己嫌悪に陥った。
海子の不揃いな髪はそのままに、僕らは明け方の街を歩いた。海子の背伸びした白いハイヒールのサンダルを持って、彼女を背負った。お互い何も言わずに、ただ歩くだけだった。
「…流れ星、降らないね。私達のこと、幸せにしてくれてもいいのに」
「そうだね」
彼女と交した言葉は、これだけだった。
帰り際に言葉をこぼした。
「僕さ。海子のこと、好きだよ」
「……うん。」
知ってる。そう言って、彼女は始発電車に連れていかれた。独り言だった。独り言だから、そんな言葉は要らなかったんだ。
空で流れ星が弾け飛んだ。儚く消えた光はばらばらに散らばって、つまらない社会に溶けて消える。
海子も、見えたんだろうか。それだけをただ、考えていた。