エピローグ
カイルーンの町は騒然としていた。
――青い髪を振り乱した獣が町中で暴れまわっている。
――大柄の男が町を破壊している。
――巨大な怪鳥が飛来し物見櫓を破壊した。
情報が錯綜しており、カイルーン森林警備隊はすぐに厳戒態勢を敷いた。敷いたのだが――危険生物とやらは発見できなかった。目撃情報も一貫性が無く、モンスターなのかそれとも人なのか判断できない。本当に存在したのか疑いたくなる状況だが、町中には傷痕が数多く残されていた。
まるで爆破されたかのような痕跡が家屋の壁や道路に点在していた。なにか人外の生物が暴れまわったに違いなかった。しかし――おかしなことに死者はひとりもいない。負傷者は多数いるものの直接攻撃されたのではなく、倒壊した建物に巻き込まれたり、飛来した破片が命中したため。まるで人を避けるように暴れまわったのだ。
その正体――知る者はたったひとり。
**
森林警備隊の面々が慌ただしく町の中を巡回している。
危険生物発見のため、そして住民の安全を守るために。
そんな中、アイナはとぼとぼと家に向かって歩いた。全身がびしょ濡れなのは、インベントが用水路に落としたから――否、インベントがアイナを気遣い用水路に逃がしたのだ。
(アレがジン隊長だって気付いて、アタシ動転してたからな。インベント……気遣ってくれたのかな?)
インベントの優しさを感じ、少しだけ心が暖かくなる。
そんな暖かさを一気にかき消すように、不安が押し寄せてきた。
(気遣い? インベントが? アタシのこと忘れて飛び回ったあげく落っことしちまうようなアイツが? 今日のアイツなんか変。いつも変だけど方向性が……)
この世界で最もインベントを理解しているのはアイナで間違いない。しかし完全に理解することなどできないし、理解するにはインベントは難解過ぎた。ただただ不安が募っていく。
足早に家に向かうが、ジンが破壊したであろう痕跡を次々と発見。
(森林警備隊に報告しなきゃな。……でもなんて? ジン隊長がモンスターになってました……ってか?)
説明して伝わると思えない。説明したくもない。
いつの間にか駆けて家に戻っていた。そして呆然と口を開いてしまった。
アイナたちが住む家は、元々武器倉庫だった場所を借り受け利用させてもらっている。インベントとふたりで住むには十分な広さ。しかし現在、ドアは破壊され家の中は丸見えである。
近隣の住民が集まっていたが、アイナは何も知らないととぼけ、笑って誤魔化しつつやんわりと追い払った。
「ふう……」
アイナは軒先に座り、溜息とともに項垂れた。
インベントがどうなったのか? ジンはどうなったのか? アイナ自身はなにをすべきなのか? 頭の中はこんがらがり、ただ茫然と時間が過ぎていく。
**
「――うわ~、ドアが無い」
項垂れていたアイナは、バッと見上げた。そこにはドアが破壊されてることに驚きつつも、ひどく不機嫌に見えるインベントが立っていた。
インベントが戻ってきたことに一安心するアイナだが、どう声をかけるか戸惑った。
「ふう……疲れた。寝よ」
「え?」
インベントはドアが無いことも気にせず家に入り、寝ようとしていた。アイナが咄嗟に立ち上がり――
「ちょちょちょ!」
「ん~?」
引き留めて向き合うふたり。
「その……怪我とか無いか?」
「別に大丈夫だけど」
「おお~そっかそっか。そりゃ~よかった」
「うん」
「うんうん……あ~、えっとぉ……」
アイナはやはり不機嫌に見えるインベントに気を使いつつ、このままでは寝室に行ってしまうと思い意を決して問うた。
「え~ジンさん……ジン隊長はどうなった?」
インベントはアイナから視線を逸らした。どのように説明すればいいかわからないが、一から十まで話すのも億劫であり――
「なんか……南に行った」
「え? 南?」
アイナはインベントがジンを殺したのではないかと思っていた。それも仕方ないことと受け入れるつもりだった。しかしインベントの答えは予想外なもの。
「な、なんで南?」
「さ、さあ? 探し物とか?」
「へ? 探し物? なにを探しにさ?」
「そ、そりゃあ……強い奴とか……かな」
「んあ? 強い奴? ちょっと待て待て。何言ってんだ?」
インベントは目頭を押さえ、ふうと息を吹いて――
「よくわからないけど南へ行った。だからもう大丈夫だよ」
話を強引に終わらせ、家の中へ入っていく。
インベントは疲れていた。いつもならモンスターと戦った後は疲労感よりも幸福感が勝るのだが、今回は『人型モンスター』――ではなく荒ぶった人間のジン・ハルゲート。様々なことを考えて飛び回った結果、肉体も精神もクタクタだったのだ。
納得いかないアイナは追いすがり、家の中へ。再度インベントに問い詰めようとした。
「ちょっと待てってば!」
アイナに呼びかけられた瞬間、インベントの脳裏にあるシーンが過った。
ドアがあった頃――家の中――インベントとアイナ――そしてジンがいた状況。
(あ~、またジンみたいなのが家にやってきたら困るな。もう相手なんてしたくないよ。うん、それだけは伝えておこっかな)
インベントは振り返った。
「家に男の人をいれないほうがいいよ」
インベントは頷いて、そのまま寝室に向かった。アイナに呼び止められるかと思ったが、杞憂に終わった。
「ふあ~あ。あ、そういえば……」
(よくよく考えてみると、『黒猿』も『白猿』も『青猿』も男だった気がする。けど女の人が現れる可能性もあるんだよな。は~あ、ヤダヤダ。『男』じゃなくて『変な人』とかのほうが良かったかな。ま、いいやもう)
インベントが「家に男の人をいれないほうがいいよ」と言ったのは、ジンのように危険な人間を家に入れると危ないという意味だった。しかし――アイナは全く別の捉え方をしていた。
アイナは一瞬心臓が止まり、硬直していた。あわあわしていた。
(イ、インベント君……浮気のこと怒ってる! い、いや浮気じゃねえし! で、でも家に入れちゃったのは事実だし……でもでも誤解……誤解なのにぃ)
インベントは帰ってきてから終始不機嫌だった(眠いだけ)。
まさかインベントが浮気に対してそこまで厳しい男だとは予想外であり、アイナは気が動転してしまった。
(ど、どうしよう……謝りにいったほうがいいのかな……。でもなあ、ほとぼりが冷めるのを待ったほうが……うぇ~ん! どうしたらいいんだー!? 正しい選択肢がわっかんねえ!)
翌朝――何事も無かったかのようにいつも通りのインベントに戻っていた。
しかし、アイナは数日びくびくしながら過ごすことになる。
アイナは浮気は絶対にしないと心に決めた……のだが。
まさか――――今度はインベントが堂々と浮気するとは思いもしなかった。
十五章 愛_浮気編 完
【IF】インベントが戻らなかった場合
カイルーン森林警備隊隊員、コナソ・ニンザブロ。
コナソは、ナニカに町中が破壊されるというあっては許されざる事態だが、被害の大きさに反して死者がひとりもいないという不可解な事件――『殺人無き殺人事件』の真相を追うべく捜査に乗り出していた。
そして事件から五日後――
「な、なにすんだ!?」
コナソは森林警備隊を数名連れアイナの家にやってきた。そしてアイナを捕縛した。コナソは腕組みしにやりと笑った。
「『殺人無き殺人事件』の犯人は――あなたですね。アイナ・プリッツ」
「は? な、なわけあるかーい!」
「ふっふっふ、正確に言えば――共犯ですね」
「ハア?」
コナソは襟を正し、雄弁に語りだした。
「――『殺人無き殺人事件』。当初はモンスターが町に入り込んだのかと思いましたが、どうにも不可解な点が多い。モンスターであればどうやって森林警備隊に気付かれず町に侵入したのかわからない。それに死者もいなければ、直接攻撃された者もいない。明らかに変だ」
コナソはくるくるとその場を歩き出した。
「町の破壊地点――」
「え?」
「全部で四八か所。特に大きな被害は一二か所、そして最後の目撃情報は物見櫓。すべて確認してきました。そして二つの事実に気付いた。一つ目は最初の破壊箇所がここ、そうアイナさんの家であること」
アイナは口を噤んだ。確かにジンが暴れだしたのはアイナの住む家からであり、コナソの推理は当たっていた。コナソは応急処理されているドアを指差した。
「さらに、他の破壊箇所と決定的に違う点が――! そうアレです!」
「ど、どういうことだよ」
「フフフ、アイナさん。ドアは木端微塵に吹き飛んでいます。しかし奇妙なんですよ」
「な、なにがだよ?」
コナソの瞳が怪しく光った。
「どうしてこの家、そう! この家の中は綺麗なんでしょうか? ドアの破片が家の中に散乱していたっておかしくないでしょうに! アイナさんが掃除されたんでしょうか? いいえ違います」
コナソはつかつかと捕縛されているアイナに近寄り――
「中から破壊されたんですよ。家の中から。――四八か所で唯一ここだけが。何が言いたいかわかりますか?」
コナソは「犯人――ここにいたんですよ」と囁いた。アイナは感心した。確かに犯人であるジンはここにいた。だが――
「つまり――犯人はインベント・リアルトですね」
「え!? いや、違う違う!」
コナソは指をパチンと鳴らした。
「動機はわかりませんが、なんらかの理由でインベントは暴れだした! そして町中を破壊した。しかしインベントも人の子。人間を攻撃はできなかった」
「違うってば! インベントじゃねえよ!」
「だったらインベントはどこにいるんですか? いないじゃないですか? それがなによりの証拠です。もしかしたら――アナタが隠しているんじゃないですか? アイナさん――いや共犯者のアイナさん」
「ちっげー! 共犯者じゃねー! そもそもインベントが犯人じゃねえー!」
「フフフ、あとは取調室で聞きましょう。連れていけ」
「ぎゃあー! 本当に違うんだよー!」
真実はいつも一つ!




