真実は時に二つ
インベントは『青猿』に手を差し伸べた。
「さあ、もう一狩り行こうか」
言葉通り、次のモンスターを狩りに行こうという提案だ。
『青猿』が人間に戻るかどうかなんてすでにどうでも良くなってしまっていた。
優秀なディフェンダーと一緒に狩りがしたいだけである。
オレ、インベント。モンスター、狩りたい。
しかし『青猿』からすれば意味が分からない。
ふつふつと湧き上がる殺意。『青猿』にとってインベントは仇なのだ。
『青猿』は腕に力を籠めた。
インベントはモンスターの気配が強まったことに心底がっかりした。
しかし、『青猿』は、強く握りしめている両拳を眺めた。左手に盾、右手に剣がある。
インベントを殺すためには不要な人間の道具。さっさと手放せばよいのだが、どうしても手放せない様子。
モンスターのオクトゥと、人間のジンがせめぎ合っていた。
「めんどくさいなあ」
モンスターを狩りたいインベント。『青猿』の苦悩や葛藤はどうでもいい。
『今のうちにぶっ殺しちゃえばいいんじゃね?』
隙だらけの『青猿』を、さっさと殺してしまえばいいのではないかと思うクロ。
『ここまできたんだから人間に戻してあげようよ!』
人間の心を忘れないシロ。
インベントは大きく溜息を吐きながらも考えてみる。
「確かにもー少しな気がしますよねえ。あと一歩……なのかなあ。
う~ん、毛でも剃ってみます?」
『あへ? 斜め上の発想だな』
「人間らしくなるかな~って。ほら、カイルーンの町では人間だったじゃないですか」
『確かに毛を剃ったら人間らしくはなるか……よ~しやってみっか』
インベントに同調するクロだが、ただの悪ふざけである。
『毛を剃って人間になるわけないでしょ! それに不用意に近づいたら危ないでしょ!』
クロはけたけたと笑い、インベントは冗談であることに気付いた。
「だめか。う~ん、カイルーンの町に連れて行けば人間に戻るかもしれないですね」
『そりゃまた危険な賭けだ』
そんな時――『青猿』が「カイ……ルーン」と呟いた。
インベントは再度「カイルーン」と言うと、『青猿』はやはり「カイルーン」と呟く。
『青猿』は倒れこみ何度もカイルーンと呟き始めた。
盾を握った左手で、時折自らの頭を殴打しながら。
『今なら口撃が効きそうだな。あ、言葉攻めって意味だぞ、ベン太郎』
「あ~なるほど」
『な~にを言えばいいかな~。どう思うよシロちゃん』
シロは一呼吸置いて『え?』と声を上げた。
『立案者はシロなんだし、シロが考えろよ。私としては罵倒しまくるのが一番だと思うけどな』
『罵倒はダメだよ。もっとなんかこう、心に突き刺さるようなメッセージとか』
『アン? 愛は地球を救うとかか、カカカ、うっそくせえ』
『もう! えっと、カイルーンって言葉に反応しているんだし、カイルーンにまつわるものとか?』
『ほーん。おいベン太郎、カイルーンの名産とかねえのか?』
インベントは名産と言われ――「モンスター?」と頓珍漢な答えを言い出した。
『だめだベン太郎は役に立たねえ。シロが考えろ』
『わ、わかった、ちょっと待って……』
**
シロは考えた。どうにか『青猿』に残る人の心に届く言葉を。
そして思いついたのが――
『それじゃ、私が言ったとおりに言ってみて』
「了解です!」
シロが丁寧に伝えた言葉を、インベントはゆっくりとしたテンポで語り掛ける。
「――ハイマ」
びくりと震える『青猿』。
「――ユーパ」
心なしか動悸が激しくなった。
「カロッサ――パリス――テルメア――メルペ」
人名と思われる言葉。インベントが唯一覚えていたのは森林警備隊総隊長であるメルペだけ。
ハイマとユーパはジンの妹である。他はカイルーンのインベントたちが住む家でジンが呟いていた名前である。
『よく覚えてんなァ』
『全部じゃないけど……もしかしたら必要かと思ってメモしておいたの』
『無駄にマメだもんな、シロ』
『青猿』は剣と盾を手放していた。両手で頭を押さえ転げまわっている。
クロは『効果は抜群だ』と言う。
そして人名を二周言い終わったところで、『青猿』は動かなくなった。
少ししてからパクパクと口を動かし始め、次第に全身を覆っていた体毛が短くなっていく。
顔も人間だと認識できる状態に。
突然目を開き、急に上半身を起こした。身構えるシロとクロ。冷めた表情で身構えないインベント。
『青猿』――ジンは視線を慌ただしく動かし、インベント見て、すぐにインベントから目を逸らす。
瞳を閉じて、苦しみだした。
「ぐう……」
右掌をインベントに向けた。来るなと合図しているかのように。
「お、俺は……ジン。カイルーンのジン」
自己紹介かと思いきや、そうではなく、自分自身が何者か確認するかのように自分自身に言い聞かせていた。
「カイルーン森林警備隊。ジン・ハルゲート。ジン隊の隊長」
突然目を見開いた。
「カロッサ、パリス、テルメアは無事か?」
インベントは首を振り「知らない」とかえす。
ジンの表情は怒りに支配される。だが首を振り、歯を食いしばり、まるで痛みに耐えるかのように心を落ち着かせていく。
「すまない。だめだ。キミを見ると。心が。震える。泡立つ」
インベントは「俺が殺ったんじゃないですよ」と言った。
(『白猿』は俺が殺っちゃったけど……いやそもそも殺してない。
逃げちゃったから俺のせいじゃない)
インベントは自分は何も悪くないと、首を縦に振った。
「わかってる。わかっているが……衝動が――君を見ると怒りが」
インベントは不服そうに口をへの字に曲げた。
『青猿』は頭を押さえ、断続的に首を小刻みに振っている。
「ぐぅう! 兄なんていないはずなのに……!
兄のことを思い出すと! 違う兄じゃない! 偽りだ。
あれは……いや……兄だった。俺たちは兄弟だった。
支え合って生き延びた。セプテム兄さんは絶対に兄さんだ」
『青猿』は限りなくジン・ハルゲートに戻りつつあった。
しかしどうしても消えない兄の記憶――セプテムの弟であるオクトゥの記憶がジンを苦しめていた。
ジンは両手で地面を力一杯叩く。それは人間の力ではなく、明らかにモンスターの力。
「死にかけの兄さんがやってきて、俺に言った!
『空飛ぶ奴に殺られた』と言っていた! 『インベントに殺られた』と!」
インベントは眉をひそめる。
だがジンは呆けて天を仰ぐ。
「兄さんは『インベント』なんて言っていない。
あれ……なぜ俺は君がインベントだと知っている?」
記憶の扉が開いていく。
その結果――インベントは最も知りたいことと、最も知りたくないことを知ることになる。




