逃避行
今日も今日とてルベリオは現れない。悶々とした日々を過ごすインベント。
いつもならば日が沈むまで狼煙を探すのだが、嫌な予感を覚えた。
いったん家に戻ろうとするインベントだが、胸にもやもやが広がっていく。
その正体は皆目見当がつかないまま、家に到着する。
木製のドアがまるで鉄扉のように重く感じた。
そして家の中にはアイナと見知らぬ男がいた。
第一印象はすごく不快な男。
インベントは人全般に興味が薄く、すぐに忘れてしまう。あまり人を好きにもならないし、嫌いにもならない。そんなインベントが明確に、ジンのことを嫌いだと思ったのだ。
理由はわからない。生理的に受け付けない。だからアイナがこっそりと男を連れ込んでいたことに対し、苛立っているのではないかと客観的に考えてみた。
どうにか理由をつけたかった。それほどまでにジンを嫌悪し、嫌いな人間が家の中にいることが気持ち悪かった。
素性の分からぬ青い髪の男。快活な発言が癪に障る。どうやらアイナの先輩らしい。
しかしジンがインベントのことを仇だと言い始めたぐらいから、ジンから異様な圧力が迸っていた。
(どうして気づかなかったんだ)
インベントは悔いた。
気持ち悪さや不快感はあったが、それでもジンは人間だった。まごうことなき人間だった。
よもやインベントが誰よりもよく知っている、モンスターの気配をジンから感じることになるとは思ってもいなかった。
家の中は最も安心できる場所。
そんな聖域にまさか人間を装ったモンスターが入り込む事態。
『黒猿』と『白猿』。インベントは人型モンスターと二度戦った。
どちらも体毛の色からついた安直な名前だが、例に倣いジンのことを『青猿』と呼ぶことにした。
そしてインベントは取捨選択を迫られていた。
『青猿』と戦うか、それとも逃げるか。そして迷わず逃げることを選ぶ。
『青猿』が『黒猿』や『白猿』より強いのかは判断つかない。だが比肩する強さを持っているだろうとインベントは判断した。
勝てる可能性は十分にある。しかしそれは万全の準備が整っている場合だ。
インベントは現在、漆黒シリーズを装備していない。
まさか町中――それも我が家でモンスターと相対するのは想定外。漆黒シリーズは装着するのにそれなりに時間のかかる装備であり、そんな暇は無かった。
そして――アイナを護らなければならない。
もしも家の中で戦闘が始まってしまえば、アイナを護り切れる自信は無かった。
だから逃げた。
逃げれば――『青猿』が暴れるかもしれないことも想定していた。
『青猿』が暴れればカイルーンの町の住民に被害が及ぶことも理解していた。
と同時に――犠牲者がでるかもしれないが時間稼ぎになることも想定していた。
アイナを逃がすだけの時間を確保できれば、多少の犠牲は仕方ない。知ったことではない。
森林警備隊が処理してくれるかもしれないし、『宵蛇』が来て殺してくれるかもしれない。積極的にかかわる必要は無い。
インベントはアイナに好意を持っているし、大切に思っている。
だが、その他大勢に関しては全く興味を持っていない。
アイナが極めて特別な存在とも言えるし、アイナ以外が極めてどうでもいい存在とも言える。
アイナを安全な場所に。
そのためにインベントは町中に溶け込むように逃げることを選択した。
だが――見上げた先には『青猿』。
(『白猿』も飛んでたけど……アレも飛べるのかよ)
浮遊しているのか、それとも飛び上がっただけなのかはわからない。
しかし『青猿』は留まり、インベントがいる方角を向いていた。
インベントは発見されていないことを祈るが、発見されていると想定しとにかく逃げる。
『青猿』は森林警備隊の隊服を着用しているが、手足の露出している部分は青黒い体毛が生え、毛髪は腰に届くほどに伸びていた。
『青猿』を見て、あれがジンであると判断できるものは恐らくいないだろう。それぐらい人間からかけ離れた存在。気づいたのはインベントと、経緯を見ていたアイナだけである。
「あ、あれが……ジン隊長?」
インベントとアイナは見上げていた。インベントは『青猿』が落下してこないため、何らかの方法で浮遊していると判断を下す。
アイナは力強くインベントを掴む。小刻みに震えながら。
「なん――なんで隊長が、あんな、あんな風になっちまってんだ? なあ」
「――――」
インベントは何を言えばいいのかわからず黙った。
「あの人、アタシの隊長だった人なんだよ。色々世話になった人なんだよ。
死んだって聞いて悲しかった。でも任務中に死ぬのは仕方ねえ。大地に還ったと思ってた。
だけど、生きてた。生きてたけど……あ、あれじゃ、モ、モン……」
インベントはアイナをぎゅっと抱きしめた。アイナの視界を遮り『青猿』を――ジンを見えないようにして。
(アイナとアレを関わらせちゃいけない)
インベントは直感的に思った。そしてその思いに従う。
インベントは『青猿』を警戒しつつ、周囲を見渡し、町の中を流れる幅三メートルほど用水路に目をつけた。インベントは優しくアイナを用水路に落とした。
「冷たッ!」
驚くアイナ。見上げた先にいるインベントと目が合う。ぎこちない笑顔のインベント。
インベントは直後、空を見上げ、『青猿』を視界に。
(アイナが狙われないように距離をとろう。俺の近くにいることが一番危険だろうし)
インベントの周辺は町民が多少ざわついていたが、無視し、屋根の上に飛び上がった。
(狙いは――俺なんだよな? 見えていないのか?
こっちをずっと見ている気がするけど、動けない理由でもあるのか?)
インベントは歯ぎしりをした。
「モンスターなら近くの人間を襲えばよかったのに。
モンスターらしくさ。クソ」
インベントは誰よりもモンスターの習性をよく知っている。
だからこそモンスターらしくない動きをする『青猿』に苛立ち、舌打ちした。
「ハハ……人型モンスターはよくわらからない動きをするもんな。
やっぱり、人だから――か?」
と吐き捨てた。




