パパと天使と悪魔と
(どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!?)
馬が突如暴れだし、走り出した。
ロイドには何故暴れだしたのかわからない。
大腿部に木片が突き刺さったからなのだが、御者席からはそれが見えない。
走り出してしまった馬車は、森を分け入って突き進もうとする。
ロイドはどうにか方向修正し、アイレドの町まで続く道へ誘導した。
(よかった。あとはどうにか落ち着かせて……)
馬をなだめ、そして停止させようとするロイドだが、後方からの轟音が身体を震わせ「ひぃ」と情けない声を出してしまう。
先程まで同乗者だったウェルチが「モンスターだ」と叫んだことを思い返す。
輸送団がなにかしらのモンスターに襲われたことは間違いない。
(残された輸送団はモンスターに襲われている。
残された輸送団がモンスターに襲われている。
そうだ、私じゃない! あっちにモンスターはいるはず、そうに違いな――)
ロイドは他人の不幸話が好きである。
それは恥ずべきことだと思っているので隠しているが、好きなものは好きなのだ。
だが他人が不幸になることが好きなのではなく、不幸が降りかかったのが自分ではないと安堵するから好きなのだ。
再度身体の芯まで響く振動がロイドを震わせた。
そして知る。今回は自身の番であることを。
「は、走れェ!」
ロイドは馬に鞭打った。
ロイドは振り返らない。とにかく前へ進む。
振り返ってモンスターを見るのが怖いのだ。
仮に逃げ切れたとしても、今日のうちに町へは到着できない。
それでも生き残るために最善を尽くすロイド。
「逃げるなら全力で、逃げるなら全力で、逃げるなら……全力!!」
道は決して走りやすい道ではない。
所詮、クリエが猪たちと往復することで作り上げた獣道。
それでもロイドが操る馬車は風のように走る。
「走れ……走れ……走れ……。
飛べえ……飛べえ……飛べえ……」
ロイド自身も信じされないほどの速さ。
まるで飛んでいるかのように感じ、『飛べ』と連呼するロイド。
そしてロイドの言葉は現実のものとなる。
馬車は緩やかな曲道を曲がらず、そのまま直進していく。
ふわりと馬車が浮き、そのままゆっくりと空へと飛びあがっていくかのように感じるロイド。
だが馬車は空中でくの字に曲がり、ロイドは刹那の中どうにか立て直そうとするが時すでに遅く、どうしようもない状況へ。
馬車は横転し、弾き飛ばされそうになるロイドだが、どうにか手綱にしがみく。
各所を打撲し、特に腰には尋常ではない痛みが走るが、全速力の馬車が横転したにしては奇跡的な軽傷と言える。
「う、うがあ。い、痛い」
泥まみれのロイドと横転し暴れる馬。
そんなロイドに液体が降り注ぐ。
「な、なんだ?」
びちゃびちゃと粘度が高く生暖かい液体。
その正体が血液であることになかなか気づけないロイド。
それが馬の首から噴水のようにほとばしっていることも、そもそもいつの間にか首の先が無くなっていることも理解できていない。
あまりにも非現実的な状況に、ロイドは現実を受け止められずにいた。
「えっ? えっ?」
ナニカが立っている。
ロイドは異質な存在を目にしているが、それがなにかわからずにいた。
まるで巨大な岩が立っているかのような存在。
そんな岩が動く。
それが――モンスターの前肢だとはまだ気づいていない。
次の瞬間、ロイドと共に倒れていた荷台が爆ぜるように吹き飛んだ。
ロイドは恐怖のあまり、首が無くなるほど肩を窄める。
(コ、コレが、モンスター?)
ロイドは人生で三度だけモンスターを見たことがある。
すべてラットタイプだったが、その時の印象は巨大で狂暴なネズミ。
そんな経験があるからこそ、モンスターは基となった生物の面影はしっかりと残していることを知っている。
というよりもモンスターを見たことが無い人でも、基となった生物から見た目が大きく乖離しないことは知っており、常識である。
だがロイドが見ているモンスターは、なにが基となったモンスターかわからない。
そもそもモンスターの定義がわからなくなっているロイド。
それでもモンスターが再度振り上げた前肢が、振り落とされれれば簡単に絶命する事は理解できた。
ロイドはじたばたと後ずさりしながら、攻撃が来る前に逃げ出した。
(なんで! 私が! こんな目に!)
とにかく走り出したロイド。
どこか隠れるところがないか探しながら、木の影に隠れるようにジグザグと走る。
「だめだ、だめだ、もうだめだ。
アア! おしまいだ!
こんなことになるなら輸送団なんかやらなきゃよかった!
欲に目がくらんだ! 見栄を張った!
もうしません! もうしないからどうか……どうか!」
懇願しながら、汗や涙を流しながら、よだれを垂れ流しながら――
背後から伝わる大きな振動や音から逃げるロイド。
全速力。
徐々に視界が白く染まりだし、肺が悲鳴をあげた。
ただただ走るロイドだが――その時がやってきた。
「アアァ!?」
肩を掴まれ、バランスを崩し、足がもつれるが、どうにか解き再度走り出そうとするロイド。
「アッ! アッ! アッ! アッ!」
すでに酸素が入っていかないほど肺を酷使しているロイド。
もう先程のような速さで走ることはできなかった。
今度は両肩を掴まれ、遂には地面に倒れてしまう。
(終わった……ああ、終わった)
激しい耳鳴りの中、ロイドは死の恐怖から逃れるため目を閉じた。
そんな時、なにかが聞こえてきた。
モンスターの鳴き声かと思い震えるロイド、だが――
(あれ? 人の言葉か?
でも聞き取れない。なんだ? 天使?)
朦朧としているロイドの頭には、鈴を転がすような声な美しい声が響いていた。
唯一聞き取れた言葉は「大丈夫」だった。
ロイドはゆっくりと目を開くが世界は色を失っていた。焦点も合わず世界がダブって見える。
視界の左側に女性らしき誰かがいる。
ロイドは思わず「天使」と呟いた。
そしてロイドは空を見る。
イング王国にしては珍しく、広く空が見える場所だった。
真っ白な空。
そんな真っ白な空から、真っ黒な人らしきナニカがゆっくりと降下してくる。
白黒の世界だからこそ、異様に恐ろしく感じた。
ロイドは思わず「悪魔」と呟いたのだった。




