今更の葛藤
「オニイ、ラン」
発音はおぼつかないものの、『白猿』は「お兄さん」と言っているようだ。
体毛に覆われ表情から感情を読み取ることは難しいが、笑っているように感じる。
それがまた気味が悪いと思うインベント。
インベントは『深き泥沼の龍王』を奪われた憎しみも薄れ始め、人語を話すモンスターに不気味さを覚えていた。
モンスターに対し、肯定的ではない感情を抱いたことは皆無に近いインベント。
(意味不明な奴だけど、知能が高い?
だからといって、人語を真似たりするのか?
好奇心か? なんだろう……すごくモヤモヤする)
いまだに「オニイラン」と言い続ける『白猿』に苛立つ。
「うるさいな。
俺はお兄ちゃんじゃないぞ! だって一人っ子だからな!」
びしっと言い放つインベントに、『白猿』は数秒黙る。
「ア、オ、ア、オ、エ、オ、エ」
先程までの「オニイラン」とは違うなにかを言いたげな『白猿』。
インベントは怪訝な顔で『白猿』を見ている。
そして――
「オエ、オエ、オネ、オル、オゲ、オゲ……オゲ!」
文字の羅列が組み合わさる。
(なにか……言いたい? なにを……言いたい?)
文字の羅列が単語を作り、単語の羅列は拙いながらも文章に成っていく。
「オゲ……オニイラン」
インベントは聞こえたままにオウム返しする。
「おげ、お兄……さん?」
『白猿』は手を叩き――
「オエ……オエ、ガ、オニイラン」
インベントはその言葉――言葉らしきものを頭の中で何度も唱えてみる。
そして導き出した回答案を呟く。
「俺が……お兄さん?」
「アーッ! オゲ、ガ、オニイラ!」
インベントは『白猿』の反応から、恐らく正解したことを汲み取る。
「い、いや、俺にお前みたいなお兄さんはいないからな」
ツッコミを入れるインベントだが、モンスターと会話していることに今更ながらに違和感を覚え始める。
だがその心配は杞憂に終わる。
わなわなと身体を震わせる『白猿』。
「オゲガッ! オゲガッ! ニイニ! ニイザン、ニイ……ニイサン!」
頭を抱えながらその場に倒れこむ。
泥が大きく跳ねるが気にもせず、頭を勢いよく泥沼に叩きつけた。
「オッ、オッ……オデ。
ティ、チ、ティッチ、ティナ、ティナ、ティナウ」
インベントは自然と身構えつつ『白猿』を観察している。
それは先程まで感じていた不気味さを越え、もはや恐怖に近い感情。
モンスターに対して感じるはずの無い感情。
頭を抱えている『白猿』は、自らの眉を叩きながら、言葉らしきものを連呼する。
明らかに苦悩の色が見えた。
「イザウ……シザウ……クザウ……コザウ……ウザウザウ」
(『なんとかザウ』って言葉だろうか? なんだろう?)
インベントもクイズを解く感覚で考えるが、答えは出ない。
そして――
「ナザウ……ワザウ……チザウ……!?
チザウ……チザウ!」
「ちざう?」
『白猿』は思い切り大地を叩く。
盛大に泥が舞う中――
「――チガウ!」
これまでとは違う言葉が紡がれた。
これまでよりも明瞭で、それはまるで――
(違……う?
違うって言ったよな?
俺のモノマネじゃ……ない。
え? なにが違う? いやそもそも、なぜ喋れる?)
インベントの体が冷えていく。
特に四肢末端は氷でも触っていたかのように冷たく。
「チガウチガウ!
オイガオニイラン! オエガオニイガン!」
「い、いや、だから俺は一人っ子……」
瞬間、インベントの発言に激昂する『白猿』の顔が見えた。
直後、凄まじい力で泥沼を叩きつける『白猿』。
泥がまるでカーテンのように広がり、『白猿』を覆い隠す。
そして泥のカーテンが弾けるように割れ、『白猿』が迫ってくる。
完全に後手に回ってしまうインベント。
いつものインベントであれば、泥が舞い上がった段階で回避行動をとっている。
むしろその前に牽制行動をとっているはずなのだ。
「むむっ!」
丸太ドライブ零式で弾き返すか、回避するか迷うインベント。
迷った末の回避。
だが避け切れず、左腕が吹き飛ばされる。
「痛ッ!」
幸い軽く触れただけだったため、肩が抜けそうになるが無傷。
しかし、やはり動きにキレのないインベント。
なにせこれまで防戦一方ならぬ攻戦一方の展開だった。
どうすれば『白猿』を怒らせることができるかと実験を繰り返していた。
舐めプと言っても過言ではない状況で、インベントのモンスターに対する『ぶっ殺スイッチ』はオフに近い状況へ。
とは言え本来ならばそんなことはあり得ない。
どれだけ雑魚であってもモンスター相手ならば100%以上の力を発揮するインベント。
モンスターに対しての熱意は常軌を逸しているからである。
だが、インベントは気づいてしまった。
誰よりもモンスターが大好きで、狩りたくて狩りたくて仕方ないからこそ気付いてしまった。
本来ならばあり得ない仮説に辿り着いてしまった。
回避行動をとりつつ『白猿』を目で追うインベント。
拙い人語を連呼する『白猿』を見て――
(コイツ……元人間なんじゃないか?)
――と。
**
人型モンスター。
『白猿』や『黒猿』が該当するが、基となる動物は猿だと信じて疑っていなかった。
小型の猿がモンスター化し、小型モンスターとは思えないほどの異常な力を得たのが人型モンスターで間違いないと。
まさか人間がモンスター化したなんてあり得ないからである。
なにせ長いイング王国の歴史の中で事例が無いからだ。
秘匿されている可能性もあるかもしれないが、人間がモンスター化しないのは周知の事実。
だからこそインベントもいまだに半信半疑である。
半信半疑ゆえに本来の力が発揮できないのだ。
「な、なんなんだよ……」
急に発狂し、人語らしき言葉を連呼し襲いかかってくる『白猿』。
インベントは先程までとは打って変わって、防戦一方の連続回避。
逃げに徹さなければならないほど追い込まれているわけではない。
『白猿』は素早いが隙はある。
回避しつつ攻撃の合間を縫って、こちらからも攻撃しようとするインベント。
だが、手が出ない。
恐らく圧倒的な防御で弾かれるため、攻撃しても意味が無い。
だが、インベントが攻撃しない理由は、むしろ真逆。
もしも攻撃が通ってしまえば、『白猿』を死に至らしめるかもしれないから。
そう――インベントが躊躇する理由は『白猿』を殺すことが殺人になるかもしれないという点である。
インベントにとって、モンスターは狩りの対象である。
ある意味どれだけ酷いことをしたって構わない。
首を捩じ切ろうが、四肢を切断しようが構わない。
だってモンスターだから。
モンスターは人間に狩られるべき存在だから。
そんな信念があるからこそ、インベントは力を発揮できる。
『ぶっ殺スイッチ』が起動する。
例外的存在はロメロ・バトオである。
常軌を逸した強さを誇るロメロを、いつしかインベントは『人型モンスター』として認識するようになった。
そしてロメロ同様に『人型モンスター』として認定されたアドリーやクラマ、デリータたちには『ぶっ殺スイッチ』が起動する。
インベントは無意識のうちにカテゴライズしているのだ。
さて――『白猿』は『人型モンスター』である。
だが、ロメロたちのように人間だがモンスター扱いしても構わない存在である『人型モンスター』とは違う。
人間が文字通りモンスター化した『人型モンスター』は、カテゴライズされていない存在なのだ。
人なのか、モンスターなのか。
今更ながら、その境界線で揺れ動くインベントの苦悩は続く。
僕は……殺したくなんかないのにぃ!!




