白のパンダ
「嗚呼、なんて幸せなんだろうか」
そう呟くインベント。
だが左手首は腫れあがり、激痛で箸も握れない状態。
しかし、そんな痛みさえ愛おしく感じている。
痛みに快感を覚えているわけでは無い。
痛いものは痛い。
ただ、痛みは証なのだ。
『黒白熊獣』が神ゲーであることを証明するための。
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インベントの新技『絶影』は『黒白熊獣』を圧倒することに成功する。
発動すれば確実に先手がとれるほど『絶影』は速い。
それに対し『黒白熊獣』は土投げで対抗。
紙装甲のインベントに対して広範囲攻撃は効果的。
結局、初日は決着つかず。
疲労のピークを迎え、シロたちの声がインベントに届くようになり、『撤退!』を連呼され渋々従ったのだった。
そして五日後。
しっかり療養しつつ、イメージトレーニングして臨んだ二戦目。
土投げを警戒しながらも、持ち前の観察眼で徐々に優位に立っていくインベント。
とは言え圧倒的巨躯の『黒白熊獣』。
一筋縄ではいかない。
森林警備隊では、モンスターの危険度をまず大きさで判断する。
特殊個体である可能性もあるため一概には判断できないものの、大きければ大きいほどにモンスターは強い。
大きければ攻撃力は上がり、そして耐久力比例して上がる。
紙装甲だが神回避のインベント。
それに対し圧倒的耐久力の『黒白熊獣』。
二度目も決着はつかず。
だが三度、四度と戦いを続けていく中で、『黒白熊獣』の攻略方法が見えてくる。
攻撃範囲のランダム性が高い土投げだが、有効範囲に限界がある。
インベントはその限界を見極めたのだ。
ゲームクリアを確信して臨んだ五度目。
インベントは重傷を負い、命辛々逃げ延びた。
『黒白熊獣』は、奥の手――というよりも無我夢中で繰り出した土投げがインベントに直撃したのだ。
ただし、ただの土投げではなく、土投げ連射。
これまで一度も見せたことの無い、左右の連続土投げ。
予備動作を読み切り、攻撃範囲ギリギリで回避したことが結果として仇となった。
重傷を負い、アイナ、シロ、クロ全員に激怒されたインベント。
『黒白熊獣』と関わることを止められるものの、インベントは止まらない。
怪我が完治すると、次こそは大丈夫精神でまた『黒白熊獣』のもとへ。
何度目になるかわからない『黒白熊獣』との戦い。
インベントは技を磨き、対策を講じ続ける。
寝ても覚めても頭の中は『黒白熊獣』でいっぱい。
その執着心は、いつしか狩りたいというよりも、会いたくてしかたないという思いに変化していく。
それは愛に近い感情なのかもしれない。
そしてどれだけ攻略方法を準備しても、『黒白熊獣』はインベントに予想外の驚きを与えてくれる。
『黒白熊獣』には知性があった。
圧倒的な野生の感性に潜む、したたかな知性が。
戦いの中での変化がインベントに幸福感を与えた。
予備動作を読み切り、予測通りモンスターが動くことも素晴らしい。
だが予想を裏切る行動もそれもまた素晴らしいのだ。
『モンブレ』でもある日突然、大幅に仕様変更されることがある。
モンスターの挙動が変わったり、装備や技が増えたりする。
ゲーム運営がユーザーを飽きさせないために裏でやっているのだが、インベントはそんなことは知らない。
急な世界の変更も、憧れの光景なのだ。
だからインベントは、こう呟いた。
「ふふふ、これがアップデートか」――と。
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『黒白熊獣』との蜜月の日々。
インベントも傷だらけになるが、『黒白熊獣』も同様に。
右目瞼には大きな傷。
美しかった真っ黒な体毛は傷を負い、逆立ち、見ようによっては歴戦の猛々しささえ感じる風貌に。
決着がつかない戦い。
一体のモンスターとこれほど長く付き合ったことは初めて。
それはまるで親友に会いに行くかのように楽しい時間。
『黒白熊獣』からすれば、毎度毎度襲いに来る厄介な青年だが、『黒白熊獣』も『黒白熊獣』で慣れてしまった。
だが、そんな戦いは意外な結末を迎える。
意気揚々と『黒白熊獣』のもとへ遊びに来たインベント。
いつも通り歓迎の咆哮を発する『黒白熊獣』。
だが、インベントは『黒白熊獣』を前回よりも一回り小さく感じた。
違和感の正体を考察するインベント。
(腕が細くなったのか?
あれ? 目力が弱くなってない?
なんか毛も……柔らかくなった気がする。ぺたって感じだ。
なんていうか……ボロボロ……)
『黒白熊獣』からすれば、ボロボロにした張本人はオマエだ! と言ったところか。
インベントは考える。
最高の友、最愛の好敵手である『黒白熊獣』の異変の理由を。
そして答えに辿り着く。
「……寿命?」
イング王国ではモンスター短命であることが常識となっている。
誰かが捕獲し観察したわけではないが、短命であることは周知の事実。
もしも短命でなければ、毎年大量に発生するモンスターがもっと溢れかえっているはずだからだ。
短命だからこそ、森林警備隊はインベントのように積極的にモンスターを狩らない。
リスクを冒すよりも、追い払って勝手に死んでもらったほうが効率的だからである。
見つめ合うインベントと『黒白熊獣』。
インベントは『黒白熊獣』から闘争心と老いを感じ取った。
(……嗚呼、終わりなんだね)
楽しい時間は突然終わりを告げた。
インベントはおもむろに徹甲弾を手に。
徹甲弾を発射すれば、『黒白熊獣』がどれほど弱っているか如実に判る。
だからインベントは――
「――ふふ」
徹甲弾を仕舞い、手ごろな石に腰かけた。
もう戦う必要は無い。
徹甲弾を発射する必要も無い。
『黒白熊獣』がどれほど弱体化したかなんて知りたくない。
友はずっと最強のモンスターなのだ。
インベントはじっと友を眺め――
友は元の静かな生活に戻っていった。
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インベントにも普段通りの生活が戻ってきた。
モンスターを狩り、アイナと訓練し、筋トレにいそしむ。
時折、『黒白熊獣』のところに向かうインベント。
特に何かするわけでは無い。
ただ顔を出し、ともに時間を過ごす。
『黒白熊獣』は一瞥しても、インベントのことなど気にせず横たわったまま。
時間が進むにつれ、『黒白熊獣』はより小さく、体毛は徐々に白化していく。
白の『黒白熊獣』へ。
死へ向かう『黒白熊獣』。
数日――早ければ明日にでも永眠するかもしれない。
人間の死を悼んだことはないけれど、『黒白熊獣』が死ぬことを想像するとなぜか涙が零れそうになるインベント。
インベントと『黒白熊獣』が暴れまくったため、『黒白熊獣』が横たわる周辺は戦場跡のようになっているが、静かで穏やかな時間が過ぎることを切に願うインベント。
そんな時――
喉を鳴らし近づいてくる邪魔者が。
モンスターは基本的には自分自身よりも強いモンスターには近づかない。
『黒白熊獣』は間違いなく周辺一帯で最強のモンスター。
いや――最強のモンスターだった。
弱ってきたことを察して、近づいてきたのだ。
最強の後釜を狙うハイエナのようなモンスターが。
インベントの『モンスターソナー』よりも早く、『黒白熊獣』はその邪魔者を察知し立ち上がる。
『黒白熊獣』が見つめる先を、インベントも眺める。
そして見る見るうちに顔が曇っていくインベント。
(邪魔……すんなよな)
インベントはあまり怒らない。
それは怒るほど執着するものが無かったからだ。
そんなインベントが今、人生で一番激怒している。
友の最期を穢そうとする存在に、心の底から激怒している。




