黒猿⑩
集中力が驚異的に高まり、感覚が研ぎ澄まされていく状態。
俗に言うゾーンである。
『攻撃に集中しろ』。
アイナ経由でクロが伝えた言葉は、インベントの悩みや迷いを全て吹き飛ばした。
「お、おわっ?」
空中で綺麗に反転し、抱きしめていたアイナを背中で受け止める。
「しっかり掴まっててね」と優しく伝えるインベント。
その視線は『黒猿』を見ている。
『黒猿』以外見えていないインベント。
両手に小手を装備し、『死刑執行人の大剣』を構えた。
そのまま落下していくインベント。
「え? まさかアタシ背負ったまま……戦う?」
アイナの言葉はインベントには届かない。
無視しているのではなく、それほど『黒猿』に集中しているのだ。
アイナは力一杯インベントにしがみつく。
「それと、『ゲートは二枚使うな!』だってよ!」
アイナは口頭の後、念話でも同じ内容を伝えた。
それに対しインベントは、二度頷き「了解」と言う。
さて――
垂直落下するインベントを、『黒猿』はじっと見ていた。
インベントが着地する前に、地響き、後に砂煙が舞う。
そしてその砂煙の中にインベントは入っていく。
さして気にすることではないと判断する『黒猿』。
だが次の瞬間――
砂煙を突き抜けて超高速で『黒猿』に迫るインベント。
自由落下のエネルギーを全て直進するエネルギーに変換したのだ。
『黒猿』のお株を奪う超スピード。
先程までと違い先手をとってきた。
『黒猿』は虚を突かれ、咄嗟に右手で薙ぎ払おうとした。
だが、突如目の前から消えるインベント。
「――リーチは短い」
呟きながら、インベントは『黒猿』の背面に。
「――攻撃チャンスその一」
自らの両足で飛び、続け『死刑執行人の大剣』を加速させた。
『黒猿』の左肩から右腰骨にかけて綺麗に斬撃が決まる。
「――すぐに振り返る」
捩じ切れるのではないかと思うほど首を捩る『黒猿』。
「――攻撃チャンスその二」
インベントは『黒猿』の顔面に向け徹甲弾を放つ。
だが『黒猿』は怯まず、全身を旋回させて攻撃に転ずる。
「――パターンA継続」
インベントは絶妙な距離をとる。
一歩間違えば攻撃が当たる距離。
下手すれば上半身と下半身がお別れしてしまう絶妙な位置へ。
「――当たりそうな距離だと」
インベントの予測通り、『黒猿』は単調な攻撃を繰り出す。
するとまたも『黒猿』の視界からインベントが消える。
「――単調な攻撃」
斬る。
「――右か左、縦か横」
撃つ。
「――四パターン」
回避。
「――至極単調」
また絶妙な位置へ。
同じリズム――まるで音楽を奏でるかのように一方的、そしてリズミカルに攻撃を続けるインベント。
攻撃パターンや攻撃の癖を完全に見切っているからこそできる芸当。
『黒猿』の両手は一撃必殺の威力を持つ。
だがリーチは短く、ジャスト回避は非常にやりやすい。
加えてつかず離れずの距離での戦いは、『黒猿』の爆発的突進力が活かされない。
攻撃に集中。
そのためにインベントの出した結論は、『黒猿』とつかず離れずでの距離のドッグファイトである。
「ハッ、ハハハ!」
連続斬撃。
斬り刻まれる『黒猿』。
地道にダメージを積み重ねる。
だがやはり、『黒猿』は学習する。
圧倒的な耐久力でインベントの攻撃を受けながら学習しているのだ。
視覚で捉えることはできずとも、見失った後は必ず背後から攻撃が来る。
だから――
「――ッ!!」
インベントの背面からの攻撃と同タイミングで、『黒猿』が見るよりも先に、背面に攻撃を仕掛ける。
まるで背後のインベントが見えているかのように振るわれる腕。
相打ちはインベントの敗北を――死を意味する。
攻撃力も耐久力も、インベントと『黒猿』は比較にならない。
そんなことは誰よりも理解しているインベント。
だからこそ、先程まで攻撃を躊躇していたのだ。
だが、インベントは薄く笑みを浮かべたまま、攻撃を続行する。
『攻撃に集中しろ』。
咄嗟に逃げる可能性。
そんな選択肢を残したままの中途半端な攻撃は――もう捨ててしまっている。
「喰らえ!!」
インベントの攻撃が『黒猿』の顔面へ。
鈍い音を響かせた。
だが、『黒猿』の攻撃は止まらない。
お返しとばかりに薙ぎ払われた手がインベントの顔面へ。
当たると確信した一撃。
だが、攻撃はなぜかインベントの頭上を掠めていった。
『黒猿』は攻撃を外した理由がわからず困惑する。
しかし足元で発生した大きな音に反応し、足元に転がる丸太を見た『黒猿』。
どうやったのかはわからないが、丸太で攻撃を逸らしたのだと理解する『黒猿』。
否――
理解するには時間が足りなかった。
「――なに呆けてんの?」
インベントは大きく旋回し、『黒猿』のどてっぱらに一撃を加えた。
予想外の攻撃に吹き飛ぶ『黒猿』。
だがインベントは手を休めない。
追いすがり、更にもう一撃加えようと準備万端。
「くふふ。
まだまだ」
インベント――纏わりつく。
****
「あ、危ね」
クロは肝を冷やしていた。
『黒猿』の攻撃に対し、咄嗟に丸太を射出したクロ。
絶妙な位置に発射された丸太は、『黒猿』の攻撃を滑らせるように軌道を逸らすことに成功した。
クロは煙草を吸うような素振りで、息を吸い、細く長い息を吐いた。
食い入るように『黒猿』を見ている。
「……袈裟斬り、右下に死角。
背後をとった。見失ってるのは間違いない。
恐らくレーダー的な能力は無い。
だったらなんで居場所がバレた?
野生の勘……か、やっぱり学習したのか。
だったら攻撃を散らせば……いや攻撃のことは忘れよう」
クロはインベント同様――いやインベントに『黒猿』を観察している。
行動パターンも熟知している。
更に『黒猿』がパターン通りではない動き――雑音が発生した時でも、正確かつ迅速に対応できる。
クロがやろうとしているのは分業である。
インベントには攻撃に集中させ、緊急時にはクロが防御に徹する。
まさに想定通りの展開。
だがクロは苛立っている。
「ど、どう? 大丈夫かな?」
クロの顔色を窺うように、シロはクロの視界の端に入ってみる。
クロはシロを周辺視野で捉えつつも――
「邪魔だ、しっし」――と邪険に扱う。
シロは頬を膨らませながらも、邪魔にならないように視界から出ていく。
下唇を噛むクロ。
ピリピリとした空気が収納空間の中に漂う。
「や、やっぱり、難しい?」
「アァ? 誰に言ってんだ。
不可視魔法支配者のこの私にできないわけないだろ。
これが最善手だ……これしかねえよ。
ベン太郎が戦いを止める気が無い以上、私がフォローに回る。
私ならできる。
だから予想通りの展開だ。……概ねな。
チッ、ベン太郎の頭のネジが予想以上にぶっ飛んでるだけでな」
「どゆこと?」
クロが舌打ちする。
「うっせえ!
私は忙しくて集中し続けないといけないの!
シロはベン太郎のフォローでもしてろ!
微調整さえ終われば、私がこんなに苦労する必要なんてねえんだからな!」
「うう、ご、ごめん」
苛立つクロ。
全ては想定通りに事が運んでいるのに――である。
『攻撃に集中しろ』。
クロからインベントに対してのメッセージ。
インベントは『黒猿』から逃げない。
だが緊急回避に不安が残るため迂闊に攻めれないインベント。
そんな状況を打破するための分業制。
インベントの攻めと守りの意識が、九対一ぐらいになれば御の字だと思っていたクロ。
しかし蓋を開けてみれば99%攻めに集中しているインベント。
だからクロはインベントの頭のネジがぶっ飛んでると表現した。
だがクロは勘違いをしている。
インベントの頭のネジがぶっ飛んでいるのは間違いない。
だがネジをぶっ飛ばすトリガーは他でもないクロ自身なのだ。
『攻撃に集中しろ』と指示されて、死をも恐れず、本当に攻撃に集中しているのは、クロが指示したからだ。
誰よりも信じているアイナを介し、なによりも信じている――いや崇拝しているクロからの指示だからである。
クロはどうやってもインベントは『黒猿』から逃げないと思っているがそれも間違いだ。
クロが『一時退却』と言えばインベントは喜んで撤退しただろう。
絶対的信頼。
信仰の域に達するレベルの信頼。
頭のネジがぶっ飛んでいるほど信頼されていることを――
クロはまだ知らない。




