黒猿⑨
(な、なにがどうなってやがる?)
景色が目まぐるしく動いていく。
バンカースは自身より一回り小さいインベントに抱きしめられ、どこかへ飛んでいく。
(状況が理解できねえ。
俺はどこに連れていかれるんだ?
そもそもなぜ俺だ?
総隊長だからか?
アイナはいいのか?
そうだぜ……アイナを放置していいのか?)
極度の疲労、そんな中で大混乱。
呆然と流れる景色を眺めているバンカース。
そんなバンカースにインベントは淡々と言い放つ。
「――危ないんで、その場から動かないでくださいね」
「……は?」
直後――
インベントはバンカースを離した。
袋にまとめたゴミを捨てるが如く、ぽいっと。
浮遊感。
どれぐらいの高さから落とされたのかわからないため、バンカースは身体を強張らせる。
べちゃり。
「痛え!
……あれ? 痛くねえな」
一メートル程度の高さから、それも泥地へ。
痛みはそれほどないが、なんとも言えない泥の不快感。
バンカースは見上げる。
そこにはバンカースのことなど見てもいないインベントが。
そんなインベントの視線の先には――
(く、『黒猿』ゥ!!
ま、まさか俺を生贄にでもする気か?)
当然インベントはバンカースを生贄にする気など無い。
『黒猿』はなぜか泥地に入るのを嫌う。
泥地にバンカ-スを捨てたのは、一応、安全を考慮してだ。
だがアイナではなく、あえてバンカースを連れてきた一番の理由は、単に邪魔だったから。
満身創痍のバンカース。
戦力としては全く期待できない。
だが放置すれば『黒猿』の攻撃対象になる可能性が高い。
護るのは非常に面倒。
だからインベントは邪魔にならない場所へ捨てに来た。
予想通り泥地に入ってこない『黒猿』。
そんな『黒猿』に対し、インベントは薄ら笑いで「滑稽」と一言だけ。
『滑稽』。
バンカースは、その言葉が自身に対してだと勘違いした。
(こ、滑稽だとォ!?
く、くそ……。そりゃ俺は総隊長の器じゃねえかもしれねえ。
こんな事態を招いたのは俺の見通しの甘さのせいかもしれねえ。
だけどよ、こんな最期はあんまりだぜ)
「チクショウ……クソが」
自虐気味に笑うバンカース。
本日何度目かわからない死の覚悟。
剣を握ることさえできないバンカースには、抵抗する術がなにも無い。
(ま、総隊長として潔く逝くぜ。
泥にまみれた人生だったが……悪くなかった。
さあ! さっさと殺れい!!)
――――全く持って余談だが、バンカースは92歳まで生きる。
つまり、滑稽な死の覚悟なのだ。
すいっとインベントが移動する。
当然『黒猿』はインベントを追う。
バンカースの存在など誰も気にしていない。
「あ、あれ?」
泥まみれのバンカース。
お役御免。
**
少しだけ時を遡る。
インベントは『黒猿』と戦闘を続けていた。
変わらぬ戦法。
行動パターンを予測し、回避し、隙を見て攻撃。
幽壁のお陰で命辛々助かる前と、何ら変わらない。
予測も回避も精度は上がっていく。
だが先ほどまでと違い、なかなか攻撃に踏み切れないでいた。
正確に言えば、攻撃するタイミングはあるものの、誘い込まれている可能性が捨てきれない。
だからインベントは躊躇する。
残機ゼロ。
ラスト一回、一度のミスでゲームが終わってしまう。
見に徹し、確実な勝利への道を模索するか――
それとも死をも恐れず特攻するか――
揺れるインベント。
そんな時――
「おお?」
右手が光る。
それは神の啓示に等しい光。
光が収納空間からなにかを取り出すように促してくる。
「はて? なんでしょ」
インベントはすぐに取り出す。
それは――
「……目隠し?」
光が取り出すように促したモノ。
それは目隠しだった。
更に――
「布?
ベルト?
さるぐつわ?
なんだこれ?」
光は『黒猿』との戦いの合間に、戦いに必要のないモノを取り出させる。
不審に思うインベント。
だが光は絶対である。
インベントは光を信じている。
インベントは『モンブレ』を信じている。
インベントはアイナしか知らない誰かを信じ――崇拝している。
「これは、アイナを死体に見せかけるときに使ったアイテムだねえ。
でも……なんでこのタイミングで?
うう~ん……。
アイナのところに行けってことかな?」
光が点滅する。
光だけではなにを言っているのかわからない。
だがそのサインが『YES』なんだと気づくインベント。
「う~ん、それじゃあアイナのところにでも行こうかな。
ほ~れ行くぞ~『黒猿』」
**
アイナを探すインベント。
かなりアイナたちから離れていたが、タイミング良く甲高い音が森に響いた。
(お、さすがアイナ~。
丁度探してるタイミングだったから息ぴったりだね。
あ、こういうのを相思相愛って言うのかもね、ふふふ)
インベントはアイナの元へ向かう。
招かれざる――招かれ猿を連れて。
**
インベントはアイナをバンカースを発見する。
(う~ん、邪魔だな~あの人)
アイナに会いに来たのだ。
アイナを連れ去りたいインベント。
バンカースはとっても邪魔。
どうでもいい存在。
だが『黒猿』の攻撃対象になってしまっても面倒。
少しだけ迷う。
そんな時、すぐにアイナは剣を構えた。
剣を構えられると抱きしめて飛び去りにくい。
(う~ん……。
そうだ! 総隊長は邪魔だし、先に泥地にでも捨ててこよう)
木の配置的にもバンカースは難しいが、アイナであれば『黒猿』の視界から隠すことができた。
こうして泥地に捨てられたバンカース。
お陰で死なずに済んだのだから幸運なのかもしれない。
****
バンカースを捨て終わったインベントは、アイナの元へ戻ってきた。
「アイナ~」
笑顔で手を振るインベント。
腕を組み、少し不機嫌そうなアイナ。
「お待たせお待たせ。
さ、乗って乗って」
しゃがみ、背中に乗ることを促すインベント。
だがアイナはインベントの背に乗らず、周囲を見回し、『黒猿』がいないことを確認した。
「……バンカースさんはどうしたんだよ?」
「え? ああ、総隊長?
安全なところに捨ててきたから大丈夫」
「す、捨てたって……。
おいおい、総隊長は怪我してんだぞ。
安全区域とはいえ、本当に安全な場所なんてないだろ」
「え? あ~、でも。
『黒猿』が狙わない場所にいるから……」
「『黒猿』以外のモンスターが現れたらどーすんだよ、ったく……。
てかなんで『黒猿』連れて来ちまったんだよ。
てっきり狩り終わってるかと思ったぜ」
インベントは焦る。
木々を蛇行運転し時間を稼いだが、『黒猿』はすぐ近くにいるのだ。
「と、とにかく乗ってよ」
「ハア……乗ってどうすんだよ?
『黒猿』を放置して逃げんのか?」
「ほ、放置はしないし逃げないよ」
「ん? だったらなんでここに来たんだよ?」
インベントは「だから、なんでかって言うと……」と説明しようとするが、言い淀む。
「いや……なんでかって言われると……。
光の導きとでも言えばいいのかな?」
「んあ? なに言ってんだ?」
「いや……アイナに会うのが目的というか……。
なんで来たんだろうね?」
「い、いや、アタシに聞くなよ」
しゃがんでいたインベントは一旦立ってアイナを見る。
「お、おお!?」
インベントはアイナを見て、驚いて声をあげた。
「んあ? なんだよ?」
光がアイナの体を移動しながら点滅していた。
それも、けたたましく。
「あ、アイナ、輝いてるよ」
「え? 輝いてる?
へへ、な、なんだよ、褒めてんのか?」
「いや全然」
「は?」
「うわ~凄くキラキラしてる」
「え? ん?
キラキラって……へへ、褒めてんじゃねえか。
も、もしかして口説いてるのか?」
「いや全然」
「おい! おちょくってんのか! バカベント!」
「い、いや……ど、どうしようか。
とっても輝いているんだよ……お、俺にしか見えないのかこれ」
アイナはやっと、シロとクロがなにか主張しているんだと気づく。
だが――
「あ、やっば!!」
インベントを捜索中だった『黒猿』が、インベントたちを発見した。
一目散に接近してくる『黒猿』。
インベントは咄嗟にアイナを抱き寄せる。
「えっ? お、おい? えっ!?」
間一髪回避に成功し、距離をとるインベント。
インベントは一旦上空へ。
急な展開にどぎまぎするアイナ。
文句の一つでも言おうとするが――
『あ、アイナっち!!』
アイナの頭にクロの声が響く。
その声は明らかに焦っている。
アイナは集中し、クロの言葉に耳を傾ける。
インベントが「いやあ危なかったね」と言うが――
アイナは「ちょっと黙ってろ!」と一喝した。
そして、クロの話を聞き終えたアイナ。
「おいインベ……」
アイナはインベントに話しかけようとするが――
(よ、よく考えたら完全に抱き合ってんじゃねえか、アタシたち。
こ、この体勢だと、顔と顔が近すぎるだろ)
「ん……ん、う~ん……」
「どうしたのアイナ?」
耳元から聞こえるインベントの声にドキリとするアイナ。
『お、おいインベント』
アイナは念話に切り替える。
「なあに?」
『クロからの伝言だ』
「クロ? 誰?」
『ああ……そっか、シロとクロのこと知らねえんだったな。
あれだあれ、収納空間の住人みたいなふたりだよ』
「おお! うんうん、クロって言うんだね。
あ、クロ様って呼んだ方がいいかな?」
『いや……様付けする必要はまったくねえ。
そんなことはどうでもいい。
その住人から伝言だ』
「え!?」
インベントは姿勢を正す。
シロやクロの言葉は、インベントからすれば神の言葉である。
『えっとな、【ベン太郎は攻撃に集中しろ】。
インベントは攻撃に集中しろ、だってさ』
インベントは「わかりました」と優しく丁寧に呟いた。
それは絶対的な肯定である。




