黒猿⑦
(やられちゃったなあ)
空を見上げるインベント。
本日は晴天なり。
インベントの心も晴れやかである。
例え――モンスターに狩られたとしても。
『黒猿』の一撃は確かにインベントの胸部、心臓部に届いていた。
『黒猿』の右手が、インベントの胸部に到達するまで刹那。
幽結界のお陰か、鮮明に軌道が見え、一瞬の出来事のはずが随分と長く感じた。
(死ぬ間際は時間の流れが遅くなるって言うしねえ)
『黒猿』の腕は、まさに一撃必殺の力がある。
そんな一撃が胸部に当たったのだ。
胸に穴が空いてもおかしくない。
心臓や肺に再起不能のダメージを負っているのは想像に難くない。
インベントは恐る恐る視線を胸元へ。
「……あれ?」
衣服が弾け飛んでいた。
だがインベントの身体は無傷。
よくよく考えてみれば痛みが無い。
肺が潰れているはずなのに、問題無く声が出る。
(手も……動く。
あ、イテテ)
胸ではなく、肩の痛み。
『黒猿』の攻撃を喰らったのか? と思うインベントだが、反発移動の反動で痛めただけだった。
インベントは左手を地面につけ、上半身を起こす。
手が地面にぬるりとめり込む。
「うわ、ここ泥地だったのか。
あ~あ、全身泥まみれじゃないか」
左手の泥を払いつつ――
「おろろ? 無傷だぞ?
あっれええ? おっかしいなあ。
ん? まさか……夢だったのか?
あ! そうかー! 『モンブレ』の夢だったんだ!」
全て夢現。
インベントは本気で思う。
だが、夢から一気に現実へ。
「――あ」
視線の先に『黒猿』を発見するインベント。
同じタイミングで『黒猿』もインベントを発見した。
顔を引き攣らせるインベント。
すぐに立ち上がり臨戦態勢に。
距離は10メートル程度。
『黒猿』なら一足飛びでやってくる距離。
インベントは両手に盾を。
(やっば~。どうしよう。
死んだと思ったのに生きてた。
なのにすぐ死んじゃったら悲しいなあ。
…………ああ、なんで無事だったか理由がわかった。
いやまあ、それは置いておこう)
インベントは後ずさり。
『黒猿』の一挙一動を見逃さないように集中して。
『黒猿』も一歩前へ。
インベントはもう一度後ずさり。
『黒猿』はその場で留まる。
視線を下に。
(なんだ? どのパターンだ?)
インベントは更にもう一度後ずさり。
『黒猿』はやはり動かない。
インベントは好機と思い、垂直に飛び上がる。
そして――気付いた。
「……泥地に入ってこない?
まさか……泥が嫌い?
いやいや、まっさかあ」
だが事実、『黒猿』が泥地の境目で立ち往生している。
そんな様子を眺めながらインベントは考える。
よくよく考えれば、一直線に吹き飛んだインベントが、なぜ発見されなかったのか?
『黒猿』はインベントを探していたはずなのに。
「う~ん、泥のお陰?
ふふ、それが本当なら……本当に変なモンスターだねえ」
インベントは笑いながら、自らの状況を確かめる。
多少の倦怠感はあるものの、身体は問題無く動く。
「ふふ。
いいね。
死んだと思ったけど、もう一回。
これはまさに――『モンブレ』! くふふふ、あひゃはは」
残機はイチからゼロへ。
最後の一回だが、もう一度リスポーンして狩りに戻ることができる。
『モンブレ』の――ゲームの世界の話。
ハイになっているインベントにとっては、死さえも、この現実を楽しむためのスパイスに過ぎない。
インベントの瞳に炎が宿る。
「もう一回……遊べるドン」
****
一方その頃――
「ぶはあああああああ!!」
クロは腰を抜かしていた。
シロは魂が抜けたかのように呆然と立ち尽くしていた。
クロは顔を引き攣らせながら「よかった、生きてる……」と呟き続け、シロはやはり呆然としたまま。
「うおい! シロ! シロ!」
クロは立ち上がり、両手でシロの頬を挟む。
「む、むぎゅう」
「しっかりしろシロ!
ベン太郎は生きてるぞ!」
シロの目の焦点が定まらないが「ベンちゃん、生きてる?」と問う。
「おうおうちゃんと無事だ! というか無傷だ!」
シロの目の焦点が定まり、全身の力が抜ける。
「よ、よがっだあああ」
「なはは、私ももうだめだって思ったけどな」
「あ、わかったあ!
『ITフィールド』でしょ!?
もお~フミちゃんのバカ~」
『ITフィールド』。
インベントトランスファーフィールドの略。
もしもの時のための絶対転送領域。
シロの『ベンちゃんが死なないようにして』というお願いを叶えるために、クロが考案した。
脳と心臓限定ではあるものの、ほぼ反射的に発動するゲートシールド。
360度どこからでも対応可能であり、アドリーが背中からインベントを刺した際も発動した。
信頼と実績のある 『ITフィールド』。
だがクロは首を振る。
「『ITフィールド』……じゃねえ」
「え? で、でも心臓に対しての攻撃だったし」
「起動させようと思ったけど、発動条件をクリアしてねえんだよ」
「発動条件? 脳と心臓でしょ?」
「それは発動条件と言うか、発動対象箇所だな。
『ITフィールド』は、使いたくても使えなかったんだよ」
「え? なんでえ?」
「『ITフィールド』ってのは、咄嗟の攻撃に対し超高速でゲートを開く技だろ?」
「うん」
「もう一度言うけど、ゲートを使う技なんだよ。
逆に言えばゲートを使えない状態だと発動しない」
シロは気付いた。
「そっか……ゲートはベンちゃんが両方使っちゃってるから……」
「そういうこと。
昔はベン太郎に、ゲートを二枚使えることも収納空間が二つあることも隠してたからな。
ある意味、私が自由に使えてたんだ。
でも、今はベン太郎が両方使ってる。
片方を使ってないタイミングなら、使えるかもしれねえけどな」
先ほど、インベントはゲートを二つ同時に起動していた。
丸太ドライブ零式で『黒猿』を弾き飛ばす用と、反発移動用に。
その結果『ITフィールド』は発動できなかったのだ。
「だ、だったらなんでベンちゃんは無事なの?」
「……幽壁だよ」
シロは柏手を打ち「あ~幽壁」と言う。
――幽壁。
幽力で構成された壁。全てを拒絶する力。
死の危機を感じたときに発動する盾。
ただし発動すると大量の幽力を消費する。
シロもクロも、そしてインベントさえも忘れていた幽壁。
「チッ、よりによって幽壁か」
クロは悪態をつく
クロは幽壁が嫌いだった。
発動条件が『危機を感じた時』なんていう曖昧な点が気にくわないのだ。
幽壁には意識外からの攻撃には発動しない欠点があり、最後の防波堤にしてはあまりにもお粗末。
インベントも当然のように幽壁無効化攻撃である『致命的一撃』を多用している。
だがそんな幽壁に助けられてしまった現状。
少々不満げなクロ。
だがそんなことは些細な事――
クリアに聞こえてくるインベントの声。
そう――「もう一回……遊べるドン」と。
青ざめるふたり。
「うおいおいおいおいおい!」
「べ、ベンちゃんまだあきらめてないの!?」
「せっかく拾った命なのに!」
「どうしよう!? ねえどうしたらいいの!?」
頭を抱えるクロ。
「いやいや、どうすればこの状況を打破できる?
だめだあああああー完全な準備不足! できることがなんもねえ!」
クロが本気で悩んでいる。
そんなクロを見て、シロも方法が無いのか考える。
そして――
「……あ」
「ん、なんだよシロ?」
「方法……あるかも」
「なんだよ、言ってみろ?」
シロは少しだけ言い淀む。
だが、躊躇する時間さえ勿体ない。
「んっとね……もう一回だけ…………乗っ取っちゃうとか?」




