黒猿①
さあ一狩りいこう。
インベントはアイナを背負い意気揚々と現地へ向かう。
多少気になることがあったとしても、気にしない。
モンスターを狩ること以上に重要なことなど無いのだから。
背負われているアイナはうつらうつらしている。
収納空間の中での時間。
それはシロとクロが言っていたように、時間感覚がおかしくなる。
まだお昼過ぎだが、もう深夜の感覚なのだ。
時差ボケならぬ、空間ボケ。
インベントの背中が暖かくて気持ち良い。
シロとクロは、久しぶりに見るインベントたちの世界を楽しんでいる。
モンスター狩りを今か今かと待ち望んでいる状況である。
まるでピクニック気分の一行。
いざ『イルイックの滝』へ。
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滝近く。
湿った空気。
木々には無数の傷跡。
転がる折れた武器には血が。
激しい戦闘があったことを物語っている。
少なくない人数での激しい戦闘が。
だがその場所には誰もいない。
そこから少し離れた場所にたった一人。
森林警備隊総隊長バンカースがたった独り。
「ったくよ……どうしてこうなっちまったかなあ!!」
独り、『黒猿』と対峙しているのだ。
「ホッキャアアアア!!」
『黒猿』が猛スピードで突進してくる。
バンカースは「あ~うるせえ猿だ」と言いながら、攻撃を受け流し、距離をとる。
守りに徹するバンカース。
可能であれば距離をとろうと試み続けるバンカース。
だが『黒猿』はバンカースを逃がさない。
執拗に追いかけてくる。
「あ~本当に……。
しくじった。俺の考えが甘かったか」
バンカースは後悔している。
「もう疲れちまったぜ……そろそろ逝くなこりゃ」
バンカースは諦めている。
生き残ることを諦めているのだ。
目は生気を失っている。
さっさと攻撃を喰らい終わりにしたいと心のどこかで思っているのだ。
それでもなんとかやり過ごしているのは、森林警備隊の総隊長としての責任感からである。
**
先刻まで、バンカースは『黒猿』討伐部隊を率いていた。
その数、精鋭11名。
通常の大物狩りは40人以上の大所帯で対処するが、『黒猿』は大物としてはかなり特殊だ。
森林警備隊ではモンスターをSからDまででランク付けしている。
ランク付けの明確な基準は無いが、指標となるのが大きさである。
攻撃力や耐久力は大きさと比例する。
特殊能力を持つケースもあるため、一概には言えないが大きければ大きいほどモンスターは脅威となる。
だが『黒猿』は大物と呼称するには非常に小さい。
サイズだけならばCランクといったところ。
小さいため、圧倒的な攻撃力も無い。
しかしあまりにも素早いため、懐に入られると無力な弓使いは足を引っ張りかねない。
少ない『黒猿』の情報を基に協議と対策を講じた結果、少数精鋭が組織された。
攻撃と防御バランスのとれた人材を10名に、ヒーラーを加えた11名体制。
そして討伐作戦が開始された。
想定通り序盤は非常に優勢だった。
しっかり防御を固めつつ、隙あらば攻撃する。
時間をかけ、ゆっくりジワジワと嬲り殺していく算段である。
勝てる。
誰もがそう思った。
だが、徐々に計画が狂っていく。
最大の誤算は、『黒猿』に攻撃が通じているのかわからないことだ。
剣が肉に食い込む感覚はあるし、斬れば鮮血は舞う。
だが、どれだけダメージを受けても一向に運動量は落ちない。
苦痛の表情も浮かべない。
いくら攻撃しても弱体化しない。
真っ黒な体毛のその奥。
本当にダメージが蓄積しているのか怪しくなってくる。
対する討伐隊は、当然時間とともに疲弊していく。
終わりの見えない戦いに引きづりこまれていく討伐隊。
そしてもう一つの誤算。
それは『黒猿』の、人間に対しての執着心。
どれだけ逃げても追いかけてくるのだ。
この執着心がバンカースに進退の判断を悩ませた。
一旦退却し、仕切り直すにしても逃げれば『黒猿』は追いかけてくる。
鬼ごっこすればどう考えても『黒猿』が有利。
一番最悪の事態は、『黒猿』をアイレドの町近くに連れてきてしまうことだ。
勝機が見えない泥沼の戦いなのに、撤退も容易ではない。
だがバンカースは知っていた。
部隊を退却させつつ、『黒猿』が追ってこないようにする方法を。
それは先日の出来事。
『黒猿』の動向を探るための斥候部隊。
慎重に事を進めていたが斥候部隊は『黒猿』に見つかってしまい、一名が重症を負った。
どうすべきか判断に迷う状況。
判断を誤れば全滅もあり得る。
そんな中、勇気ある若者が誰よりも速く決断していた。
「――こっちや!」
勇気ある若者は自らを囮にすることで、部隊を救ったのだ。
**
「――あのラホイルがやったんだ。
俺が……総隊長の俺がやらねえでどうするよ!!」
囮役を自らやることを決めたバンカース。
討伐部隊には撤退命令を出し、単身『黒猿』との戦いに挑んだのだ。
死を覚悟した時間稼ぎ。
仲間を――アイレドの町を守るために。
できるだけ長く。
できるだけアイレドの町とは逆方向に。
討伐が叶わないとしても、町から遠ざければいいのだ。
モンスターは短命。
人里離れた場所で勝手に死ぬのを待てばいい。
森林警備隊はモンスターを狩ることが目的ではない。
町の平和が守られるのであれば、モンスターを狩る必要なんて無いのだ。
攻撃を受け流し、ジリジリと町と逆方向へ。
一時間以上そんなやり取りを繰り広げていた。
だが限界は来ていた。
自慢の武器も小手もボロボロ。
肉体も精神も限界突破している状態。
もう後は待つだけ。
『黒猿』に大ダメージを喰らうのを待つだけ。
抗いつつも必ず訪れる瞬間を待っているバンカース。
そしてその時はやってくる。
『黒猿』が飛び上がってバンカースに襲い掛かる。
バンカースは間一髪受け止めるが、盛大に吹き飛んでしまう。
「がッ!」
右足が痙攣している。
もう踏ん張る力は残って無かった。
再度飛び上がって攻撃してくる『黒猿』。
バンカースは死なば諸共、防御を捨てた攻撃を繰り出そうとしていた。
死を覚悟した状況。
そんな時、救世主が現れる。
「――お、いたいた」
颯爽と現れ、『黒猿』を信じられないほど遠くまでぶっ飛ばす。
「うはっは~、すごい飛んだなあ。
やっぱり軽量級モンスターだねえ。くっふふう」
両手の指を不規則にうねうねと動かしながら、身体は前傾姿勢。
「お、おい!
急発進すんじゃねえよ!」
背負われているアイナは怒っている。
ポコポコと頭を殴るアイナだが、そんなアイナを無視し、『黒猿』が吹っ飛んでいった方向を眺めている。
突然の事態にバンカースは動転した。
だがアイナを背負って現れた人物が、インベントだとやっと認識する。
そして――全くの想定外だが、インベントがこの場所に登場したことに勝機を見出した。
いや、勝機と言うよりは、誰も犠牲者を出さない方法を。
「お、おお、インベント!
こんなところに現れるなんて想定外だったぜ!」
インベントは振り向かない。
「だがありがてえ。
悪いがアイレドと逆方面に誘導してくれ!
空を飛べるお前ならできるだろ?」
インベントはまだ振り向かない。
振り向かず――
「誘導? なんで?」
ぶっきらぼうに言い放つインベント。
「なんでだと?
そりゃあ、あんな化け物には勝てねえからだ。
勝てないなら、どっか遠くに放置するしかねえだろ。
ホラ、さっさとやってくれ」
インベントはやっと振り返る。
その表情は、心底呆れた表情だった。
だがバンカースは息を飲んだ。
齢18歳のインベントから恐ろしいほどの凄みを感じたからだ。
まるで数人から睨まれているかのような凄みを。
「ハア?」
不明確な言葉で、明確な拒否をバンカースに叩きつけた。




