インベントの亡霊
利き腕ではない左手で指パッチンは難しい。
それに比べれば、不用意に接近してきたキャナルを真上に吹き飛ばすほうが、インベントには余程簡単だった。
事前に丸太を準備しておき、キャナルが大地を踏んだタイミングで発射すれば良い。
幽結界を習得したインベントであれば、造作も無いこと。
インベントは振り返り、見上げる。
(……あれ?)
インベントが想定していたよりも、相当高く打ち上がっていたキャナル。
キャナルの最高到達点は地上から20メートル近い。
最高到達点にたどり着けば――後は落ちるのみ。
「お、おいおいおい!
シャレになんねえぞインベント!?」
アイナは焦っている。
当然である。
通常、20メートルの高さから落下すれば、重傷――もしくは死だ。
しかしながら身体能力に優れたキャナルならば、華麗に受け身をとることも可能かもしれない。
落下の衝撃を分散させる五点着地を成功させれば、無傷もありえるのかもしれない。
だが残念なことに、華麗に着地することはもちろん、足から着地することさえ難しい状況のキャナル。
なぜなら動転しているからだ。
まさか人生の中で20メートル近く打ち上げられる想定などしていなかった。
当然、10メートル以上の高さから落下訓練などやったこともない。
極めつけに、――キャナルは高所恐怖症だからである。
「ひ、あ、うあ、あっ、あっ」
先ほどまでとは打って変わって、弱弱しくなってしまったキャナル。
涙目になりながら、どうすればよいかわからず手足をばたつかせる。
そんな無様なキャナルを――
「よっこいしょっと」
インベントは優しく抱きかかえ、落下速度を徐々に遅くしながら、落ち葉が舞い散るように優しく着地した。
続けてゆっくりとキャナルを地面に降ろす。
「あ……」
混乱と安堵の中、キャナルはなにを言っていいのかわからず狼狽する。
走り寄ってくるペイジアから逃げるようにインベントはアイナの方へ。
「いやあ……飛ばしすぎちゃったよ。アイナ」
「お、おう。元気が有り余ってるってるな。
まあ、無事で良かったよ」
「元気か……まあ、そうだね」
インベントはキャナルを見る。
いまだに足が震えているキャナルを見て、少しだけ罪悪感を覚えつつ、やっぱり気にしないインベント。
インベントはアイナに耳打ちする。
「ねえねえ、今のうちに逃げちゃおうよ。
あのふたりに関わってるのも面倒になっちゃったし」
「んえ? あ~」
アイナが返事をする前にインベントは素早くアイナの手を掴む。
(ご、強引!? オラオラ系か!?)
急な出来事にドキリとするアイナだが――
『モンスターの情報聞けよー! 戦利品戦利品ー!』とクロの念話が頭に鳴り響く。
少し苛立ったアイナは「ペチン」と言いながらインベントの手を叩き落とす。
念話の強制切断。
「ま、そうだな。
大物の情報は駐屯地に戻ればなんかわかんだろ」
同意し、頷くインベント。
アイナはキャナルたちに手を振る。
「あ、そんじゃあ、おふたりさん。
アタシたちは、そろそろおいとまさせていただきますよ~。
ホレ、行くぞインベント」
立ち去ろうとするふたり。
だが――
「待てよ」
引き留める。
引き留めたのは足の震えているキャナルである。
「……モンスターの情報が欲しいんだろ」
ペイジアが「え? キャナル?」と驚いている。
「煽られて、目隠し状態の相手に完膚なきまでにやられたんだ。
約束ぐらい守る。いいだろ? ペイジア」
「わ、わたしは~構わないけどお~」
キャナルは震えている足が恥ずかしくなり、隠すために胡坐をかく。
「とは言え、私たちもそれほど大物に関して知ってるわけじゃない。
まあ、お前たちも名前ぐらいは知ってるモンスターだ」
インベントとアイナは見つめ合う。
モンスター大好きなインベントであっても、知り合いのモンスターはいない。
森林警備隊の精鋭を集めて対処しなければならないモンスター。
そんなモンスターを大物と呼称している。
そして大物には名前を付けるのが伝統である。
インベントも討伐に参加した紅蓮蜥蜴。
他にも雷鬼や暴風狼など。
さて――
キャナルは名前を知っていると言う。
だが、インベントとアイナには見当もつかない。
全く覚えがないのだ。
しかし聞いて耳を疑う。
「噂にもなってただろう。
――――『黒猿』だ」
インベントもアイナも『黒猿』の名は知っている。
数か月前に噂になったモンスターである。
しかしながら『黒猿』の噂が拡がった原因は、インベントなのだ。
『モンブレ』の夢を復活させるために、自暴自棄気味だったインベントが自作の奇怪な頭防具を被って暴れまわっていた。
そんな様子を遠目で見た者が噂し、噂が拡がり『黒猿』ができあがった。
いもしないはずのモンスターである。
だからアイナは目を見開き、インベントを指差した。
インベントは首を振り「違う違う」と身の潔白をアピールする。
そんなインベントたちのやり取りを、キャナルはいちゃついてるんだと思い、気にせず話を続ける。
「『黒猿』は大物って言ってもかなり小さいらしい。
モンキータイプより少し大きい程度って聞いてる。
だから初めは大物認定はされなかった。
だが、討伐に向かった合同三隊がほぼ全滅になったそうだ。
速さに対応できず後衛を守れなかったらしい。
だからまあ、ディフェンダーとして私が呼ばれたんだけどな」
インベントは唸り、まだ見ぬモンスターを妄想する。
(小さくて素早いモンスターかあ。
う~ん……あんまり面白く無さそうだけど。
まあ一応、『大物』だし……特殊能力持ちだったらいいのになあ。
にひ、にひひひ)
「にひぃ」
インベントから漏れ出す愉悦の笑み。
アイナはなんとも言えない気分になる。
(おうおう、昔のおかしなインベントに戻っていく感じだなあ。
まあ最近も最近で変だし、オセラシアの時も変だったし、いっつも変なんだけどな~。
楽しそうだしいいんだけど、アタシの選択は本当に正しかったんだろうか……。
もう、知らん知らん~)
「一応、出現場所に関してだが、アイレドの町南部のイルイックの滝の先らしい」
インベントは「知ってる? アイナ?」と問う。
「場所は大体わかる。滝があることも知ってるぞ。
見たことはないけどな」
「よ~し、じゃあ早速行こうよ」
「へいへい」
今にも飛んでいきそうなインベントたち。
「お、おい!
情報は提供したけど、行っても邪魔になるだけだ。
行くのは止めとけ」
先輩のありがたい忠告。
そんな忠告を、完璧に無視して飛び立つインベント。
あまりに清々しく、キャナルは怒る気にもならなかった。
**
インベントたちが去った後――
「ねえキャナル」
「なんだよ」
「言わなくて良かったのお~?」
「……言っても仕方ねえだろ」
「それはそうだけど……」
キャナルは舌打ちの後、天に向けて大きく息を吐いた。
「私たちの愛する隊長が死んじまったことなんてさ。
――ラホイルの馬鹿野郎が死んじまったなんてな」
インベントとラホイルの初めて所属した隊はオイルマン隊である。
任務初日に隊員のケルバブが死に、ラホイルが左足首を切断し、一日で終わってしまったオイルマン隊。
そんなたった一日だけだったオイルマン隊。
一度だけの任務で向かったのが『イルイックの滝』であり、ラホイルと因縁のある場所なのだ。
当然インベントは知らない。
興味も無い。




