禁忌⑤
オセラシアから駐屯地まで、10日間を経て到着したインベント。
アイナを収納空間に入れているため、寝ることはできなかった。
10日間の徹夜。
正に精魂尽き果てた状態のインベント。
何度か上空から落下し、死にかけた。
そんな中、臨死体験をすれば一定時間眠気が吹き飛ぶという、素晴らしい発見をした。
睡魔がどうしようもなくなったら、上空から一気に落下して凌ぐ。
死んでもおかしくなかったがなんとか駐屯地へ。
本当はアイレドの町に――いやバンカース総隊長のところへ行くつもりだった。
アイナを助けるためには、【癒】をかなりの人数集めてもらう必要がある。
そして――収納空間にアイナが入っていることを理解してもらう必要がある。
『話しは伝わらなきゃ意味が無いんだぞ、インベント。
相手の気持ちになって話すんだ』
インベントの父、ロイド・リアルトの言葉である。
ずっと忘れていたロイドの言葉だが、現在のインベントの心に響く言葉だった。
なにせアイナが収納空間に入っているという異常事態を説明するのはかなり難しい。
かといって懇切丁寧に説明するのは、体力的に厳しい。
それゆえずっと、最良の選択を考えてきた。
誰に話すべきか?
それは森林警備隊、総隊長であるバンカースが適任だった。
なにを話せば伝わるか?
簡潔な状況説明と、質問に対しての答えを用意した。
イメトレはばっちりである。
ただしアイレドの町に到着する前に、駐屯地に辿り着いてしまったのは想定外だった。
まあ、見知った駐屯地が見えた瞬間、インベントは安堵し、制御不能になり落下してしまったのだが。
とは言え、フェルネとレノアに出会えたのは僥倖であったと言える。
ふたりとも【癒】のルーンであり、インベントを知っている人物。
特にフェルネは後方支援部隊ではかなりの発言権を持っている。
だから――
インベントを心配し、手を差し伸べようとしているのは明らかにレノアだった。
だが、インベントはあえてレノアを突き放すような態度をとった。
(話すべき相手は――フェルネだ)
駐屯地まで歩く三人。
インベントは足が折れており、まともに歩けないことを知る。
剣の鞘を杖代わりにして歩く。
レノアが心配しているが無視する。
「フェルネさん。お願いがあります」
フェルネは「なにかしら~?」と訝しむ。
「【癒】をとにかく集めれるだけ集めて欲しい。
ただ、何人集めるべきか適正人数がわかりません。
状態は、左の背面から左腹部にナイフが貫通しています」
目を丸くするレノアと、困惑するフェルネ。
話を続けるインベント。
「応急処置としては、【癒】は無しで大量の布を押し付けました。
出血はある程度止まっていますが、放置すれば――すぐに死にます」
レノアは口を手で押さえる。
インベントの怪我だと勘違いしたからだ。
だが、フェルネは――
「腹部にナイフ? インベントくんの腹部にナイフなんて刺さった感じはしないけど?」
インベントは薄ら笑いを浮かべた。
「俺じゃありませんよ。そう俺じゃない。
収納空間の中にアイナが――――患者がいます」
頭がおかしいと思われても仕方がない発言。
だが、信じてもらえないのは想定内。
信じてもらえるほどの信頼関係は無い。
にわかに信じられるような話でも無い。
全てインベントの想定内。
(伝えるべきことは伝えた。
後は――信じさせればいいだけだ)
インベントは固定していた右手をおもむろに動かす。
「――俺は嘘は言わない。でも口で説明するのは難しい。
だから――見てくれ」
インベントはゲートを締める力を緩める。
ゆっくりと、ミリ単位でゲートを開いていく。
そして――
レノアは小さく悲鳴をあげた。
アイナの頭部が少しだけ見えたからだ。
すぐにアイナを収納空間に押し戻すインベント。
「ハア……ハア。
患者はアイナ・プリッツ。
森林警備隊の倉庫番、後方支援部隊だった女です。
二年前、俺と一緒に『陽剣のロメロ』と――――特別任務にあたっていました。
調べればすぐにわかる。
傷はさっきも言った通り。
だから……はやく治療を……手遅れになる前に」
インベントの悲痛な願い。
フェルネとしてはもっと詳細に話を聞きたいのは山々である。
だがインベントがボロボロ過ぎて、フェルネは渋々「わかったわよ」と言った。
インベントは微笑む。
「お願いします」
フェルネはインベントの微笑みを――
いや微笑みになっていないインベントの顔に息を飲んだ。
口角は片方しかあがっていない。
顔面のいたるところで痙攣している。
傷だらけ、泥だらけ、アザだらけ。
そんな汚れ歪んだ顔は、なによりも説得力があった。
**
フェルネが【癒】持ちを大至急集めている。
その間、インベントは待つしかなかった。
治療用のベッドがある一室で待つインベント。
付き添うレノア。
あと少し待てば成就する。
まだ達成していないものの、後は待つだけという状況はインベントの気持ちを緩ませた。
安堵させてしまう。
だが緩んだ心に付け込むように、睡魔はインベントに襲いかかる。
座っていられなくなるインベント。
足が折れているため、杖で体重を支えがながら立つ。
ぐるぐると回ったり、自らを抓り、捩り、殴打する。
心配するしかできなかったレノア。
かける言葉も思いつかない。
どんな言葉も気休めにもならないのは目に見えていた。
だから――
レノアは「インベント」に近づく。
「え?」
レノアの手にはナイフが。
慈愛に満ちた笑顔のまま、レノアはインベントの太ももを刺した。
「ぎぎぃ!?」
痛みが全身に駆け巡る。
立っていられないほどの痛み。
だがレノアはインベントを抱きしめる。
と同時に――
「大丈夫よ。傷はもう塞いでいる。
目は醒めた?」
ナイフで痛みを与え、【癒】で傷を塞ぐレノア。
「ハハ……眠気が吹き飛びましたよ」
「そう?
だったら、折れた足の治療だけはさせてちょうだい。
眠くなったら、ちゃ~んと起こしてあげるから」
慈愛と狂気が入り混じる。
****
二時間程度でフェルネがインベントのもとへやってきた。
【癒】を10名集め、部屋の前に待機させている。
「それじゃあ――――出しますね」
10日間。
収納空間の中で保存されたアイナ。
収納空間は中に入れたモノの状態を維持する。
そのルールがちゃんと適応されていれば、アイナは瀕死状態を維持しているはずだ。
恐る恐るインベントはアイナを収納空間から取り出す。
収納空間側は弾き出そうとしてくるが、インベントは自らの左手でアイナを支え、ゆっくりと取り出す。
頭――肩――胸――
そして――
傷口は刺された当時の状態でしっかりと保存されていた。
生々しい重体患者だ。
レノアとフェルネが絶句する。
逆に瀕死状態が維持されていることを確認し、安堵するインベント。
(よし……息をしている!)
だが手元が狂い、勢いよく飛び出すアイナをインベントは抱き止めた。
アイナの鼓動がインベントに伝わる。
「……生きてる。
まだ、生きている」
全身が弛緩し、意識が朦朧としていくインベント。
そんなインベントをフェルネは容赦なくアイナから引き離した。
「急患!! 急患!!
レノアはインベントをどかして!」
すぐに人が入ってきて、アイナが治療されていく。
そんな様子を見た……のか見てないのかわからないが、確かに感じていたインベント。
そのままインベントは眠りについた。
深い深い眠りについた。
****
三日後、インベントは目を醒ましアイナの治療が成功したことを知る。
アイナを失わなかったインベント。
だが、禁忌を破った代償を支払うことになる。
インベントは最も大切なモノを失った。