混沌のきっかけ
手に届かない位置の窓ガラスが割れた。
それも、オセラシア自治区の王がいる場の窓ガラス。
緊張が走る。
親衛隊が素早く王を囲み、万が一に備える。
そして数人の兵が走り、塔の外の周辺警戒に向かった。
慌ただしい雰囲気、そんな最中――
『あ~、クラマさん? アイナですけど~』
明瞭な念話がクラマの頭に響く。
クラマはアイナを見るが、アイナは横目で見るだけ。
クラマは喋らないほうがいいのだと悟る。
『なんかインベントに考えがあるみたいです。
アタシもよくわからんのですが、任せろですって。
ちなみに多分、窓割ったのはインベントです。
その……なんかすんません。
まあ、ちょっと任せてもらえますかねえ? なんか自信あるみたいなんで』
クラマは口をへの字に曲げながらも、小さく頷く。
(インベントがゼナムスをどうにかできるとは思えんが……。
とりあえず任せてみるとしようかのう)
クラマはゼナムスをどうにかできるのは自身しかいないと思っている。
客人であるインベントとアイナを無事に帰す使命感もある。
だが、インベントが思っていることはクラマとは逆方向なのだ。
なぜなら――
誰にも気づかれないように窓ガラスを割り、皆の注意が逸れている際にアイナに伝えたことは――
「クラマさん邪魔だから黙らせといて」
だったからである。
****
ゼナムスがクラマを連行するように命令した直後に、窓ガラスが割れた。
なんとも言えないタイミングで横槍が入った形だ。
一旦仕切り直しといった状況――
「いや~鳥でもぶつかったんですかね?」
インベントが話し始める。
「窓ガラスって熱で割れたりすることもあるみたいですよ」
それらしいことを言うが、割ったのはインベント自身である。
視認しづらい位置でゲートを開き、石を発射してガラスを割ったのだ。
ゼナムスは「ふ、ふむ。そういうものか」と――
落ち着いているように振舞うが、誰よりも驚いていたのはゼナムス本人である。
「お願いがあるのですが、良いでしょうか? ゼナムス王」
「む? なんだ? 申してみよ」
「ありがとうございます。
実はクラマさんのことなのです」
ゼナムスは少し不機嫌な顔をする。
「クラマさんはイング王国でも有名な方であることは聡明な王はご存じでしょう。
そんなクラマさんが私たちのせいで監禁されてしまうのは少し心が痛みます」
「だが、爺さんがやっていることは独断であり反逆行為。
然るべき対処をせねばならぬ」
クラマは顔を歪ませるが、インベントは気にしない。
「ええ、まったく。王の言う通りです。
先ほどもお話しましたが、まさかまさか、私たちのことが王のお耳に届いていないとは驚きました。
てっきりゼナムス王は知っているものだとばかり」
「ハハハ! まったく、爺さんは勝手過ぎる。
おい、インベントたちが困っておるではないか」
ゼナムスがクラマを指差し――
クラマが「なんじゃと!」と怒るが、インベントが窘める。
「まあまあ、クラマさん。
現に私たちはオセラシア自治区が、イング王国に対して良い感情を持っていないことも知りませんでした。
それに王とクラマさんの関係も知らなかったので、混乱させてしまったのも事実です」
「む、むう」
理路整然と話すインベント。
クラマは思わずインベントから目を背けてしまう。
(もともと、変な奴だったが、頭は悪くないとは思っておった……。
じゃが、なんじゃこの他人行儀な話し方は?
エウラリアみたいでやりにくいわい)
久々に会うインベントのキャラチェンジに困惑するクラマ。
インベントはクラマからゼナムスに向き直る。
「ですが、王。
少なくとも私たちはオセラシアに敵対する意思はありません。
もしも可能であれば、引き続きサダルパークの町の防衛に協力させてもらいたいぐらいです。
ああ、そういえばサダルパークは壊滅したと思われているようですが、無事でございます」
皆がざわついた。
クラマも「おお、無事なのか」と安堵する。
「ですが……どうにも気になることがあります」
「ん? なんだ?」
インベントは笑う。
「私たちがサダルパークにやってきたのは――おおよそ三か月前でございます。
ですがクラマさんは一度たりともサダルパークにやってきてくれませんでした。
ハハハ、中々薄情と言えば薄情ですね」
ゼナムスが「ブハハ、酷いものだ」と同調する。
「さて――この三か月。なにをされていたのでしょうか?
クラマさんがなにをしていたのか知っている方はここにいらっしゃらないのでは?」
「ふむ……確かに知らん」
インベントは何度も頷いた。
そして「クラマさんは唯一」と言い――
「空を自在に飛べる方です」
クラマは当然――
(いや、お前も飛べるじゃろうて)
と思うが、口を挟める雰囲気ではない。
「自由に飛び回ることは悪いとは思いませんが、なにをしていたのかは正確に報告されたほうが良いのではないでしょうか?
そもそも、クラマさんがちゃ~んと報告を行っていれば私たちも嫌疑をかけられることもありませんでしたしねえ」
「ブハハ、確かにその通りだな。
おい爺さん。この非常時に客人を放置してまでなにをしていたんだ~?」
クラマは言い淀む。
だが――沈黙が許される雰囲気ではなかった。
「……ハア。
ナイワーフ北東部に、モンスターがおってな」
インベントの目が輝く。
「何度も何度もナイワーフの町から引き離したのじゃがな。
何度引き離しても、どうしてもナイワーフに寄ってきてしまうんじゃ。
だからのう……監視を続けておる」
インベントが舌なめずりする。
「ゲフ、なんだ、倒せばいいじゃないか」
「ハア……倒せるなら苦労はせんわい」
「ゲハハ、だったら我が精鋭部隊を向かわせれば――」
「バカモン! あんなバケモンに勝てるやつなんておりゃせんわい!」
インベントが興奮し、無邪気に「ねえねえ、なんで勝てないの?」と問う。
「触れられんのじゃ」
「ほう!? 触れられない? なんで?」
「ん? まあ……見た目はライオンのようなモンスターなんじゃ」
インベントは「うほ、ライオン!」と目を輝かせる。
「動きは非常に速い。
じゃが一番厄介なのは……全身に幽力の衣を纏っておる。
まるで……稲光のようなのう。まるで雷獣じゃ」
インベントは両手で口を覆う。
そして白目を剥きそうになりながら――
「雷獣! 雷獣!! 雷獣!!!
ライジンガだ! ライジンガだ! ライジンガだ! ライジンガだ! ライジンガだ! ――」
モンスターブレイカーには象徴的なモンスターが何体かいる。
その中でも人気が高い、雷を操る四足獣タイプのモンスター『ライジンガ』。
インベントはクラマが倒せないモンスターがいると言った時点から、期待していた。
その期待は予想以上の形で帰ってきたのだ。
ひとり興奮するインベント。
ゼナムスは「我が精鋭なら勝てる!」と言い張り――
クラマは「無理じゃ!」と突っぱねる。
そんな爺と孫の喧嘩が続く中――
アイナは「ど、どうなんの、これ」とオロオロしている。
兵たちもオロオロしている。
そしてインベントは――
「さて――どのルートが楽しいかな」
と舌なめずりする。
爺と孫が喧嘩しているが、インベントはゼナムスから充分な好感度を獲得しており、このまま成り行きに任せても問題無い状態だった。
だが――当然、インベントは混沌な選択肢を選ぶ。
口喧嘩に飛び込むインベント。
「あー、すいませーん。
時に、ゼナムス王」
「む? なんだ?」
「ひとーつ、お聞きしたいのですが――――」
アイナは嫌な予感しかしなかった。
もちろんその予感は的中する。
「ゼナムス王は――――
『愚王』と呼ばれているそうですねえ」