麦女
ロゼが『宵蛇』に入隊後、一か月程度過ぎたある日のこと。
ロゼは走っていた。
『宵蛇』は行動範囲がイング王国全土であり、移動が頻繁に発生する。
行先は基本的には裏の隊長であるデリータが決める。
進化した【読】のルーンを使い、イング王国の平和のために行くべき場所を決めているのだ。
移動には馬車を使うこともあるが、走って移動することも多い。
『宵蛇』隊員の最低条件は、森林地帯を走り続けられるスタミナである。
ロゼはスタミナが無いわけではない。
だが『宵蛇』隊員に求められるレベルは、スタミナはもちろん、総じて非常に高い。
本来、ロゼは『宵蛇』に入隊できるレベルでは無かった。
【束縛】というレアなルーンを持っているとはいえ、地道に森林警備隊で地力をつけ数年後に勧誘すればいいとデリータは考えていた。
だが同じサグラメント孤児院の出身であり、同じ【束縛】のルーンを持つレイシンガーが、強く推薦したため『宵蛇』に入隊することになった。
その結果、入隊直後のロゼはついていくのがやっと。
そしてレベルの違いに圧倒される日々。
普通なら心が折れてしまうかもしれない。
だが――ロゼはドMなのだ。
叩かれれば叩かれるほど気持ちよく……いやいや。
しんどければしんどいほど燃えてくるタイプ。
たまに落ち込むこともあるが立ち直りが異常に早い。
逆境に強く、踏まれれば踏まれるほどに強くなる麦のような女なのだ。
一か月もすれば走ることにも慣れた。
だが、それでもなお――ロゼは『宵蛇』本隊から遅れ、最後尾を走っている。
「おいおい、本隊から遅れちまってるぞ~」
並走するレイシンガーが煽る。
「う、うるさいですわ!
だ、大体遅れている理由は……おとととと!」
遅れている理由それは――
「なんだよ。荷物を手で持つなって言っただけじゃねえか。
そんなこともできないのかよ。かあ~ヒドイね、こりゃ」
レイシンガーはロゼにお題を与えていた。
それは『荷物を手で持たないこと』。つまり触手で荷物を持てということである。
「で、できないとは言ってませんわ!!
は、走りながらだと……調整が難しいだけです……」
レイシンガーは鳥のように「カカカ」と高笑いする。
「それはできてねえってことじゃねえか。
言い訳するなんてダッセえな。あ~恥ずかしい恥ずかしい」
「だ、だったら! レイ兄さんも、やってみな……さ……い……」
レイシンガーは「ああん?」と言いながらいとも簡単に荷物を触手で持ち上げた。
さらにクルクルと荷物を回し、曲芸じみた芸当もやって見せる。
「こんなことはアホでもできるっての。
ただでさえ『宵蛇』の落ちこぼれなんだからよ~。
ちゃんとしろよな~」
「だ、誰が落ちこぼれよ!
み、見てなさいよ!」
ロゼは触手に集中する。
触手は太くなりガッチリと荷物を掴んだ。
そして「どうです!」と言おうとしたその時――
「へぶう!?」
荷物と触手に集中した結果、太い枝を見失い顔面に激突するロゼ。
その後レイシンガーが笑い、罵倒し続けたのは言うまでもない。
それからも様々な嫌がらせとも思えるお題をロゼに与え続けたレイシンガー。
隊長であるホムラが「ロゼは全面的にレイに任せる」と言ったものだから、従わざるを得ないロゼ。
人間的には全く褒められたものではないレイシンガー。
だが、ロゼの成長にとってレイシンガーは無くてはならない存在である。
そもそも【束縛】のルーンは非常にレアである。
ロゼはそれなりに使いこなしているものの全て独学だった。
そんな中、嘲笑しつつも的確に【束縛】の使い方を教えるレイシンガーは稀有な存在なのである。
たった数か月。
されど向上心と不屈の精神を持つロゼにとって、この数か月は、彼女を飛躍させるには十分な時間だったのだ。
****
三匹のモンスターの群れを発見し、新体制のノルド隊は討伐に向かう。
だが、どのようなフォーメーションで戦うかは決めていなかった。
ノルドはどうにかなるだろうと踏んでいたのだ。
なにせ数か月前までは、隊を組んでいたインベントとロゼである。
もちろんインベントが異常に成長していることは知っている。
なぜか『陽剣のロメロ』と共に行動していたことも知っている。
だがインベントの本質は変わっていないと思っていた。
空を飛べる。
そして上空からの攻撃は恐ろしい威力を誇る。
オンリーワンな性能を持つモンスター大好きな新人。
それがノルドにとってのインベントのイメージである。
まさかロメロと引き分けるほどの成長をしているとは知らない。
更に前回オセラシアで久々に再会した時は、奇妙な鉄の塊、重力グリーブを装備していた。
だが今はしていない。
若干パワーダウンしているのかもしれないと、ノルドは思っている。
そしてロゼだが、『宵蛇』に入隊したことは知っている。
昨日耳が痛くなるほど自慢話を聞いたからである。
立ち振る舞いを見れば成長したことはわかる。
とは言え、たった数か月。
そこそこ成長した程度だと想定していた。
最後の一人、アイナに関してはインベントのお友達であり、後方支援の女の子だと思っている。
剣は装備しているものの、戦力としては期待できないと考えているノルド。
結果、戦力を見積もった上で、旧ノルド隊の戦い方を踏襲しようと判断した。
「それじゃあ……俺が囮になって群れを分断するか」
昔のノルド隊であれば、ノルドが陽動や囮役を務めることが多かった。
ノルドがモンスターの注意を惹きつけ、インベントに奇襲させる。
そしてロゼがモンスターを捕獲し、空中からインベントがとどめの一撃を叩き込む。
ノルド隊の必勝パターンの一つ。
それに倣い、ノルドが先陣を切ろうとした。
だが――
「うふふ、いえ! まずは私がやりますわ!」
ロゼがノルドを制止し、前へ出た。
自信満々のロゼ。
ノルドに成長した姿を見せたいのだ。
いや、褒められたいのだ。
ノルドは「まあいいだろう。油断はするなよ」と先陣を譲る。
「オホホ! 見てなさいインベント!」
インベントを指差すロゼだが、インベントはただ頷くだけだった。
ロゼは両手の人差し指を立てた。
そして【束縛】のルーンを発動し、指先から左右一本の触手を出す。
「うふふ」
昂る思いが触手に伝わり、うねうねと動き出す。
だが、触手は徐々に落ち着いてくる。
ノルドはロゼの顔を横目で見ると、先ほどまで顔も声も態度も全て騒がしかったロゼが、いつの間にか無表情になっていた。
これにはノルドも驚いた。
(急に静かになりやがった。呼吸さえも感じれないぐらいだ。
まるで植物のようだ)
ノルドは知らないのだ。
人間、キッカケ一つで大化けすることを。
いっぱい踏まれた続けた麦女の進化を。
書き直し&間違って消すというダブルコンボで投稿が遅くなりました。