隙間風
嚙み合わないインベントとクリエ。
だが、会話を続けた結果――
「インベントのルーンは……強化されておらん??
い、いや……そんなまさか……」
クリエは困惑した。
ロメロが連れてきた『器』のルーンを操る奇妙な少年。
『器』は収納空間を使用可能になるルーンである。
その認識はクリエもインベントも同じだ。
だからインベントが収納空間からナイフを取り出したのは当然納得できている。
だが先の戦い――インベントのナイフは収納空間から発射されたかのように飛び出した。
さらに飛び出したナイフは、まるで空間を転移するかのような動きをした。
もしも一定条件下でルーンがパワーアップすることを知っているクリエからすれば、インベントのルーンがパワーアップした『器』だと勘違いしても仕方ないだろう。
更にクリエには勘違いするもう一つの理由もある。
「……いったん戻ろう」
「え?」
「ロメロに確認せんといかん」
「あ、そうなんですね」
****
一方そのころ――
「……腹減ったな」
「……そうですわね」
「あ~……インベント帰ってこねえかなあ。ひもじいな~」
ロメロ、ロゼ、アイナ。
食料は持っていない。食料はインベント頼み。
「……猪。一匹ぐらい殺してもばれないかな」
ロメロがボソっと呟いた。
「……だめなんじゃねえの?
よくわかってねえんだけどさ、あのクリエさんとやらは猪のお姫様みたいなもんじゃねえの?」
「ハハハ、猪の姫か。まあ間違ってはいないな。
しかしまあ、一匹ぐらいならわからんだろう。背に腹は代えられん」
と――剣を握り、立ち上がろうとしたその時――
「わからんわけなかろう。バカモン」
クリエが茂みから現れた。
「お、おろろ、クリエさん」
ロメロはささっと剣を隠す。
「いつもいつも不穏な風を巻き起こしおって」
「いやあすまんすまん。ところでインベントは?」
「この先で待たしておる。
ちょっと確認したいことがあっての。ついてこいロメロや」
「ん? はいは~い」
スタスタと去っていくクリエとロメロ。
残されたアイナとロゼ。
「……いや、腹減ったんだけど」
****
インベントと合流したクリエとロメロ。
「で? で? どうなんだよ、クリエさん。
例の件はわかったのかい??」
プレゼントを待つ子供のようにはしゃぐロメロ少年。
「まあ待て。その件もあってロメロを呼んだ。
ふたりが近くにおらんとわからんのでのう」
「ほうほう! では早速――」
「まあ待てと言っておろう。
このインベントに関して聞いておきたい」
「ん? なんだ?」
「この子のルーンは『器』よのう」
「ハハハ、そりゃそうだ」
インベントも頷いている。
「よし。
では聞くが……この子のルーンは進化しておるよな?」
ロメロは口を開けて、クリエの質問を咀嚼している。
そしてぽんと手を叩いた。
「ああ、あれか。『門』を開いたかどうかってことか」
ルーンのパワーアップ。
クリエは進化と呼んだが、クラマは『門』と呼称している。
クリエは首を振った。
「私は『門』とは思っておらんがな」
「ハハハ、まあ俺としてはどっちでもいい。
というより、クリエさんやデリータは『進化』と言って間違いないだろうが、俺やジジイは『進化』ってのは適切じゃないだろう」
「……それもそうじゃのう。
まあよい。私はてっきりインベントは『門』とやらを開いていると思っておった」
ロメロは盛大に笑う。
「クリエさんでも間違うことがあるんだなあ~、これは稀有な瞬間を見た」
「笑い事ではない。違うのか?」
クリエはインベントを指差し――
「本人が気づいてないだけではないのか?」
とロメロに問う。
「う~ん……違うと思うぞ。
出会ってから随分経ったが、そんな兆候は無かったし……。
あ! まさか! 元々『門』を開いていた??」
ロメロは閃き、指をパチンと鳴らした。
だが「あ、そんなことないか」とすぐに否定した。
そして――
「おいインベント、後ろを向け」
「ん? はい」
くるりと後ろを向くインベント。
無警戒なインベントの背中に対し――
「えい」
ロメロは鞘に収まった剣で突いた。
「い、痛ったあああ!?」
インベントは飛び上がる。
鞘に収まっていようが剣で突かれれば痛い。
それにロメロは無意識だったが、急所を突いていた。
『無意味な致命的一撃』。
戦いの天才が無駄にその力を発揮したのだ。
痛がるインベントを無視して話は進む。
「ほらな、クリエさん」
「――なるほどな」
クリエは納得した。
だが納得できない男がそこにいる。
「な、なにすんですか!」
「ああ、ちょっと実験をな。
後ろから突かれてもインベントが避けれるかどうか確認したんだ」
「避けれるわけないでしょ!」
「まあな。だがこれではっきりしたぞ」
クリエも「そうじゃのう」と同意する。
「え? なにが?」
「インベントは『門』を開いていない。
なぜなら幽結界が使えないからだ」
インベントは「な、なるほど」と少~しだけ納得した。
だが――
「って納得できるかー!」
「ハハハ、今の感じアイナっぽかったぞ」
「え? そうですか? ってそんなことはどうでもいいんですよ。
俺が幽結界を使えるわけないじゃないですか!」
「ハハハハハ」
インベントとロメロが話している間、クリエはじぃっとインベントを見ている。
(幽結界は使えんのか……。
しかし……インベントから発せられる圧力は、ロメロ並みの風を感じた。
普通ではない……と思ったんじゃがのう)
クリエが勘違いしたのには理由がある。
クリエは『門』を開いた人間から独特の風を感じることができるからだ。
(間違うことは無いと思ったんじゃが……ん?)
ひゅるひゅるひゅる。
黒く冷たい風。隙間風のようにひゅるひゅると吹いてくる風。
落ち着いているはずのインベントから漏れ出している黒い風。
(なん――だ?)
クリエは手招きされるようにインベントの背後に廻る。
(風が流れてくる?
……心臓から?)
インベントの背中に風穴を発見するクリエ。
クリエにしか見ることができない、だが確かにある風穴。
クリエはゆっくりと風穴に手を伸ばす。
インベントは気づいていない。
ロメロはもちろん気付いているが、あえてインベントの意識を自身に向けさせた。
なにかが起きそうで面白そうだからである。
クリエの人差し指が風穴に伸びていく。
刺激してはいけない。
クリエは内心ではわかっているが、気になってしまった。
人差し指と風穴の距離――二メートル……一メートル……そして50センチメートルを切った。
その時――
「ん?」
インベントが反応し、振り返ろうとした。
だがインベントが振り向くよりも早く――ソレは反応した。
(ぐ!? なんだ!?)
クリエは指を引いた。
風穴から恐ろしいほどの殺気の風が、刺すように吹いてきたのだ。
(の、呑まれる!!)
咄嗟に飛び退くクリエに対し、風穴は容赦しない。
風穴からナニかが飛び出した。
そのナニかは恐ろしいスピードでクリエの頭部めがけて進む。
クリエはどうにか両腕で防御する。
だが防御したナニかから『たぷん』と液体が揺れる音がした。
(ど、毒か?)
直後、液体が――クリエの頭部に盛大にかかった。
(あ、熱い!?
え? こ、これは……あれ?)
クリエは「どういうこと……だ」とジト目でインベントを見る。
インベントはキョトンとしている。
ロメロは――笑っている。
クリエの灰色で美しい髪に、毒々しい赤い液体がべっとりと付着していた。
いや――美味しくてとろみのある赤いスープだ。
今朝、クリエが舌鼓を打ったスープである。
好奇心は猫を殺さず、髪を汚したのだ。
トマトスープか、ビートスープか。