伯爵令嬢は忠実な騎士になる
そこからは怒涛の展開であった。
あれよあれよとこれからの自分の身の振り方がファル、もとい陛下によって決められ、その日のうちに王政府関係者の寮の一室に放り込まれた。レオナルドに泣きつくか野宿かの二択だったのに、想定外すぎた。翌日には新入試験という名ばかりの試験を受けて私の就職先は自分の希望通り騎士団へと正規決定した。
「うち初の女兵士だな!」
などと陛下は笑っていたけれど、とんでもないことだ。そしてそのとんでもないことを陛下の一存で決まってしまった。見る限り彼は誰にも私の件を相談していない。本来の形など知る由もないが、そもそも国王が街へ降りてきているのも直接採用をしているのも異常なことだ。
「……この国はどうなってるの」
「どうもこうも……陛下が何考えてるかなんて俺にもわからんよ。とりあえず汚職宰相の傀儡のフリしながら街や城をうろついてることくらいしか把握できん」
「本物の阿呆、ではないよね。どう見ても」
一週間後にはもう何の違和感もなく王国騎士団所属となっていた。文官をメインに武官を掛け持ちしているレオナルドとは幸い関わる機会が多かった。街の食堂で昼食をとりながら現状の相談をする。テーブルに出されたシチューは自領を思わせるような大ぶりな野菜がゴロゴロと入っていた。
レオナルドは子供のころから何のかんの陛下とかかわりがあったらしい。ラフヴァル伯爵家の三男坊でプロスパシア領付近に滞在していることが多かったが、彼の父親は前王の右腕であったためよく王都へ連れ出されいたらしい。そして父親たるラフヴァル伯爵は左遷され現在は自領の統治のみを行っている。
「あの人は化け物だ」
「化け物? 主君に言っていい言葉じゃないわね」
「陛下なら笑うさ。凡人と言っても、傑物と言ってもきっと笑う。どれもがあの人の表層の一部しか表してないからな。……おとなしくレッテルを貼られてやる人じゃないから、好き勝手言う奴らが面白いらしい」
なるほど笑い飛ばしそうだと一日過ごした彼のことを思い出す。よく言えば鷹揚なのだろう。その代わりに全貌がまるで見えないのだが。
「あの人のことを理解しようなんてしても無駄だ。俺らとは頭の作りから違う」
大口を開けてクリームパスタを頬張るレオナルドを見ながら陛下のことを思い出した。
私と話していた彼は、本当に普通の人間に見えた。
よく笑って、よく喋る。好きなものがたくさんあるけど、たまにくだらないことで悩んでたりする。少し傲慢で強引だけど、許したくなるような愛嬌がある。
普通に見えた彼は私のことをわらったりしなかった。
「……地元で変人扱いされてた私とも、頭の作りが違う?」
そう聞くとフォークを持つ手を止めた。逡巡するような沈黙と、時間を稼ぐようにゆっくりと咀嚼するのをぼうっとしながら見る。今きっと「こいつは意外と人の目を気にしていたのか。なんて答えてやるのが良いだろうか」と思っているに違いない。雑な扱いの反面、人を傷つけないよう気を遣う彼は昔からあまり変わらない。気にしいなのだ。
「……お前は、割と普通だ」
「一人で勝手に馬に乗って大きな猪倒したりするのに? 新入試験では先輩たち相手に10人斬りきめたのに?」
「お前は身体の作りが些かおかしい。いや、それはお前の努力とポテンシャルだからおかしいっていうのも変だな。確かに身体能力は普通じゃない。でも思考回路や考え方は普通だ」
”普通”とは何だろうか。
親の期待も何もかも裏切って都へ飛び出すのは普通だろうか。
政略結婚なんてしたくなくて、森へ狩りに出ることは普通だろうか。
「縛られたり、強要されればそりゃ逃げ出したくなるだろう。それは理解できる」
困ったように眉を下げてレオナルドは私に言った。
「我慢してるやつも多いだろ。でもそれは”我慢”だ。我慢なんて本来誰もしたくない。でも大切な家族のために、或いは想像する茨の道に臆して、その我慢に甘んじる。……それも全部捨てて、自分なりの大切なものへの報い方を選んて一人で都に来たお前は、かっこいいよ」
目の前が、開けるように明るくなった気がした。
かっこいいよなんて、陳腐でひどくつまらない誉め言葉だ。そんな使い古しの言葉に、どうしてか泣きたくなった。
「責任とか、幸せとか、他人が決めたものじゃ失敗したとき納得できないし、どっかできっと疑う。自分で考えて選択する。それだけで価値があることだ。お前が考えて、お前が決めて行動した。多数派じゃなくても変なことじゃない」
「……レオンも自分で決めたの? 陛下の傍で働くこととか、文官と武官兼務することだとか」
「いやぁ……なんか俺はどれも成り行きというか、そうせざるを得なかったというか。陛下の側近にしないと命の危機があったし、武官やってるのも陛下の周りは危険そうって理由だし。俺は流され続けてるよ。決定といえばにっちもさっちもいかなくなったら腹を括るってことくらいだ。現状が悪くないと思えるくらいには」
なぜレオナルドが陛下の寵臣なのか、私は知らない。ただ一部は嘘だな、と勘づく。世渡りが上手で保身に走りやすい彼が、本当の意味でそうせざるを得なくてそうすることはない。いくらでも逃げおおせる方法はあっただろう。それでも彼は陛下の傍にいる選択をしたのだ。不服でも不満でも、それでも余りある魅力を彼に感じたからこそ。
「陛下は、理解できない?」
「断言する、できない。あの人には人の心がない。昔はしおらしいところもあったけど成長するにつれてなくなったな。その辺はもう”王として”生きる上で切り離さざるを得なかったのかもしれないが、それを差し引いても、思考回路が異常だ」
「でも普通に話ができたし、よく笑う。むしろ想像してた王様より親しみが持てると思ったけど」
レオナルドは考え方が柔軟だ。人と衝突することを避け、ある程度人とはうまくやろうとする。誰かを嫌うことはなく、のらりくらりとしている。それなのに陛下に関しては頑なに否定的だった。普段の様子からして、過剰に反応しているようにしか見えなかった。
「やけに肩を持つな?」
「自分のことを拾ってくれた人の肩を持たないわけないでしょ」
「……笑うだろうさ。あの人は自分が楽しいと思ったこと、愉快だと思ったことしかしない」
思わず眉を顰める。そんなことできるわけがない。それこそ彼は王だ。誰よりも責任ある立場に立つ。自分の興味のままに動いていては仕事にならない。
「俺を傍に置くのは面白いと思ったから。お前を騎士団に入れたのも面白いと思ったからだ。今のところ陛下の興味が国益に影響を与える事態にはなってない。だがこれからどう転んでいくかはわからない。あの人が戦争を面白いと思えばこの国は戦争好きな軍事国家になる。あの人が交易を面白いと思えばこの国の鎖国は終わるだろう」
そんな馬鹿な、と言いたくなるが、真剣なレオナルドの様子に何と言ったら良いかわからなくなってしまった。もしそれが事実なら、この国はとんでもない独裁国家となるだろう。それこそ、彼の機嫌一つに一喜一憂するような。
「じゃあ今陛下がうつけのふりして街を歩いてるのはそれが愉快だから?」
「かもな。でも今回は絶対にそれだけじゃない。何か企んでる。じゃなきゃあんな凄絶に笑うはずがない」
苦虫を噛みつぶしたような顔に、さすがにもう何も言えなかった。
レオナルドの言うことはわかった。付き合いなど最初の一日目以来ないに等しくとも、夕日の中で笑っていた陛下の顔は今も網膜に焼き付いている。
あんな風に笑う人間が、ただの道楽息子のはずがない。
「あの人は人から馬鹿にされることも舐められることも大嫌いだ。それなのに現状を甘んじている。今の屈辱を受け入れてでも阿呆のふりをするメリットがあるからとしか考えられない。そのメリットも並大抵じゃない」
何というべきかわからず、大ぶりな芋を口に詰め込んだ。
正直なところ、私はこの国の現状という奴もまるで知らずに都へ出てきてしまっていたことを痛感していた。王が崩御されて位を譲られたことを把握していても、ここまで不安定であるとは想像もしていなかった。
亡くなった王。代替わりした王位。傀儡となる王子。辞職・左遷させられる重役。好き勝手に政を執る宰相。管理の杜撰な人事。一部のみ見える謀略。
もし、もしもだ。このタイミングで他国から攻められたらどうなるだろうか。
無敗を誇るダーゲンヘルム王国だが、この不安定な情勢で耐えることができるだろうか。
「ま、俺らにできることは何にもないんだけどな」
「それはそうだけど」
「俺はどうなろうと陛下についていくし」
「化け物だのなんだの言う癖に」
散々謗るようなことをいうのに、レオナルドは自身の上司のことを疎ましくは思っていない。心底怪物だと思いながら、それでも決して厭うていないことが言葉の端々から感じられた。
「あの人が何考えてる微塵も俺にはわかんねえよ。でもあの人が望んだその先に何があるか見てみたいんだ。全く理解も共感もできなくても、あの人の傍はわくわくする。だから俺はついていくんだ」
目を細めて笑うレオナルドの顔は子供のころと変わらない。
でも私とは違う何かを見て、その特別を噛み締めるような彼をなんとなくずるいと思った。
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私が王都へ来て数か月後、ダーゲンヘルム王都は騒然としていた。
絢爛豪華な王宮の一室、狼狽える汚職宰相、取り囲む兵士、事の成り行きを見守る有力貴族と官僚たち、そして切っ先を宰相に向けて立つ涙を流す青年。
「ああ、父上を殺したのは貴様であったのか!」
「なっなにを……! 陛下誤解です! 私は何もしてはいません!」
「今更申し開きなどあきれ果てたぞ! 貴様の部屋を改めさせた。父上の死因は表向き病死であった。しかし父上は毒を盛られ亡くなったのだ! 以来私はずっと下手人を探していた」
「知らないっ私は何も!」
「黙れ! 貴様の部屋から毒物が見つかった! 毒物の入手ルートも、取引をしたという人間もすでに見つかり、貴様が購入したという証言も得ている!」
殺伐とした空気に、まるでここにいる全員が陛下から切っ先を向けられているような心地であった。
誰も宰相の言葉に耳を貸しはしなかった。既に彼の悪行は知れたこと。収賄、贈賄、公文書偽造、偽証、列挙してもきりがないほどの罪状。もはや申し開きの余地もなければ、彼の言葉は一欠けらの信頼性もなかった。
「違う! 私は本当に何も知らない! しゅ、収賄は認める、偽造も認める! だが私は本当に陛下を殺してなどいない! そんな恐ろしいこと私にはっ!」
「ああ、ちまちまと悪行を働く貴様には過ぎた罪よな」
「陛下っ……!」
跪き許しを請う宰相を見下ろす陛下の言葉一瞬和らぐ。
「この国をほしいままにしたいなど、過ぎた夢を見たな愚か者よ」
けれど同情の余地などない。
自分の無実を証明できないと分かったのか、宰相はぱっと駆け出す。そして宰相は最近入ったばかりの女兵士のいる場所から逃げ出そうとした。短絡的な思考に思わず憐れみすら覚える。もしかしたらそこからなら突破できるのかもしれないと思ったのだろう。もし彼がもう少し兵士たちをよく見ていれば、噂に耳を傾けていれば、私の方へ来ることはなかっただろうに。
逃げ出せない愚者への憐れみを込めて、剣すら抜かずにブーツの先を腹に叩き込んだ。
「よくやったプロスパシア」
「はっ!」
いい子の返事をすれば陛下は満足げに倒れこむ宰相に歩み寄った。
「過ぎた野望に身に余る罪。見誤ったな」
「違う、私は本当に陛下を殺してなど……!」
「誰が貴様の言葉など信じると思うか」
誰も動けなかった。誰も動く必要はなかった。ただ一人を除いて。
「死して詫びよ、愚か者」
目尻に涙を残し、陛下は宰相に首に剣を突き立てた。
吹き出す血、尾を引くうめき声、さざ波のように広がるどよめき、誰かのため息。
裁定は終わった。前王を謀殺した謀反人は現王により処刑された。
けれど緊張感は途切れることなく今も部屋の中を支配していた。
この場で自分がすべきことは何か、最適解はわからずとも、私にできることがないわけではなかった。
「陛下、失礼いたします」
陛下を一歩下がらせて、いまだ虫の息ながらうめき声をあげ続ける宰相の首を一振りで切り落した。死ぬことが決まっているなら、無駄に生かしておく道理はない。人の首を斬るのは初めてだった。けれど鹿や熊の首を落とすのとそう変わらなかった。毛皮がない分、斬りやすいだけで。
「あぁ、」
何の声も上げなくなった宰相だったものを見て、陛下は目元をやわらげた。その顔を見て、私は自分の行動が最適解だと知った。
狩人としての行動であった。けれど私の行動はここではそれ以上の意味を持った。
「ああ、今をもって、父上の仇をとった! この国に仇なし、甘い蜜を啜る愚者は裁かれた! これより本当の政を為す。個人の益や欲でなく、この国にとっての最上を、この国にとっての幸福を」
陛下は語り掛け、血の付いた剣を汚れた床に突き立てた。
「皆の者手を貸せ! この国のため、国民のため、この国の文化のため! 尽力せよ! 邁進せよ! この国は誇るべき美しい国、頑健な国、孤高な国。足りぬ部分は補い合い、この国のために力を貸せ!」
誰からともなく、声が上がる。湧き上がるように呼応するように共鳴するように、応える声は歓声となる。声を上げ、拳を掲げ、手を叩く。正しく王位が継承された瞬間だった。
陛下は笑う。嗤う。
痛快に、凄絶に、第28代国王ファーベル・ダーゲンヘルムはわらっていた。