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伯爵令嬢は王国の騎士になりたかった 3

 「残念ながら先程の騒ぎのせいで王都のメインストリートからは外れてしまったがーー」



 賑やかな街を先導するように歩く青年は機嫌よく私に街を紹介していった。

 メインストリートから外れた、と彼は言ったがそれでも町並みは先程と負けず劣らず多くの人が行き交い、笑い声に満ちている。



 「見ろ、右手にある劇場は先月から新しい演目を始めたばかりだからいつ行っても人で溢れている! 『先見の赤』はアクションも派手で鑑賞の年齢制限もないことから子供にも人気だ。だがその実何度も見てみると彼らの人間模様の中に得も言われぬ苦悩と闇深さがある。最初は子供の付き添いで行ったはずの親が気がついたらリピートしているという有様になっている」


 「あの人だかりが見えるか? 以前までは通りで芸や見世物をするには行政からの厳しい審査による許可が必要だったのだが規制を緩めたのだ。当初こそ街の景観が崩れるだの通行の妨げになるだの言われていたが、いざ始めてみればそれほどマナーの悪い者もいない。むしろこの規制緩和の通達が下りると街の住民たちは挙って地区ごとの観覧者のマナーを決めたのだ。誰かから命令されて従うのではなく、自分たちの享楽と生活と住区のために自ら守るべきものを守るというベストな形となった」



 街を案内する青年は饒舌に話し続ける。よくもまあ私の見た方向興味を持ったものについてこうも説明ができるものだと嘆息する。下手すると王都に彼の知らない店や出来事はないのではないかと思ってしまうほど。そして演目『先見の赤』を間違いなくこの青年はリピートしまくっている。


 私はというとひたすら王都の人の多さと賑やかさに圧倒されていた。

 プロスパシア領とて物語の国ダーゲンヘルムの一部。本屋だって劇場だってある。だがその規模が比べ物にならない。自領では遠く離れた劇場に行くのは一大イベントだったし、本屋だって選べるほどはないし入荷も遅い。なのに王都では一日で劇場にも本屋にも行けてしまう。そのうえどこを見ても歌を歌う者、語り弾きをする者、即興劇を行う者と様々な表現者や創作者がいる。全くもって、どこをとっても贅沢だ。



 「……物語好きからしたら垂涎ものね、この街は」

 「ふははは! そうだろうそうだろう! 人の数だけ物語は生まれ、人の数だけ物語は語られる。故にこの街はこの国のどこよりも物語に溢れ、夢と創造が尽きない街なのだ」



 誇らしげに語るファルはこの街を心の底から愛しているのだろう。

 先程の薬を盛ったボーイにしてもそうだ。ただの通りすがりだった彼は無視しても良かったはず。けれど彼はわざわざ私を止めて、更にボーイを捕まえた。それは間違いなく私のためではない。不埒な者がこの街を脅かすのを防ぎ、観光客と思しき私が初めて来た王都に悪い思い出を作らないようにするためだ。

 地元愛に溢れている、と感じかけてそもそも彼は王国軍から追われる身だったという事実を思い出した。

 であればあのボーイと似たりよったりではと思わないでもない。けれど、



 「おういファル! まあた観光客捕まえてんのか!」

 「夕方からうちの店に弾き語り屋が来るからそっちの嬢ちゃんも連れてこいよ!」

 「一方的に話しすぎるんじゃねえぞ。王都の人間は話を聞かねえ人種だって思われちまう」



 追われる身の人間にしてはあちこちから声をかけられる。おそらく彼が観光客を見つけては王都を案内するのはこの街の住人にとっては見慣れた光景なのだろう。多分、悪い人間ではないと思う。ただ何か悪気も悪意もなく法に抵触するようなこととかグレーなこととかをして追われているのかもしれない。騎士を目指し王都に上がってきた私にとってファルと行動することや彼といるところを騎士団関係者に目撃されることはマイナスになるかもしれない。



 「アコニート、あの店に行くぞ! 半年前にできた店でな……」



 けれど案内される私以上に楽しそうに話すファルを見ていると、そんな無粋なことは言いたくなかった。



 「ねえ、あそこの書店寄りたい」



 ふと目に留まったのは書店の入り口に平積みされた中堅作家の新作。プロスパシア領であれば少なくとも2週間は遅れて店頭に並ぶというのに。さすが王都だ。

 店の中に足を踏み入れればずらりと並んだ本棚に所狭しと収められた本たち。本棚の数だけではなく店内の悠然とした広さに感動する。こんなにも広い書店を見るのは初めてだった。普段行く書店といえば地震でも起きれば本の海におぼれて死んでしまうだろうと思えるほど狭く雑然としている。



 「買うべきか否か……」

 「欲しいなら買えばいいだろう」

 「いや、住む場所とか日用品とか揃えなきゃいけないのに何よりも先に本を買うのは流石にどうかと思って」

 「買ってしまえ買ってしまえ。王都に来て一番の買い物が本! 素晴らしいじゃないか」



 からからと笑うファルに唆され、結局その場で買うこととなってしまった。正直本は荷物になる。かさばるし重さだってそれなりだ。けれど欲しいと、今欲しいと思ってしまったらそれはもう仕方がない。ただ会計を済ませるまでに見た本たちを買わなかっただけ褒めてほしい。

 罪悪感と高揚感に悩まされながら彼のところへ戻ると、じっと一冊の本を見ているところだった。



 「ファル、気になるなら買えば?」

 「いや……」



 らしくもなく歯切れが悪い。

 ひょいと彼の視線の先を覗き込めば、棚に置かれていたのはファンシーな色使いの絵本。表紙には『にちようびのピクニック』の文字と共に満面の笑みを浮かべた小熊のイラストが描かれている。



 「へえ、初めて見る絵本だけどまた随分と愛らしい」

 「見ていただけだ」

 「気になるなら買ってしまった方がいい。次書店にまた置いてあるとも限らないし」



 む、と口を引き結んで逡巡する。人にはあれほど軽々しく買えと勧めたわりに歯切れが悪い。



 「……変だとは思わんか?」



 なにを、と思えばまた気まずそうに眼を逸らす。



 「だから、良い年した男がこんな幼子の読み物を手に取ることが、だ」

 「はあ?」



 あまりのしょうもなさに二の句が継げない。まったくもって馬鹿馬鹿しいことを気にするのだと呆れ混じりにため息をつきそうになるが、居心地悪そうに視線を彷徨わせるファルを見ると馬鹿にするのも可哀そうになった。私にとって馬鹿馬鹿しくとも彼はおそらく大真面目なのだろう。人の目など気にしなければいいものを。



 「おかしくなんかないわ。あなた絵本を舐めてるの?」

 「なんて物言いだ」

 「こっちのセリフ。確かに絵本は幼い子たちを対象としているわ。でも私の領地では子供から大人までそれを読むわ」



 子供たちを集めて読み聞かせをしていた姉。悠々としていて、静かで、伸びやかだったあの時間を私は今でも覚えている。



 「慈しみは尊いもの。楽しみ方に差はあれど、子供でも大人でも好きなものは好き。それでいいじゃない」

 「……」



 それでもなお、いまだどこか迷う素振りをする青年に思わず苛立つ。

 正直に生きればいいのに。人の目を気にしているのは自身で自身を縛るのと同じこと。誰も自分のことなど見ても気にしてもいないのだから。



 「あなたが絵本は大人の読むものじゃないと言うなら私は心底軽蔑するわ」

 「なにもそこまでは言わんさ。私はただ人がどう思うかの一般論での話を、」

 「この国の識字率がどれくらいだかあなたは知ってる?」



 この国は豊かだ。だがそれは弛まぬ国民たちの努力によって保たれ、形作られたもの。

 この国は物語の国だ。けれどただその物語の中で生きていけるのは豊かな人間の内の一握りに過ぎない。

 第一次産業を中心とする労働者は文字が読めない。文字が読めずとも暮らしていけるからだ。文字が読めずとも、空を読み、海を読み、風を読む。それらは文字が読めるという以上に稀有で、重要な教養だった。



 「私の領地では識字率は100%じゃなかった。私は貴族としてその状況を恥じるわ。でも文字を読めない人たちを恥じることはない。彼らは文字は読めずとも、私たちよりずっと優れたところを持っていた」

 「……だが、文字を読めなければ困るだろう」

 「彼らは困っていないの。彼らにとって文字は必須の教養ではなく娯楽のために手段にすぎない。だからこそ私は恥じるわ。娯楽に興じるだけの余裕を作れていなかったことに。子供たちにそれだけの学びの場を与えられなかったことに」



 誰も彼も、学ぶことのできる機会を持っているわけではない。字の読めない親は、だからこそ子に学をつけさせようとする者と、だからこそ不要と切り捨てる者、学を奪う者といる。それが善だ悪だというつもりはない。そう考えさせてしまうのは彼らの環境から来るものだ。そしてその環境を作ってきたのはプロスパシア領の先代領主たちだ。今は教養の上昇に力を向けているが、没落しかけている領地において、即効性のない施策は嫌厭されがちだ。



 「でも彼らはプロスパシア領の領民である前に、ダーゲンヘルムの国民。物語を愛する国の民。字は読めずとも物語のことは皆愛してる。だからこそ、絵本は役に立つの。読んだことはなくとも、知っている。それだけで文字を読んでみるということのハードルは下がるわ」



 絵本は子供への愛だ。慈しみだ。

 けれど同時にそれはすべての人の文学への入り口でもある。



 「文学の門戸は誰に対しても平等に開かれている。ものを知らない幼子にも、文字を知らない大人たちにも。だから絵本を手に取ること。そんなことを卑下しないでほしい。どんな形をとっていたとしても、物語はすべて尊いものよ」



 ふんす、と息をつけば唖然としたファルが赤い目を丸くして私のことを見ていた。はたと少し話過ぎたと後悔する。初めて会った人間に対してここまで詳らかに話す必要なかったし、説教臭くなってしまった。結局は娯楽というものは自由なのだ。各々好きにすればいい。誰かの指図を受けることなどない。けれどそれは人目を恥じるのも同じことだ。嫌がっている人間に自身の考えを手前勝手に押し付けてしまった。

 自己嫌悪に駆られる私の横をすり抜け、ファルは絵本を手に書店員のもとへと歩いて行った。 

 買うことにしたらしいが、これではまるで私が押し売りでもしたようだ。



 「ごめんなさい、さすがに出過ぎたことを、」

 「いや、構わない。私の方が無知だったんだ。そういった考え方があるのならいい。そしてお前の言った通り、どのような姿をしていたとしても、物語は物語だ」 



 特に機嫌を損ねた風でもなく、むしろ先ほどよりもどこかすっきりした顔でまた歩き出した。

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